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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2022年8月30日
  • 読了時間: 2分

 もともと神社の御札は、神官が詞を筆で一文字一文字、心を込めて書いたものだった。

それはとっくに無くなって、みんな印刷になった。板切れに、詞を印刷した紙を糊で貼るだけ。板も紙も業者が機械で切って、貼り付けは手内職。

 これを「ご利益」があるとして売り、原価と販売価格を比較すれば暴利とさえいえ、これこそ「霊感商法」である。


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 しかし神社のしていることは宗教ではない。

 あれが宗教だと思うから不当な感じがするけれど、観光に行ってスタンプを押すようなものだと思えば、絶対的な値段が安価であるから、なにも問題がない。また「鰯の頭も信心から」である。

 

 ところが統一協会の壺は高い。

 原価と比しての販売価格というだけでなく絶対的な価格が高い。それでも自由な意思で納得しての購入なら構わない。しかし、霊感商法は自由意志を奪って任意の形をとる。

 これはちょうど警察の取り調べと同じである。裁判で自白の任意性が問われるのは、日本では弁護士もつけず密室で一人が大勢の警官に取り囲まれ、自白させられるのが普通である。これでは冤罪ばかりで当たり前だ。

 

 だいたい、基督教が壺を売るだけで変だと気づくものだ。

 ところが買う人がいる。これだけで判断力を奪って騙している証拠だと言えるだろう。

よく言われる「統一教会」とは逆輸入みたいなもので、英語圏でchurchと訳されたのが漢字圏に戻ってのことだ。元々は「統一協会」で、これはNHKのK、日本放送協会の協会と同じでcorporationである。

 ところが基督教文明圏では主に異端として問題になっているから教会ということでいいが、日本では霊感商法が問題で、壺を売るなんて基督教ではない。正式には統一神霊協会だからオカルトの協会ということである。


 では神社もオカルトか。

 そのような要素はあるが、あれは先に指摘したとおり観光だと思うべきだ。仏教でも観光寺といわれることをしている。だから夜に仏閣をライトアップして見せ、宗教の見地からすると愚かしいことをしているのである。


 つまり、特に日本はそうだが、みんなが宗教だと思っているものは宗教ではないのだ。



 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2022年8月25日
  • 読了時間: 2分

 いくら自民党が応援しても、あんな人では無理だろう。

 なんて言われていた人が選挙に立候補したら当選することがある。これが最近の風潮では、きっと統一協会が組織的に応援したのだろう、と言われるようになった。

 もちろん生稲晃子のことが最も影響している。そこでマスコミに騒がれているのが、自民党の萩生田政調会長である。生稲晃子を統一協会の施設に連れて行ったことなどで。


 このことで生稲晃子は、マスコミに質問されていた。

 そのとき連れて行かれた先が統一協会の建物だと認識していたかと。その答えは何と、暑かったので化粧が崩れてしまい「顔を治すのに一生懸命」だったから、他の事には気が回らず解らないと言うこと。

 いくらタレント議員でも、こんな呆気にとられる言動をする人が当選してしまうのだから、何故だろうかと話題になって当たり前である。


 このことで最近、自宅の近所にいる元議員と話した。

 やはり地元でも、こんな人が何故と思う当選をした人たちがいる。こんな場合は統一協会の関与が噂されるもので、これは昔からのことだった。その中には具体的な指摘をされる人もいる。

 その一人が、当選してから公私混同やセクハラで問題になった人である。自民党に推されたにしても有り得ない当選だと言われていたけれど、当人が信者であることも含めた相当に深い関係らしい。

 

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 また、近所に統一協会の信者は、かなりいそうだとの認識で一致した。

 例えば「ナンミョーホーレンゲーキョー」と唱える声が聴こえる宗教団体なら簡単に判るけれど、そうではないと気付きにくい。だから詳しい実態は不明だが、選挙の結果などから推測すると、結構な数になるはずである。この話に、多くの人たちが不気味だと言っていた。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2022年8月22日
  • 読了時間: 3分

 うちの親は、家庭教師や予備校ではなく受験必勝の御守を買ってやったとか、病院や医薬品ではなく厄除け無病息災の札を買ってやったとか、そんなことを恩着せがましく言う人だった。

 これは貧乏人だからだ。そのほうが安上りである。その程度のことなのに、そうするしかないので惨めな気持ちになる。だから気を紛らわすための残された手段は、本気で信じ込んでしまうことだけなので、実際にそうなってしまう。そして深刻な事態となるが、あくまで自分は正しいと言って譲らない。


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 これはうちの親だけが貧しく愚かなのではなく、日本の国が全体的にそうであることの反映である。

 例えば、靖国神社や護国神社も同じことである。アメリカのような大国と違い兵士への補償が貧弱なので、宗教を利用して安くあげるしかないのだ。

 かつて中曾根康弘首相は、靖国神社に参拝して戦争美化だと国内外から批判を受けたさい、強硬になったり妥協したり様々な対応だったが、そこで戦争の英雄を讃える必要性を説き、そうしないと「誰が国に命を捧げるか」と言ったことがある。


 そんなことを言うけど、東大出の官僚から将校というエリートコースだった中曾根氏は、戦争で大勢の部下が犠牲になった責任をとって切腹するべき立場なのに-実際にそうした将校たちが何人もいたけれど-中曾根氏は責任とらず出世街道を歩み続けたじゃないか。そう言われたことがある。


 まあ、中曾根氏はあの「殖産住宅事件」で、自己保身のため学生時代からの親友を見捨てた人であり、その刑務所に入れられた親友に「中曾根くん、卑怯じゃないか。東大生の時から無二の親友だったのに。問題になった会社の金は、中曾根くんが自民党総裁選に出る資金にするためだったじゃないか」などと罵られても平気でいた。

 そんな人だから、親友が刑務所で病気になって受刑に耐えられないほど深刻になり釈放されるなど悲惨なことになっているのを尻目に首相に上り詰め、その後は百歳を超えて老衰で死去するまで心身ともに健康そのものだったほどで、そんな人にとっては自分だけ戦争で生き残ることなど当たり前なのかもしれない。


 しかし、戦争で国民に国に命を捧げさせるのに必要なことが、なぜ宗教なのか。

 これがアメリカなら、最近では軍隊に入れば永住権が得られるということで「グリーンカード兵士」もいたりするけれど、前からアメリカは兵士への補償は大国らしく充実していて、これに比べると日本は貧弱である。

 それで宗教により紛らわせているのだ。だから、戦後も殉職自衛官を遺族の意思に反して護国神社に祀ったことで未亡人が訴訟を起こしたさい、最高裁は「寛容」になれと言って合憲とした。個人が国家に対して何か寛容なのかと批判されたが、それくらい日本は国の社会制度が脆弱で御粗末ということだ。


 こんなふうに国ぐるみで貧乏臭いから国民も染まり、統一協会は世界各地に展開しているのに霊感商法は日本ばかりということになるのだ。

 あのとき中曾根元首相は統一協会の合同結婚式に堂々と祝電を送っていたが、その七光りで議員なった孫が、安倍元首相殺害事件に絡んで統一協会との関わりを問題にされると、前よりマシな団体になったと思っていたという珍解答だった。ということは、祖父のころは酷かったとの認識なのだろうか。

 いずれにせよ、こんなに日本は貧しいのだ。努力が足りなかったのだろう。 

 
 
 
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