top of page

​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年12月7日
  • 読了時間: 2分

 大学の法学部に通っていた当時のこと。

 ここの法学部は司法試験より犯罪学の方が盛んであった。その点では面白かったが、後で知り合いの弁護士は、非実用的だと言った。これは職業にするための資格を取ることにやくたないという意味ではなく、どうでもよいことに多くの議論をすることだからだ。


 その代表だったのが「犯罪の現象学」であった。

 これは刑法の白井駿という元検察官で弁護士もやっている教授の講義であり、その著書の題名である。部数の少ない本だからだろう、分量にしては定価高額だった。


ree

 そもそも元検察官の弁護士は駄目だと言う人がいる。

 たしかに「辞め検」の弁護士には評判の悪い人がいる。しかし、この白井先生は授業の他に八王子で裁判を傍聴したことがあるけれど、良心的であった。ただ、授業中に疑問に思う発言があり、それが検察官だった人ならではのものだった。

 例えば、「日本で刑事裁判の有罪率が極端に高いのは、検察が有罪にできそうにないと判断したら不起訴にするからで、裁判が検察寄りで一方的ファッショ的という批判は当たらない」という検察製のデマゴーグを話していたことには、学生の立場でも呆れたものだった。米国の刑事ドラマを見ていると描かれているように、外国の司法でも、民事でも刑事でも、本裁判にできるか予備審問があって公開で行われる。日本のように検察が密室で恣意的に行うものより遥かに公正である。

 しかし、検察に勤めていると、検察ファッショの体質に染まってしまうのだろう。タレント弁護士の大沢某とか国会議員だった山尾某も、同様である。


 また「犯罪の現象学」なるものに批判というより失笑した法学者がいた。

 白井先生は犯罪についてフッサール現象学を用いて解読する手法を大学院時代に教員から奨められたそうだが、そもそも現象学というもの自体が、どうでもいいことをもっともらしく意味ありげに語り気取る貴族的な学問だという指摘が思想史的見地からある。そんなもので切実な社会問題を解読した気になっているのが滑稽ということだ。それを実務で実践したと言ってみたところで後知恵にすぎない。


 まあ、この失笑は当たっていると思う。

 もちろん、学生時代には正直いって法学部の授業で最も面白いものであったことは確かである。だからレポートも楽しく書いて評価Aをもらってはいる。その後の体験が認識を変えさせたのだった。


 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年11月23日
  • 読了時間: 2分

 90年代に書かれた社会科学系の本を何冊も再び読みなおした。

 あの当時に書かれた本は、この先の世界はこう変わるという予測をすることが流行していた。それで当たっている本は無い。政治も経済も、時勢につけこんで主観的な願望を語っているものは最初から嘘であることはもちろんだが、冷静に歴史的な分析をしているものでも、そこから先を推定すると外れてばかりである。これがあまりにも酷いので、過去の分析も実は間違っていたから、未来の予想も当然ながら当たらないのではないかと思ってしまう。

 

 これに比べるとSF小説の方がはるかに当たっている。

 ただし、科学的な発展は予想が外れてばかりである。これは昔から指摘されていることだが、そう簡単に短い間に科学が発展することはありえないからだ。しかも、そのうえ人間の限界があって、体力も知力もせいぜいこの程度で終わりということが解ってきた。

 ところが、社会が危ない方向に進んでいくという点では、ことごとく当たっている。今の現実で誰にとっても好ましくないことは、昔のSF小説で描かれていることばかりだ。


 前に雑誌で読んだ漫画で、こんな場面があった。

 将棋やチェスの手は考え尽くされてしまったので、それを総て組み込んだコンピューターには名人でも勝てない。しかし、その将棋ゲームのソフトをプログラムした人は、あまり将棋の手を知らなかった。それを知っている人が、自分の方が知っているから楽勝だと思って試す。やはり簡単に勝てそうだった。ところがそこへ「地震だ」という字が画面に出て、画面が揺れて駒が滅茶苦茶になる。それでゲームオーバー。


ree

 これはギャグとして描かれていることだが、この調子で現実の世界も動いているのではないか。それで空想とかフィクションとか言われる話の方が、よほど実現しているのではないか。


 

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年10月12日
  • 読了時間: 2分

 どんな人かは詳しくは知らないが、大学に勤める若手学者ふうの若新雄純氏へのインタビュー記事に吃驚仰天した。


 その記事には、若新氏がキャンバスライフを謳歌していた当時の写真が掲載されていた。

 まるで学生タレントのように派手な服装をしてマイク持って歌っている。こういうことを学園祭でやる人は珍しくないが、そうした余興を紹介したうえで、充実した楽しい学生時代をどう過ごすべきかという話なので、奇妙な印象を受けた。


 また、そのテーマ以前に記事の「自由を謳歌できる大学生の夏休み」という書出しに、信じられない思いだった。

 だいたい、大学の夏休みは学費や生活費のためバイト掛け持ちするなど働きづくめで徹夜の連続が普通だった。そうじゃない人もいるが、それはごく一部の恵まれた例外的な人だと思っていた。


ree

 これは自分の大学生当時のことだ。

 ある日、その日の時限が総て終わって帰るさい、最寄り駅まで行く途中で、直前の授業の若い講師も帰るところだったから、その授業(英語)を履修している学生たちは挨拶をしたが、その後で陰口っぽく「楽な仕事だよな」と言った学生がいて、それに周囲の学生も全員が同感していた。

 この講師は、その年の前期で最後の授業が終わるさい「では、よい夏休みを」と学生たちに言った。重労働が始まる辛い夏休みなのだが。それに比べれば授業中は天国である。このセンセは恵まれていたから知らないのだろう。うらやましい限りだった。


 「うちが貧乏なくせに大学に行くのが悪い」

 そう言った人が、当時いた。これは結構な人数である。菅前総理大臣の苦学は嘘だと指摘されている。この菅内閣を田中真紀子もと外相は「生ごみバケツの蓋」と言ったそうだが、その中身である安倍内閣の疑惑で、公文書改竄を上から強要された挙句に苦悩して自死となった官僚は、本当に苦学した人だったと伝えられる。

 結局そういうことかもしれない。だから、若新雄純氏の記事も存在するのだろう。これに吃驚するほうが異常なのかもね。

 
 
 
  • twitter

©2020 by 井上靜。Wix.com で作成されました。

bottom of page