top of page

​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年4月11日
  • 読了時間: 1分

 なぜ十二支にネコがいないのか。

 よく語られたのは、一番になったネズミに騙されたという話だが、お釈迦様が死んだとき、みんな悲しんでいるなかで、ネコは自分にとってはどうでもいいことだと言ってシカトを決め込んでいたからだ、という話もある。



 十二支なんて意味がない。

 そもそも、お釈迦様は動物にとってまったく関係がない。仮に何か関係があったとしても、帝釈天のために「私を食べてください」と火中に飛び込んで死んだウサギより、自分にはカンケーネーと言ったネコの方がまともだ。

 何時の時代も、聖人君子なんて存在が世の中に最も害毒を垂れ流している。安藤昌益が指摘したとおり。


 非力なら助けを求めて当然である。

 ところが、非力なら役に立たないので食料になるため死ぬのが立派という仏教説話が倫理的とされてしまう。そんな社会だから、セーフティネットなど福祉が否定される。あの、生活保護叩きの片山さつき議員は仏教界の支援で当選できるようになった。

 前に「糞坊主」の話題を取り上げたが、昔から僧侶は嫌われているもので、その原因は誤解や偏見ではない。


 とにかく、十二支のような何かに迎合するのは止そう。

 そんなもの全く価値がないのだ。そしてネコのように我関せずを貫くことだ。

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年3月23日
  • 読了時間: 3分

更新日:2024年3月23日

 車椅子を使用している人にSNSで冷酷な言葉を浴びせる人たちがいる。

 こんなことしている人たちは、普段から周囲に頭が上がらないので、障害者を見下すしかないのだろうと言われていた。それにしても、親や教師の躾はどうなっているのかと疑問を投げかける人もいる。

 たしかに、その人が言うとおり、親も教師も、こう言って躾るものだった。「お前は、たまたま身体障害者じゃないから、それによる不便が無いということでは幸運だったのだ。それに感謝して、不便を感じている人には思いやりを持て」


 そうならないのは宗教の悪影響がある。

 よく仏教では、前世で悪いことをした報いだと言う。だから身体障害者は罰を受けているのだから、虐めても良いというかむしろ虐めてやるべきだと、障害者差別と弱いもの虐めを正当化する。

 同じように同和地区など出身地や出生の差別にも宗教が根拠となっている。これは仏教だけでなくヒンズー教の影響もあることは既に指摘されている。



 また、日本にあるキリスト教会の牧師も障害者差別を堂々とやる人がいる。

 例えば、障害児を連れて来た信者に「心がけが悪いから、そんな子供が産まれるのだ」と言い放った。これでは仏教と同じだと呆れてしまい、教会に行くのを止めてしまったという人から、この話を聞いた。

 こんな話はよく聞くので、日本人に染みついて抜けないのかと思っていたが、なぜか中国の僧侶も同じだと、中国に詳しい女性が言っていた。そして、仏教の思想や哲学には魅力を感じるけど、それを専門職にしている人に駄目な人が少なくないということだった。


 もちろんキリスト教徒にも差別主義者はいる。

 だからイスラム教徒を敵視したり東洋人も蔑視したりで、KKKに所属する牧師なんてのも珍しくもない。イスラム教徒にも過激派がいるし、日本の右翼で僧籍を持つ人は珍しくない。なかには堂々とSNSで実名を名乗り僧籍を持つことも紹介しながら、右翼によるテロを讃えて殺人を正当化する発信をしている。


 この実態を知らないとか強引に否定とかする人たちもいる。

 だいたいは、お坊さんともあろう者が差別なんてするわけがないというもので、むしろ僧籍にある人こそ狂信的であることを無視している。弱いもの虐め片山さつき議員を組織的に当選させているのも仏教界である。

 これは欧米さらにオーストラリアなどの西洋文明圏になると、聖職者による児童に対する性的虐待などが深刻だが、これを取り上げるとマスコミにも社会福祉士にも狂信的な人たちが攻撃する。「そんなこと神父様がするわけない」と事実から目を背けて言い、しばしば暴力に訴えもする。


 この現実を見ずに語っても虚しい。直視するべきだ。

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年2月25日
  • 読了時間: 2分

 海自幹部165人が靖国神社に集団参拝。

 防衛省は共産党の機関紙の取材に対して事実を認めた。これを同機関紙が報じた。その記事によると「研修」として公用バスで九段下まで赴き、史跡の見学をして「休憩時間」に165人が一斉に参拝したという。



 どうみても見学は方便だ。

 この問題で靖国神社の性質から批判する人たちがいて、これは共産党の機関紙も同じ姿勢だが、もちろんそれもあるけれど、靖国神社でなくても他のいかなる宗教でも、自衛隊の組織が関わると悪いことである。

 なぜなら、宗教は国より上にあるからだ。そして政府に従うなと宗教から指示されたら言う通りにしてしまうことがある。それを自衛隊がやらかしたら極めて危険だ。だから、個人なら信教の自由だが、集団だと問題になる。


 宗教も処世術で権力にすりよる。

 しかし、逆らうことも多い。例えば、スポーツ選手の中にはセレモニーのナショナルアンセムで起立しない人たちがいるけれど、独立運動のあるアイルランドやスコットランドの選手の他に宗教が理由の人たちがいる。だいたいエホバの証人の信者である。

 特にスポーツ選手にとって、国歌吹奏で反抗するのは難しいことだけど、エホバの証人のように信仰心が強い宗教では、神では無く人が作った国を崇拝することは拒否して当たり前で、命懸けで貫く。

 その点で靖国神社は大丈夫だと思ったら大間違いである。


 「富田メモ騒動」を思い出すといい。

 宮内庁長官が昭和天皇の発言を書き留めていた中に、靖国神社のA級戦犯合祀について、無神経なことで不快だから、もう参拝しないことにした、という趣旨の発言があり、実際それから昭和天皇はそのとおりにしていた。

 これが日経新聞によって報じられると大騒ぎになった。この政治的な影響は別にして、天皇と靖国神社とで考えが対立することが有り得ることは、はっきりした。

 そこで自衛隊の組織内の一部が、靖国神社に肩入れしたら、どうなるか。


 つまり自衛隊幹部たちの靖国神社集団参拝は自衛隊内での叛乱も同然である。

 これには厳正な処分が必要であり、参拝した幹部自衛官たちは逮捕して裁判にかけるべきである。

  • twitter

©2020 by 井上靜。Wix.com で作成されました。

bottom of page