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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年6月7日
  • 読了時間: 2分

更新日:2021年6月24日

 岩田健太郎という医学者は新型肺炎で脚光を浴びたが、その時々で見解が正反対の意味になり、過去の自発言に頬かむりしたり、時には他人事として批判や嘲笑をしたり、という無節操で恥知らずだから顰蹙を買っている。

 小林節という法学者も、このところは自民党に怒っているけれど、もっと昔は自民党から改憲論者として有難がられていて、それらを注意深く比較してみれば整合性に欠けるのだが、これを「私は変節ではなく小林節」と駄洒落で誤魔化していた。


 これが専門家たちの実態であり、この現実にも関わらず、木村草太という憲法学者は、法学でも医学でも妄信しないのは悪だと非難している。

 すでにこの「憲法学者」は、「思春期の悩み」を「専門家」だから弁護士に相談するべきだという笑い話を真面目に語り、どんな種類の問題だから、どんな種類の専門家に、ということを知らず、それ以前に「専門家」という語彙すら正しく理解していないことを露呈させていた。



 結局、マスコミが重用する「学者」たちの水準の低さ、ということだ。

 そもそも、医学ではない「テレビ医学」をはじめ、「テレビ政治」や「テレビ経済」などがあり、どんな分野の常識もテレビは勝手に操っているものだ。

 これはアメリカの人気テレビドラマ『ER 救急救命室』にも描かれていた。テレビで解説してみせる、知識ではなくルックスのタレント医師に、病院勤務の医師たちが「また出やがった。この医師もどき、相変わらずウケ狙いでテキトーなこと言ってやがる」と嫌悪感を剥き出す。もちろん、このドラマもテレビだから、よく主人公の医師がデタラメを言う。その場面はストーリー無視で唐突に挿入されたりしている。内容的には製薬業界の利益になるデタラメだ。スポンサーのためだろう。

 これが昔からマスコミとくにテレビの現実。

 だから、西川史子や三浦瑠麗が無責任な発言をし、それとは違って「立憲主義派」がありがたがり批判を控える木村草太だが、しかし結局はマスコミが起用するから目立つだけで中身は御粗末。それを自覚しているらしく、格好ばかりつけてテレビに出演しているのだ。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年6月3日
  • 読了時間: 1分

更新日:2021年6月23日


 エジソンの有名な言葉「天才とは99%の努力と1%の霊感」というのは、元はパースピレーションとインスピレーションで、言葉をひっかけてある。

 だから、発汗は努力ではなく労力というべきで、霊感というスピリチュアルな言葉ではなく閃きぐらいにしておいたほうが良い。そして本来の意味は99%まで労力を費やしても、あと1%のところで閃かないと虚しいということだった。


 この発汗についての表現だが、暑くなってきて気になる。

 かつて暑くて汗をかいたという意味でsweatを使ったら、それは汚らしい感じがする表現だからperspireを使用するべきと外国人に言われたという話があった。sweatは普通の表現で、perspireは婉曲な表現だから、お通じをウンコと言うようなものだというわけだ。

 そこまで大きな違いがあるのか、辞書で調べても解らなかった。



 しかし、それだからポカリスエットというのはセンスの良い商品名ではないという指摘もある。発汗して水分と電解質を補給するという意味で付けた名だろうが、汗臭いような響きで、とても飲物という気がしないというのだ。

 いちおう英会話では留意しておくけれど、スポーツをする時はどうなのだろうか。酷暑のオリンピックで何と言うか気になっていた。それより今は伝染病のほうが話題になっているけれど。


 
 
 

更新日:2021年6月23日

 ある出版社のサイトに掲載または転載された論文について、大学の教員らが、趣旨には反対ではないが細部に難があると指摘していた。


 その趣旨とは、かつては人文系の大卒者の男子が「リベラル」を担っていたが、それが最近になって変わってしまい、すっかり消え失せたというものだった。

 しかし「リベラル」という言葉は幅が広く曖昧だから、学術的には使用できないという指摘があり、またリベラルを進歩的とか微左派とかいう意味だけに解釈しても、それが昔は人文系の大卒者たちに多かったとは言えないのではないか、と疑義を呈する人文系の大卒教員がいた。


 この大学教員の指摘は、いわゆるノンポリだった人たちが後から漫画の小林よしのりみたいになったか、その影響を受けたというもので、まあこれは事実だが、それよりもっと前からのことであり、このことはかつて野坂昭如や筑紫哲也が指摘していた。

 そして大学の文系ということでは、野坂や筑紫が指摘していたのと同じ80年代の前半から、竹村健一が処世術として説いていた。現都知事の小池百合子は、かつてテレビで竹村のアシスタント役だった。



 あの当時、各マスコミによるアンケートの「時代の寵児」は誰だと思うかという問いで一番を複数とったタレント世相講釈師の竹村健一が、世俗的な成功を目指す若者を読者層に設定した雑誌に連載をしていた。

 ここで彼は、ある大学生の「私は文系学部の学生です。文系は役に立たないから就職が無いと言われていますが、どうしたらいいでしょうか」という悩み事を相談されると、「ボクは京都大学の文学部卒やから、キミたちの良い手本になると思う」と説いていた。


 これで「なるほど、文系の処世術は権力に媚びたり盗作したり、なのか」と思って見習った人は多いはずだ。

 また、大企業はよく竹村健一に社内講演させて、人文系が役に立つとしたら体制に奉仕することだという趣旨の曲学阿世を、社員たちに刷り込んでいた。

 その一方で、竹村健一はビジネス書を出したら経済誌の記事の丸写しだったことがあり、竹村は謝罪したが、竹村式処世術からの必然だと批判された。


 この盗作騒動はテレビのお笑い番組でネタにされていたし、当時公開された邦画のワンシーンでは大学の講師が学生に「君のレポート、ほとんど引用ばかりで盗作と同じだ。単位はやれんね。だいたい、この一九分けのセンセイの論文だって、本当は盗作なんだ。この男にはオリジナリティがまるで無い」というセリフがあり、映画館で笑いが起きていた。「一九分け」の髪形をしている人は他にもいるが、竹村健一は代表格といってもよく、そのうえ盗作とくれば明らかだった。


 もちろん、もっとひどい盗作なら理科系や芸術系でよく聞くことだし、医療裁判で問題の医師が博士号を所持しているのに詳しくなくて変だということになったら、その論文は他の医師がゴーストライターしていたというのが真相だったことまであり、この危なさに比べると他の分野などたいしたことではない。

 しかし、ここで問題なのは権力にすり寄る人の処世術ということだ。ベストセラーだけど権力にすり寄りながらパクリということでは、最近では百田尚樹や門田隆将といった人たちが、よく指摘と批判を受けている。


 そういうことだから、昔と今は違ってなどいない。意識的であったり無意識的であったりするが、先人たちを見習っている人が多数派となっているのである。


 
 
 
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