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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2023年3月23日
  • 読了時間: 2分

 AIで絵を描くなど可能になってきた。

 人工知能で芸術をどこまで可能か、昔から議論があった。できたとしても面白味がない作品になるのでは、と危惧する人もいた。というより希望を説く人である。人間の手作りが無くならないという希望である。


 亡くなった松本零士は、コンピューターも画材の一つと言っていた。

 だから、描くのに便利になるけれど、何を描くかまで考えてはもらえない。最初は模倣だが、そこから創作へと乗り越えるのが大変だとのこと。


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 ワープロは便利だが、何を書くかは考えてくれない。

 しかし、漢字の候補や脱字の指摘など便利である。同じように、楽譜の作成アプリもいずれ、平行五度だから禁則とか、転調なら間にこの音を入れるべき、和音の候補はこれら、などと表示されるのが当たり前になるはずだ。

 そうなると、特に勉強してなくてもスタートラインが同じになり、想像力で競争になる。純粋に才能だけで勝負である。


 これを知り合いの作曲家に言ったら猛反発。

 芸術は天賦の才能であり、これを伸ばすのは徒弟制度だと、彼は固く信じていたから。まあ、作曲で食えないから音楽教室で理論を教えている人としては、それに代わるアプリなど「後家殺し」と同じなのだろう。


 蛇足かもしれないが「後家殺し」とは脱穀機のこと。

 もともと脱穀は手作業で手間がかかった。これを後家といわれる未亡人が生活のためやっていた。それが早く大量に作業できる機械の実用化により収入が途絶えで食い扶持を奪われる。

 そういう意味だった。


 「ナポレオンないなくても他の誰ががやった」

 と言われるように、政治や軍事でなく学術でも、アインシュタインがいなくてもE=mc2は誰かが発見したし、芸術でさえモーツァルトがいなくても殆ど同じ曲を誰かが作ったであろうことは元ネタだと思われる曲がビバルディなどに見つけられることから判る。


 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2023年2月28日
  • 読了時間: 2分

 話題のツイート、

 「私が学生の頃、日本史が苦手だった原因がこれ。自分の国なのに誇りを持てなかったから、テストの点数も世界史より悪かった。大人になってから自虐史観でない歴史を知って今は歴史が大好きになった。」

 に、ついて。


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 百田尚樹は漢文なんて中国語だから学校で教えるなと言った。

 曽野綾子は連立方程式なんて無用だと言った。

 ついに日本史は自虐史観だから試験の点が悪かったので自分の頭が原因ではないと言う人が出たわけだ。

 勉強が苦手なのを科目のせいにするのは右派が相場である。


 そもそも、日本史が世界史より厄介である具体的な事情がある。

 日本史は高校から、古文書などの資料から考える必要が生じて、古文・漢文の知識も要るようなるなど、ただの丸暗記では通用しなくなるから面倒なのだ。

 それなのに世界史より日本史の成績が悪かったのは「自虐史観」のせいと言うのは滑稽な言い訳である。

 それに、近代史までは授業で取り上げない。明らかに、ただ彼女は勉強が苦手だった。


 逆の意味で社会科が気に入らない人もいる。

 最も受験に向いている「山川」の参考書は、それだけに文部省の意向に沿った反動的・反市民的な傾向なので、受験勉強が不愉快では成果に支障があるからと、文系だけど社会科ではなく数学1を選択した人もいる。自分がそうだった。

 数学1は、文系の社会科で科目が何だろうと代わりに使えるし、理数系でも使えるから、受験にとって実に便利である。


 ところで「自虐史観」なんて言葉は不可解という人がいる。

 ただ、これは特定のサークルとかセクトのサブカルチャー造語である。同様に「陰謀論者」「ニセ科学」「反ワクチン」などがある。「アカ」という思想はないし、「ヤソ」という宗教がない、というのと同じで、もちろん学術用語ではない。

 いずれも党派性に基づいた烙印押しレッテル貼り攻撃による内ウケで自己満足や自家撞着を誤魔化して優越感に浸る自慰行為の言葉だ。

 それを利用して成績が悪かったことを誤魔化すのだから、よほど勉強が苦手で嫌いだったのだろう。

 

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2023年2月24日
  • 読了時間: 2分

 かつてビートたけしの老人いじめギャグがヒンシュクを買った。

 ところが、その当時すでに老人の年齢になっていた羽仁五郎は、たけしのギャグが挑発の形をとった問題提議であると述べた。老人は敬うべきとしながら負担だと思っている社会の現実があるから笑う人がいる。そう指摘していた。

 これに対して、成田という人の集団自決発言は笑いをとれていない。


 上野千鶴子センセイが色川大吉と入籍していたのも話題。

 「みんな平等に貧しくなろう」みたいなことを言いながら、タワマンに住んでセレブを気取り別荘も所有、自家用車BMWであったが、フェミニズムの立場から発言もして「みんなおひとりさまになろう」みたいなことも言いながら、実は結婚していたらしいと話題であった。

 これについて「徹底してビジネス左翼だった」と、ことさら呆れて見せる右派の人。


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 典型的だったのは羽仁五郎であった。

 左派っぽい人が金を稼いで別荘の所有など贅沢していると、右派っぽい人から僻まれる。その走りが羽仁五郎である。タレント学者の先駆けでもあった。学術的ではなく面白いことを語るからマスコミが喜んで取り上げてお金を払うのだ。

 羽仁五郎も自身で「私は学者というより評論家」と言っていた。上野千鶴子も学者だと思うから反感も出るが評論家ということである。


 羽仁五郎が面白いのは、例えば大久保清の事件でのコメントだ。

 先のビートたけしが大久保清にふんしたテレビドラマがあったけれど、この事件について羽仁五郎は、そもそも車社会が問題だと意表を突いた指摘をした。必要以上に生産して売ろうとするから、自動車があればこんな楽しみがあるということになり、そこから女性をナンパしやすいと欲望に訴える。そして大久保清のようなことをする人が出たのだ。

 これを即興で語ってくれるから、マスコミとしてはコメントが充実する。だからマスコミから重用される。


 ところが、こういう芸当のできるタレント学者がいなくなった。

 それで成田悠輔センセイも、ヒンシュクを買っていいから変わったことを言う学者が欲しくてテレビは起用するのだろう。

 これと同様に夫の問題があった三浦瑠麗もテレビに復帰するらしいが、かつての宮沢りえみたいに「すったもんだがありました」とか言ってみればウケるかもしれない。


 ただ、羽仁五郎は特高警察から暴力をふるわれて重傷を負っている。

 そこが今時のタレント学者とは違う。

 
 
 
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