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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2025年4月6日
  • 読了時間: 2分

 ある神社が、氏子や祟敬者の他は入場させないと宣言した。

 これは、観光でやって来た人達のマナーが悪すぎるためだった。昔から、神社仏閣に観光客が落書きするなどの心無い行為がマスコミでり上げられていたけれど、最近では職員への暴言などがひどくて困っていたところ、決定的に不敬なことを外国人観光客がやらかし、それで宗教目的でない立ち入りから撮影まですべて禁止する措置を取った。



 宗教施設を遺跡のように思っている人がいることも原因だ。

 現役の宗教団体が昔からの施設を保持して宗教行為に利用しているのを、過去の遺物だと思っているから、落書きなどをしなければ問題ないと考えるのだ。

 それで、かつて「古都保存協力税」を、京都の仏閣の入場料金に上乗せして消費税みたいに徴収しようとしたら、坊さん達が猛反発した。街並みと施設を保存するための費用だから寺にとっても有益だろうという善意だったが、運営しているのは宗教団体であるから、信教の自由などで問題がある。一時は仏閣のロックアウトで抵抗していたほどだった。その代表をしている僧侶は当時の皇后(今から二代前)の弟である。これに賛同した野坂昭如が訪問してインタビューする様子がテレビで放送された。


 もちろん観光宗教もある。

 だから「入場料」ではなく「拝観料」と言ってはいるけれど、あれでは商売でやっていると言われても仕方ない所があった。いちおう収益は宗教活動の資金であるとしているが。他にも収益のため土産物を販売していたりする。

 そんな中で、観光を排除した神社が出たということだ。


 

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2025年3月29日
  • 読了時間: 3分

 


 公共施設の女性用便所に生理用品を常備するのは国内外で普通になっている。

 これを受けて共産党の二十代後半の女性議員が、自らの体験から促進を主張した。かつて自民党の議員も促進を主張していた人がいた。

 それなのに、個人的な事情から共産党を憎んでいる四十代の女性が、コンビニ店に行って自分で買えとSNS投稿し、これに便乗するネトウヨが蠢動したのでネットメディアが「炎上」と騒いだ。


 ここへ乱入したのがあの杉田水脈であった。

 生理用品はポーチに入れて自分で持ち歩くものだとし、そう母親から躾けられなかったのか、などと侮辱した。相変わらずなので、早速SNSでは「では杉田水脈の差別や裏金は親の躾けが悪いから」と言われていた。

 それに、もともとその共産党の地方議員の女性は、急なことで困ったという話をしていた。生理は必ず毎月何日頃とはいかない。多い時はポーチに入れておく位では足りない。忙しくて買いに行けないこともあり、他人とくに男性には頼みにくい。

 これを子供や男性が知らないならともかく、成人女性が知らないはずはない。もちろん昔のことになってしまって忘れてしまう女性もいる。杉田水脈くらいの年齢以降の女性には忘却も珍しくない。


 そもそも自分個人のことだけなら公言しない。

 成人の忙しい女性だけでなく、学齢期では親の放置や貧困という問題がある。

 だから、国内外で対応策として公共施設の便所に常備しようということになった。

 

 こういうことに対し頑なに拒絶反応する人達がいる。

 もともと杉田水脈という人は弱者を虐げて強者に媚びることで出世を目論んできた人であるが、それを応援する中には宗教団体がいることも影響している。とくに狂信的でなくても罪悪視するからだ。その意向を受けていなければ、あのように杉田水脈が生理を女性個人の問題に矮小化して社会的な対応を否定したがるわけがない。実際に宗教団体の男尊女卑を受けて杉田水脈議員は「男女平等は反道徳」と発言している。



 あの『キャリー』という小説(二度の映画化)と同じである。

 キャリーの母親は極端な教義を娘に押しつけ、とくに性を罪悪視して娘の初潮も罪であると言っていた。

 これは日本の宗教も同じである。相撲の大会で地元の首長が表彰状を渡すさい、首長が女性だと神聖な土俵を穢すと言って相撲界の人達が拒否反応するが、この調子だから右翼的な宗教団体だと更に極端である。

 このような、生物として当たり前のことを穢れたものとして隠蔽する宗教的発想からすると、それを公的な場に持ち出すことは罪ということになり、公共の便所に生理用品を常備しておくと便利だという人は許せないのだ。

 

 この支持を受けているのが自民党であり、キャリーのママも同然なのだ。 


 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2025年1月11日
  • 読了時間: 2分

更新日:2025年1月12日

 神社のおみくじは遊びの感覚で引くものだ。

 だから気にしなくていいはずだけど、どういうわけか神社でおみくじを引くと必ず「凶」が出る女の子がいた。小さいころから大人になるまで。

 そもそも、おみくじに凶は少ない。それが当たってばかりというのは奇妙である。


 その両親は、普段からの心がけが大事だと言った。

 それで、くじで凶を引いても、それは警告と受けとめて、注意しましょうと言っていた。それは実に真っ当な対応だろう。

 しかし、娘は気にしなければいいと言って、何も心がけなかった。そして、よく親に注意されているワガママや思いやりの欠如を一向に改めなかった。それで、またおみくじを引くと凶が出る。態度を改めないからだと親に叱られても、平気でいた。


 それで困ったことになると兄弟姉妹に「尻拭い」させる。

 だから自分は平気なんだと言って傍若無人な態度を少しも改めない。それについて親は、世渡りが上手で要領が良いと思うようになってしまった。しかし俗世間で調子よくやっても神様が許さず罰が当たるのではないかという危惧もあった。

 ところが罰が当たることはなく、周囲が迷惑をかけられてばかりだった。これではまるで、悪いことをするほど得して、真面目な人が酷いことになる。



 おみくじなんて当たらないと言う人が多い。 

 しかし信心深い人は、神社の神様なんて、しょせんその程度の力しか持ってない、と言う。これはたまたまおみくじに反映されたことだけど、それ以外のことでも、人の運勢にしても、社会的な倫理にしても、それくらい無力なのが日本で祀られている神々ということ。

 これについて日本人はなんとなくだが解っているはずだ。だから実は御利益なんてこれっぽちも信じてないし、遊びでおみくじなんてものを引くし、そもそも宗教が占いの変種のクジ引きなんてことしているのが信仰らしくない。

 
 
 
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