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​炬火 Die Fackel 

 中北浩爾(中央大学法学部教授)が、学者なんて所詮この程度の証明をした。

 Yahoo!の記事だと「共産党が変われば日本の政治は変わる/中北浩爾氏(中央大学法学部教授)」なるタイトル。

 これだけで頭がどうかしたとしかいいようがない。そんなことで変わるわけないし、変わってたまるかと思う人が圧倒的だろう。一野党のことなんかでそんな影響があったら異常だし怖い。それも一学者風情の意見で。自信過剰にしても妄想がひどすぎる。


 また、悪い冗談の水準の話までしている。

 イタリア共産党は共産党であることをやめたのだから、日本共産党も共産党をやめるべきだそうで、イタリア人がスパゲッティ食うのやめたから、日本人もソバ食うのやめるべき、というも同然の滅茶苦茶。

 意見は自由だが、こうも知性の程度が低いと気持ち悪い。


 他にも前提の事実から間違っているし、分析も間違っている。

 大学教授なんて所詮この程度だが、それより、そんなこと言うなら自分が入党すればいい。それを外部から上から目線なんて傲慢だ。



 維新は全マスコミから嘘により持ち上げられ、共産党は全マスコミから嘘により扱き下ろされる。

 そこへ自称リベラルが便乗してYouTubeやYahoo!で嘘の上塗りで共産党を攻撃するが、リベラルで反共だとしても嘘はいけない。その大体が本当はリベラルじゃなく、そう偽装して右派を応援しているのだろう。

 その一人ということだ。


 ずっと前に他の大学教授がテレビでいい加減なことを言ったさいのこと。

 あれは筑波大学の統一協会に近い人だったが、この人の前職はキャリア官僚で、東大法学部卒の偏差値秀才丸出しで知られていた。

 それが野党について「~を云々しているが」と批判したら、スタジオの客席にいた野党支持の労組関係者からヤジが飛んで「云々なんてやめろよ、学者なんだから」とツッコミ入れられて焦っていた。当たり前である。そんな話をするなら、事実を明確にして説くものだからだ。

 これと同じ水準で語る「学者」が昔から多すぎる。メディアに出たがる人の特徴だ。中北という人も、マスメディアにのった風説に基づいて語っている「学者」というだけでも同類項である。そんなの大勢いるが。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2023年3月23日
  • 読了時間: 2分

 AIで絵を描くなど可能になってきた。

 人工知能で芸術をどこまで可能か、昔から議論があった。できたとしても面白味がない作品になるのでは、と危惧する人もいた。というより希望を説く人である。人間の手作りが無くならないという希望である。


 亡くなった松本零士は、コンピューターも画材の一つと言っていた。

 だから、描くのに便利になるけれど、何を描くかまで考えてはもらえない。最初は模倣だが、そこから創作へと乗り越えるのが大変だとのこと。



 ワープロは便利だが、何を書くかは考えてくれない。

 しかし、漢字の候補や脱字の指摘など便利である。同じように、楽譜の作成アプリもいずれ、平行五度だから禁則とか、転調なら間にこの音を入れるべき、和音の候補はこれら、などと表示されるのが当たり前になるはずだ。

 そうなると、特に勉強してなくてもスタートラインが同じになり、想像力で競争になる。純粋に才能だけで勝負である。


 これを知り合いの作曲家に言ったら猛反発。

 芸術は天賦の才能であり、これを伸ばすのは徒弟制度だと、彼は固く信じていたから。まあ、作曲で食えないから音楽教室で理論を教えている人としては、それに代わるアプリなど「後家殺し」と同じなのだろう。


 蛇足かもしれないが「後家殺し」とは脱穀機のこと。

 もともと脱穀は手作業で手間がかかった。これを後家といわれる未亡人が生活のためやっていた。それが早く大量に作業できる機械の実用化により収入が途絶えで食い扶持を奪われる。

 そういう意味だった。


 「ナポレオンないなくても他の誰ががやった」

 と言われるように、政治や軍事でなく学術でも、アインシュタインがいなくてもE=mc2は誰かが発見したし、芸術でさえモーツァルトがいなくても殆ど同じ曲を誰かが作ったであろうことは元ネタだと思われる曲がビバルディなどに見つけられることから判る。


 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2023年2月28日
  • 読了時間: 2分

 話題のツイート、

 「私が学生の頃、日本史が苦手だった原因がこれ。自分の国なのに誇りを持てなかったから、テストの点数も世界史より悪かった。大人になってから自虐史観でない歴史を知って今は歴史が大好きになった。」

 に、ついて。



 百田尚樹は漢文なんて中国語だから学校で教えるなと言った。

 曽野綾子は連立方程式なんて無用だと言った。

 ついに日本史は自虐史観だから試験の点が悪かったので自分の頭が原因ではないと言う人が出たわけだ。

 勉強が苦手なのを科目のせいにするのは右派が相場である。


 そもそも、日本史が世界史より厄介である具体的な事情がある。

 日本史は高校から、古文書などの資料から考える必要が生じて、古文・漢文の知識も要るようなるなど、ただの丸暗記では通用しなくなるから面倒なのだ。

 それなのに世界史より日本史の成績が悪かったのは「自虐史観」のせいと言うのは滑稽な言い訳である。

 それに、近代史までは授業で取り上げない。明らかに、ただ彼女は勉強が苦手だった。


 逆の意味で社会科が気に入らない人もいる。

 最も受験に向いている「山川」の参考書は、それだけに文部省の意向に沿った反動的・反市民的な傾向なので、受験勉強が不愉快では成果に支障があるからと、文系だけど社会科ではなく数学1を選択した人もいる。自分がそうだった。

 数学1は、文系の社会科で科目が何だろうと代わりに使えるし、理数系でも使えるから、受験にとって実に便利である。


 ところで「自虐史観」なんて言葉は不可解という人がいる。

 ただ、これは特定のサークルとかセクトのサブカルチャー造語である。同様に「陰謀論者」「ニセ科学」「反ワクチン」などがある。「アカ」という思想はないし、「ヤソ」という宗教がない、というのと同じで、もちろん学術用語ではない。

 いずれも党派性に基づいた烙印押しレッテル貼り攻撃による内ウケで自己満足や自家撞着を誤魔化して優越感に浸る自慰行為の言葉だ。

 それを利用して成績が悪かったことを誤魔化すのだから、よほど勉強が苦手で嫌いだったのだろう。

 

 
 
 
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