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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2022年1月21日
  • 読了時間: 2分

 「こども庁」の名称を「こども家庭庁」に変更した。

 これは「文教族の圧力」や「右翼宗教の影響」かと言われるが、とにかく「家庭が大事」という呪文により余計な言葉が入り込んだ名称になったわけだ。


 そして批判する人たちが指摘する。

 では、学校での虐めや家庭での虐待によって傷つき苦しむ子供に、どう干渉するのか。また、タレントのキッチュ松尾貴史は新聞連載の中で「親と別人格の個を尊重できるか」の問題がそもそもあることを述べていた。それなのに逆行しているのではないかというわけだ。

 そのような具体的な指摘が無くても言葉からして危ない印象である。



 ところが、歓迎を表明する人がいた。

 その「家庭」なんて余計な言葉が入ったことについて、大谷昭宏は日刊スポーツに連載しているコラムで、家庭が大事というのは自分が希望して前から言って来たことであり、この希望が叶って良かったと書いていた。

 つまり、まったく同意見ということであるうえ、そもそも自らの主張だとしている。


 この人の言うことは本音なのだろうか。

 もしかすると、大谷昭宏の持論だったのかもしれない。もともと、前近代の発想を、他の様々な物事に対しても、よく開陳してきたのだから。それとともに、自分と異なる意見に対して、なぜそうなのか的確に捉えて反論することができない人だった。

 だから、家庭なんて余計な言葉を付けて有害であると指摘のうえ批判する人たちの言う意味が、彼には理解できない可能性もある。


 あるいは、相変わらずの商売優先。

 大谷昭宏が似非反権力で商売優先の人であることは、彼と同じ元読売新聞の人たちも言っていることであった。金になる方へ出たがり、そのため権力に迎合する。

 この人の親分である黒田清も似非反権力であった。読売新聞からはナベツネと対立して追われたに過ぎない。このポーズだけ反権力は「黒田ジャーナル」にも反映されていた。しかし大谷昭宏はただ似非反権力だけではなく金の亡者だと、元読売の人たちは言う。テレビなど出演料が高額だと飛びつき迎合していることは、出現している番組で一目瞭然ではないかと言われ、確かにそうだとしか答えようがない。


 おそらく、大谷昭宏は両方であろう。

 あの調子では、前近代的な本音でもあり、似非反権力の商売でもある。双方が大谷昭宏の中で相性良く混じり合っているのだろう。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2022年1月10日
  • 読了時間: 2分

 誌上で刑法学者の足立昌勝氏が、選挙の野党共闘が敗北したこととマスコミの反共大宣伝の実態を分析している。

 これを読むと、まず権力による宣伝が下地にあり、これにメディアが乗っかり、さらに後から自作自演も同然に選挙結果により証明されたと騒ぐ、という図式が指摘されていた。


 ここで具体的に問題にされているのが、まず『産経』である。

 どこより、これが中心的であった。もともとそれが商売だから当然のことだろう。

 また『ヤフーニュース』で「国際ジャーナリストを自称する高橋浩佑氏」が便乗して騒ぐなどしている。これらは根拠を欠いたものだから「フェイクニュース」であると指摘していた。

 

 この元朝日の「国際ジャーナリストを自称する」人も、産経と同じ商売である。

 これについては前に述べたとおり、この人の書くことはいつも全く根拠がなく、その代わりとして一つの事で二重三重の虚偽が前提となっている。そんなひどいデタラメ発言ばかりするけれど、それがこの人の商売だから、そういうのは「ヤクザな言論」であると指摘したところ、ツイッターで「ヤクザ言論」とは「名誉毀損」だと虚偽の非難をしてきた。しかし他のアカウントから、「ヤクザな言論」なのに「ヤクザ言論」とするのは、一文字違いでも意味が大違いであるから不当であると指摘を受けていた。こんな直ぐバレル如何様によって非難をする最低の男である。



 ただ足立氏の見解は実態と少し違うことがある。

 ここで足立氏は、都会と違って地方だと共産党の悪印象が浸透しているので根拠もない話を真に受ける人たちが少なくないという見解だが、それは情報格差が激しかった大昔のことで、むしろ保守的な地方で共産党の首長や議員がザラにいたり、議員では各地を統合すると第一党だったり、ということがある。なので、それよりマスコミを利用しての派手な宣伝で威圧と同調圧力がかけられて有権者は委縮したというべきであろう。

 同時に足立氏は連合の吉野会長のヒステリックで根拠の無い反共発言も問題にしているが、これも前に指摘したとおり女性が仲間外れ遊びで楽しんでいる感覚が露呈している。


 つまり、威圧と同調圧力と仲間外れの虐めを戦術として利用したのだ。

 そもそも反共は上から押し付けられたものであり、共産党アレルギーといわれる自発的なものではない。そして地方であっても同じことであるし、ただ、威圧と同調圧力と仲間外れの虐めは地方のほうがより強烈ということである。


 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年11月26日
  • 読了時間: 2分

 「政治ジャーナリスト」の鮫島浩が、立憲党代表選挙を揶揄して同党の支持者から顰蹙である。

 この人は、プロ野球の新庄監督を引き合いに出して、実力よりも先ずパフォーマンスによる人気が大事だと説いたから、テキトーすぎるとか不真面目とか、そういう批判が出たわけだ。しかもプロ野球の喩えだって、新庄監督他の指導が理に適ったものであることは他の理論派プロ野球監督として知られていた人から指摘があり、それなのにただ目立とうとしているというのでは新庄監督に失礼だ。なので、野球の見地からも不快感を覚えたと言っていた人もいる。


 とにかく先ず目立とうというのは、そんなふうに面白おかしく書けばいいと思っている政治記者のことだろう。

 つまり自分がそんな下らないことを商売でやっているから、そういうものだと思い込んでいる。この鮫島浩という人のスタンスは佐藤章と同じであるから、もともとそういう悪ふざけとしか思えないことを商売でやっている同じ穴の狢なのだろう。同じ穴の狢といえば、前に問題に出した高橋浩佑もだが、みんな元朝日新聞である。



 これは前に話題としたとおり、右翼雑誌が自民党総裁選で当選見込みナシと判っている高市早苗を持ち上げていたけれど、政権批判で売る雑誌などは山本太郎を同じように扱っている。そうすると珍奇な方になびく客に売れるという商売だから。

 ただ、そのさい真面目にやっている方を腐すとか茶化すとかするのは、いくら商売であっても許されない。それでもやるのは、顰蹙を買ってもなお金になるからだ。

 
 
 
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