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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2022年9月10日
  • 読了時間: 2分

更新日:2022年9月10日

 岸田首相が外してしまった。

 安倍元首相の国葬は費用が掛かりすぎて、そんな予算があったら他に深刻とか優先とかの問題を先にするべきだと反対されていたうえ、それでも弔問外交をするためだと言っていたのだが、世界各国の要人が出席してくれない。これは、みっともない。

 ただ、故首相の肩書は現ではなく元だから、もともと出席の期待はできなかった。


 まさに「金の切れ目が縁の切れ目」である。

 「外国の安倍」を標榜し「世界で最も影響力のある一人と言われた」と自画自賛していたが、あんなにバラマキすれば当たり前である。それで成果があればともかく、ロシアと領土問題の話し合いにならず、安倍元首相はプーチン大統領に騙されたとか言っていた。情けないにも程がある。

 結局、既に退任していて故人となってもいる人から金はもらえない。それでは往復の交通費と宿泊費と時間と香典の無駄である。出席してもらえなくて当たり前だ。



 うちの母親は、カルト宗教に誘われたら靡く人だった。

 とても迷信に惑わされやすかった。しかし、どこの宗教団体にも入信しなかった。どこの宗教団体も勧誘しないからで、それくらい貧乏だったのだ。

 よく、病気が治るというのを売りにする宗教団体がある。これはあくまで不知の病とか難病とかを対象にしている。ところが、うちは貧乏なので医療費が無く、それで安くつくと思って、うちの母は宗教に傾倒する。だから無病息災の御守が安いと買っていた。ところが宗教団体は、そんなふうに金が無いと知ったら願い下げ、入信はお断り、という次第である。


 つまり、宗教団体の勧誘とは営業である。

 その点、安倍元首相を狙撃した元自衛官の母親には財産があったから誘われたのだ。うちは金が無かったから被害に遭わずに済んだというより、そもそも被害が有り得なかったのだ。

 そして宗教の恨みで殺された安倍元首相は、国の費用を使う立場でなくなったので、バラマキしていた時から手のひら返しされて、外国から要人が葬儀に来てくれなくなったのだ。


 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2022年9月3日
  • 読了時間: 2分

更新日:2022年9月3日

 埼玉県所沢市の市長が、統一協会の催しと知って出席していた。

 これについて問題にされると同市長は「反省は、そんなにしていない」「もう行かないとは言えない」と居直るようなことを言ったと報じられている。


 昔から所沢市は統一協会や創価学会が多い。

 そして隠然とした力を持っている。だから、例えばDVで悩む女性が人権擁護委員に相談したところ、その委員は宗教関係者で、男尊女卑を剥き出しにして、女性は我慢して当たり前だとし「人生には忍耐が大切である」と全く差別的なことを宗教と同じ調子で延々くどくど説教されたりする。

 この女性は後に他の自治体に転居のうえ離婚して解決したが、あの時の体験と、その体験から知ったこと、すなわち、そんな人が公的な地位にいて、宗教的には常識だが社会一般では非常識なことを、その公的地位をいいことに強要するのが普通にある土地柄にあきれ果て「もう所沢には住みたくない」と言ったそうだ。


 「所沢音頭」の歌碑。

 曲がついていて、♪ほんに~嫌なとこ、ほんに嫌なとこ所沢~、嫌なとこ、嫌なとこ、所沢~、という歌らしい。しらんけど。


 自民党が、日本の社会を中世に逆戻りさせようとしている。

 といわれる動きが危険視され、この原因は背後に宗教団体がいるからだと指摘されてきた。自分の意思ではなく、教祖が指示した相手と結婚して当たり前という宗教団体にとっては、DVなんて我慢して当たり前というのが好都合であろう。

 

 統一協会が自ら選挙に立候補ということもあった。

 政界に食い込むため統一協会は自民党に接近してきたが、それで選挙の応援をするのが普通だけど、「保守系無所属」を標榜して自ら立候補する人がいるのは珍しいだろう。

 しかもこれが、近所の主婦たちを通じてのポスター貼り要請など、統一協会を隠して協力が求められ、そうとは知らずに応じている普通の家庭があったりして、かなり気味が悪い。

 

 ところが、その意味を解らない人ばかり。

 いかに危ない団体かと言われてもチンプンカンプンで、よく共産党が批判していると言うと「アカに批判されているんだから良い団体じゃない」である。では創価学会も、よく共産党が批判しているけど良い団体なのかと言うと「創価学会は悪いに決まっているじゃない」という調子である。創価学会は、もっと前から色々と言われているので知っているというだけのことである。

 

 こんな民度の土地柄だったが、そこで選挙される市長も相変わらずということであったのだ。 

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2022年8月30日
  • 読了時間: 2分

 もともと神社の御札は、神官が詞を筆で一文字一文字、心を込めて書いたものだった。

それはとっくに無くなって、みんな印刷になった。板切れに、詞を印刷した紙を糊で貼るだけ。板も紙も業者が機械で切って、貼り付けは手内職。

 これを「ご利益」があるとして売り、原価と販売価格を比較すれば暴利とさえいえ、これこそ「霊感商法」である。



 しかし神社のしていることは宗教ではない。

 あれが宗教だと思うから不当な感じがするけれど、観光に行ってスタンプを押すようなものだと思えば、絶対的な値段が安価であるから、なにも問題がない。また「鰯の頭も信心から」である。

 

 ところが統一協会の壺は高い。

 原価と比しての販売価格というだけでなく絶対的な価格が高い。それでも自由な意思で納得しての購入なら構わない。しかし、霊感商法は自由意志を奪って任意の形をとる。

 これはちょうど警察の取り調べと同じである。裁判で自白の任意性が問われるのは、日本では弁護士もつけず密室で一人が大勢の警官に取り囲まれ、自白させられるのが普通である。これでは冤罪ばかりで当たり前だ。

 

 だいたい、基督教が壺を売るだけで変だと気づくものだ。

 ところが買う人がいる。これだけで判断力を奪って騙している証拠だと言えるだろう。

よく言われる「統一教会」とは逆輸入みたいなもので、英語圏でchurchと訳されたのが漢字圏に戻ってのことだ。元々は「統一協会」で、これはNHKのK、日本放送協会の協会と同じでcorporationである。

 ところが基督教文明圏では主に異端として問題になっているから教会ということでいいが、日本では霊感商法が問題で、壺を売るなんて基督教ではない。正式には統一神霊協会だからオカルトの協会ということである。


 では神社もオカルトか。

 そのような要素はあるが、あれは先に指摘したとおり観光だと思うべきだ。仏教でも観光寺といわれることをしている。だから夜に仏閣をライトアップして見せ、宗教の見地からすると愚かしいことをしているのである。


 つまり、特に日本はそうだが、みんなが宗教だと思っているものは宗教ではないのだ。



 
 
 
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