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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年10月2日
  • 読了時間: 2分

 自民党の新総裁が決まって、これは党内勢力から予想できた結果だった。

 ところが選挙期間中、右派の雑誌は、候補者たちのうち高市早苗ばかり讃えていた。普通なら、選挙期間中に各候補者の政策などを比較し、結果が出たら新総裁の下で自民党はどんな路線になるか、という誌面になるはずだが、そうではなかった。

 これは、その雑誌が高市早苗に支持や期待をしているからではなく、高市早苗をネタにすれば売れるからだ。勢力からして当選の見込みが無いけれど、他より特徴があって興味を持つ読者がいるので雑誌を買ってもらえる。


 これが政権に批判的な雑誌なら山本太郎になる。

 ほんとうに政権交代を期待しての誌面なら、もっと勢力があって現実的な政策を掲げている他の野党が複数あるから、そちらを取り上げるものだし、少なくとも各政党の政策を紹介や比較検討するはずだが、これでは当たり前すぎて売れない。それで、珍奇さから興味をもたれていることでは高市早苗と共通する山本太郎のほうが売るための貢献をしてくれる。

 つまり、政治的な立ち位置が違おうと、どちらも同じくメディアのアイドルなのだ。



 この間、書店に立花隆の追悼本が平積みされていた。

 そして表紙に「知の巨人」という言葉が踊っていた。これは渡部昇一が死んだ時に上記の右派雑誌が追悼に載せていたのと全く同じである。立花隆は渡部昇一がデタラメばかり書くので「バカ」「頭がおかしい」と公の場で批判していた。

 どちらも、雑誌が持ち上げていることは同じである。次の話題となる題材を提供したり、補佐役や付き人をあてがったり、ということで盛り上げる。だから「知の巨人」はアイドルのキャッチコピーと同じである。


 こうしてメディアのアイドルは作られるものであり、芸能人と同じなのだ。

 だから、高市早苗と山本太郎を政治的な救世主と思う人も、立花隆と渡部昇一を並外れた知性の持ち主と思う人も、アイドルタレントにキャーキャー言っている十代と同じなのだ。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年8月13日
  • 読了時間: 3分

 先日、FM放送でシベリウスのバイオリン協奏曲とショスタコーヴィチの交響曲第五番という気に入った曲目のライブ録音が放送されるので聴こうとした。

 ところが、菅総理大臣の記者会見で潰れてしまい、これが有意義ならともかく、相変わらず官房長官時のように中身の無いものだったから、ひどい電波の無駄だった。

 しかも、そのとき質問していたのが江川紹子で、やはり相変わらず耳障りな声だから、綺麗な音楽を聴くつもりだったのに最悪だった。


 この江川紹子について、かつてギター漫談の金谷ヒデアキが、ヒット曲「大阪で生まれた女」を替え歌し「♪オウム騒動で~出てきた~女や~さかい~オウム騒動が~終わったらどうするの~」と皮肉っていたことがある。

 同時に出てきたのが有田芳生であった。二人とも、もともとマスコミで「カルト」と言われる宗教団体を「追及」してマスコミに出ていたが、そこでオウム騒動があったからテレビに出まくり、江川紹子はテレビに出るたびに高そうな服を着るようになったから、よほどギャラで潤ったのだろうと言われていた。そして有田芳生は議員になる。当然にして「オウム騒動の焼け太り」と皮肉られた。

 もちろん、その皮肉が真面目な報道に対してなら僻み根性でしかないが、二人ともここぞとばかりに権力に媚びて自己正当化していたから、テレビ報道の問題を追及していた新東宝~国際放映の山際永三監督は「まるで虎の威を借りる狐だ」と指摘していた。



 この「カルト」という表現自体があやふやであり、レッテル貼りに利用しやすい。

 だから「アカ」などと変わらない。自分と違う意見を論証抜きで攻撃するのに便利な言葉である。そして信仰宗教から非科学的へと理屈を飛躍させた攻撃をし、原発事故の汚染を批判するのも、ワクチンなどの薬害を批判するのも、御用学者を鵜呑み受け売りして水俣病の時と同じように「非科学的」さらに「カルト」と攻撃する。これは論証抜きで簡単だから頭を使わなくても可能だ。頭を使わず科学を名乗り賢いふりができる。


 その気取っている様子は滑稽なのだが、そもそも江川紹子と有田芳生がやっていたことである。二人とも御用学者と仲良くして、その受け売りで原発事故と薬害の問題で大企業が喜ぶことをしている。

 一見は、自民党と親密な右翼宗教を進歩的な立場から批判しているようだが、実は権勢に媚びているのだ。

 この真似をしている連中もいて、やはり党派性に基づくレッテル貼りの批判をしているに過ぎないから、中身はスッカラカンである。そして党派のことを「セクト」とも言うが、ヨーロッパでは「カルト」のことを「セクト」と呼ぶ。つまり同義語だから、カルト批判しているセクトということであり、カルト批判という名のカルトなのだ。

 うっかりしていると騙されるので要注意である。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年8月10日
  • 読了時間: 2分

更新日:2021年8月11日

 マンガ家のサトウサンペイが91歳で死んだと報じられた。

 少し前まで現役だったが、二年ほど前から止めていたとのこと。かつては朝日新聞に連載されていた『フジ三太郎』で知られていたが、これはもともと夕刊に長く連載されていたところが朝刊に移動し、すると日曜日は無い夕刊と違い週一日の休みがとれなくなってしまって、ネタを考える余裕がなくて、ネタ切れが判るひどい内容で凌いでいたり、気づかずに同じネタを再び使ってしまい読者から指摘をされたり、という醜態だった。



 この『フジ三太郎』は、朝日新聞の天皇陛下万歳体質を体現した内容だった。

 とくに、連載当時の裕仁天皇(後の昭和天皇)をひたすら美化し、よく指摘されていた戦争責任を免罪していた。これが空々しく内容が無くて、ただマンガで印象操作しているという代物だった。

 また、朝日新聞刊で桜美林大学教授の川島四郎と共著の『食べ物サンありがとう』は、まるで西武ライオンズの広岡監督と同じだったが、疑似科学と指摘される内容まで含まれていた。元軍人の川島四郎は、他の著者でも天皇賛美のうえ、それだけなら勝手だが、批判者に根拠なく人格攻撃するという非常識と狂信性だった。そこがサトウサンペイと気が合うところだったのだろう。


 さらに害毒が強かったのはテレビ化された『ドタンバのマナー』(新潮文庫)であった。

 これはテレビでは「ドタンバ君」という主人公だが実質はフジ三太郎だった。そこで俗説を常識としていることが問題で、特にエスカレーターで片側を空けて乗るものだと説いていたことは人命の危険があるからとんでもないと言われていた。

 そもそもエスカレーターでは、ぶつかると転倒・転落の恐れがあるから静かに乗ってベルトに掴まるよう広報されていたものだし、鉄道の駅など片側を空けていると半分の人数しか乗れず混雑してしまう。

 だから、片側を空けて乗るべきだと言う意見は既に否定されていたけれど、サトウサンペイのマンガに影響された人たちが多くて大迷惑となったのだ。今はコロナウイルス感染の危惧から感覚を空けるようになって事情が変わったけれど、かつては困ったことだったのだ。


 このように、日本の社会に害毒を垂れ流した朝日新聞の共犯者だったサトウサンペイである。事あるごとに糾弾しなければならない。


 
 
 
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