top of page

​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年6月3日
  • 読了時間: 1分

更新日:2021年6月23日


 エジソンの有名な言葉「天才とは99%の努力と1%の霊感」というのは、元はパースピレーションとインスピレーションで、言葉をひっかけてある。

 だから、発汗は努力ではなく労力というべきで、霊感というスピリチュアルな言葉ではなく閃きぐらいにしておいたほうが良い。そして本来の意味は99%まで労力を費やしても、あと1%のところで閃かないと虚しいということだった。


 この発汗についての表現だが、暑くなってきて気になる。

 かつて暑くて汗をかいたという意味でsweatを使ったら、それは汚らしい感じがする表現だからperspireを使用するべきと外国人に言われたという話があった。sweatは普通の表現で、perspireは婉曲な表現だから、お通じをウンコと言うようなものだというわけだ。

 そこまで大きな違いがあるのか、辞書で調べても解らなかった。


ree

 しかし、それだからポカリスエットというのはセンスの良い商品名ではないという指摘もある。発汗して水分と電解質を補給するという意味で付けた名だろうが、汗臭いような響きで、とても飲物という気がしないというのだ。

 いちおう英会話では留意しておくけれど、スポーツをする時はどうなのだろうか。酷暑のオリンピックで何と言うか気になっていた。それより今は伝染病のほうが話題になっているけれど。


 
 
 

更新日:2021年6月23日

 ある出版社のサイトに掲載または転載された論文について、大学の教員らが、趣旨には反対ではないが細部に難があると指摘していた。


 その趣旨とは、かつては人文系の大卒者の男子が「リベラル」を担っていたが、それが最近になって変わってしまい、すっかり消え失せたというものだった。

 しかし「リベラル」という言葉は幅が広く曖昧だから、学術的には使用できないという指摘があり、またリベラルを進歩的とか微左派とかいう意味だけに解釈しても、それが昔は人文系の大卒者たちに多かったとは言えないのではないか、と疑義を呈する人文系の大卒教員がいた。


 この大学教員の指摘は、いわゆるノンポリだった人たちが後から漫画の小林よしのりみたいになったか、その影響を受けたというもので、まあこれは事実だが、それよりもっと前からのことであり、このことはかつて野坂昭如や筑紫哲也が指摘していた。

 そして大学の文系ということでは、野坂や筑紫が指摘していたのと同じ80年代の前半から、竹村健一が処世術として説いていた。現都知事の小池百合子は、かつてテレビで竹村のアシスタント役だった。


ree

 あの当時、各マスコミによるアンケートの「時代の寵児」は誰だと思うかという問いで一番を複数とったタレント世相講釈師の竹村健一が、世俗的な成功を目指す若者を読者層に設定した雑誌に連載をしていた。

 ここで彼は、ある大学生の「私は文系学部の学生です。文系は役に立たないから就職が無いと言われていますが、どうしたらいいでしょうか」という悩み事を相談されると、「ボクは京都大学の文学部卒やから、キミたちの良い手本になると思う」と説いていた。


 これで「なるほど、文系の処世術は権力に媚びたり盗作したり、なのか」と思って見習った人は多いはずだ。

 また、大企業はよく竹村健一に社内講演させて、人文系が役に立つとしたら体制に奉仕することだという趣旨の曲学阿世を、社員たちに刷り込んでいた。

 その一方で、竹村健一はビジネス書を出したら経済誌の記事の丸写しだったことがあり、竹村は謝罪したが、竹村式処世術からの必然だと批判された。


 この盗作騒動はテレビのお笑い番組でネタにされていたし、当時公開された邦画のワンシーンでは大学の講師が学生に「君のレポート、ほとんど引用ばかりで盗作と同じだ。単位はやれんね。だいたい、この一九分けのセンセイの論文だって、本当は盗作なんだ。この男にはオリジナリティがまるで無い」というセリフがあり、映画館で笑いが起きていた。「一九分け」の髪形をしている人は他にもいるが、竹村健一は代表格といってもよく、そのうえ盗作とくれば明らかだった。


 もちろん、もっとひどい盗作なら理科系や芸術系でよく聞くことだし、医療裁判で問題の医師が博士号を所持しているのに詳しくなくて変だということになったら、その論文は他の医師がゴーストライターしていたというのが真相だったことまであり、この危なさに比べると他の分野などたいしたことではない。

 しかし、ここで問題なのは権力にすり寄る人の処世術ということだ。ベストセラーだけど権力にすり寄りながらパクリということでは、最近では百田尚樹や門田隆将といった人たちが、よく指摘と批判を受けている。


 そういうことだから、昔と今は違ってなどいない。意識的であったり無意識的であったりするが、先人たちを見習っている人が多数派となっているのである。


 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年5月21日
  • 読了時間: 2分

更新日:2021年6月24日

 首都大学東京に勤めるタレント学者の木村草太は、不見識かつ非常識な発言ばかりしている。

 これを指摘すると、まったくその通りという人たちがいるけれど、ツイッターだとネトウヨに分類される人たちの割合が高い。おそらく木村がマスメディアに出て「護憲派」に好都合な発言をするからだろう。

 しかし、護憲派に分類される人でも木村はダメだと言う人たちがいて、それも本業である憲法学でヘボ学者だと言う。


 よく木村はテレビに出演するけれど、テレビが起用したがるのは話す内容より外見の印象である。

 それで、見た感じが俊英という印象を与えるから木村は起用されているにすぎない。木村がテレビで語る内容は、そこらへんを歩いている人たちに片っ端から声をかけて訊ねてみれば、そのうち何人かは同じことを言うはずだ、という程度の水準である。だから、高度な内容を平易な言葉で解かり易く語っているのとは違う。


ree

 なら、木村草太は最近よくテレビに出演する三浦瑠麗と同じなのかというと、それも違う。

 あれでも学者を名乗り大学で教壇に立っていたりするのかと言われるほど、三浦瑠麗の発言は劣悪である。事実誤認はするし、面白おかしくするため荒唐無稽な作り話はするし、ひどいものであるが、ウケ狙いしてなりふり構わずということで説明できる。

 ところが、木村草太は分野に限らず、物事を考える基礎ができていない。いつも、前提となる定義づけを無視するから、次元や位相の異なる問題を同列にしてしまう。これでは、狭い枠の中だけで凌いではいても、少し枠から外れたら途端に支離滅裂となって当然である。


 そして、よく木村草太は、学歴とか地位とか色々と俗な権威に対して服従するべきなのにしない人たちがいてケシカランとしたうえで、なんでそうなるのかと皮肉ではなく本当に解らない様子で宣う。

 だから、ツイッターだと「そりゃあ三浦瑠麗みたいなのがいるからでしょう」というリプライが付くわけだが、三浦より木村の方が深刻である。だいたい納得のいかないことがあったら、それはなぜなのかを自分の頭で考えるものだ。学者でなくても、少なくとも子供でなければ、当たり前のことだ。これができていないアダルトチルドレン木村草太は、知らないことを正直に言うべきところで、自分が解らないことは悪であるとし、これをいつも上から目線で説く。


 つまり、木村草太は三浦瑠麗より劣るのだ。

 
 
 
  • twitter

©2020 by 井上靜。Wix.com で作成されました。

bottom of page