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​炬火 Die Fackel 

 北原みのりが、伊藤詩織の映画を擁護する人たちは、加害者の男が安倍政権と密接な関係であるから政権批判に結びつけたがる左翼だ、と決めつけていた。

 これは奇妙である。逮捕状を握りつぶしたことは法治国家にあるまじきことで、特に左翼として問題にすることではない。

 この北原みのり式ネトウヨ的な発想が、伊藤詩織バッシングの総ての根幹にある。そう考えれば叩いている連中について実によく納得できる。



 また、北原みのりが共感する弁護士の発言にも驚愕させられる。

 その弁護士の発言とは「恩を仇で返してはいけない」であった。弁護士と依頼者は契約関係である。法的な問題があれば個人的に指摘などするべきものだし、それをはみ出してはならない。「法は道徳に踏み込まず」の大原則があるからだ。

 だから、その元代理人たちの言動には、他の弁護士たちからも批判が出ている。


 その元伊藤代理人の弁護士の資質は前から問題だった。

 これについては、ここを訪問して閲読している人たち、および前に書いていたblogの司法問題を閲読していた人たちなら、既に知っていることだ。もう随分と前に、伊藤詩織さんは、こんな弁護士を雇って大丈夫なのかと述べていた。

 また、小説家が権勢に媚びてイジメのような発言をして無知をさらけ出していることも滑稽だが、ジャーナリストを名乗る連中が知ったかぶりして「伊藤詩織は駄目だ。ジャーナリズムとは~」と偉そうに説いているのも滑稽である。 

 

 そういう実態を曝け出すようにしてくれたのも伊藤詩織の功績と言える。


  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2月20日
  • 読了時間: 2分

 「望月衣塑子記者は黙れ」

 と言っている人たちに伝えたい。東京新聞が「空気を読まない記者」をつくり続ける理由。

 

...と広報しているのは、黙れとか言っている人たちがいてこその話だ。

  それがなくては何の意味もない。


 つまり非難されてナンボどころか、非難されること自体が目的だ。

 これはネットスラングでいうところの「炎上商法」だから。もともと東京新聞のやっていることは「隙間産業」であり、全国紙がことごとく堕落してしまった間隙を突いての話題作りをしているにすぎない。

 そこで一種のアイドルを作った。それが望月記者である。美人でパフォーマンスが上手いから。


 それで東京新聞の紙面はどうか。

 ちゃんと読むと、朝日新聞や読売新聞などの全国紙と同じである。そこで記者が騒いで見せるのは宣伝であり、記事が他と変わらないのに記者が騒いで何か違うように言うのは虚偽である。

 もともと、ズバズバ質問する新聞記者はザラにいたし、それが当たり前だった。そうでない馴れ合い記者も昔からいて、そんな馴れ合い記者の方が軽蔑されていたものだった。それが空気を読むのが当たり前になってしまって、そうしないで騒ぐことを売りにする新聞がある、ということからして情けないのだ。


 それでも紙面が他に比して良いなら結構なことだ。

 しかし最初に述べたように飽くまで炎上商法であり、注目されるために記者が騒ぎ非難されること自体が目的だから、肝心の記事は全国紙と変わらない。

 そもそも地方紙では、全国紙以上に、配信記事に依存したり受け売りの記事が多くなったりするのは必然である。

 それでもウケると踏んでいるのだろうか、東京新聞の営業や広報は。  

  

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2月1日
  • 読了時間: 3分

 今、フジテレビのことで話題の日枝久。

 もともと彼は労働運動に熱心で、当時の差別的な規定を廃止させたと言われている。それは女性の定年が二十五歳という、まるで風俗店のような規定である。

 その女性差別を撤廃させた人が経営者になったら、社員の女性への性暴力が問題になっている。労働運動に熱心ということは左派だったけれど、経営者になったら自民党にすり寄っていた、という日枝の経緯は周知のとおり。すると女性への態度も変節したということになる。もともと自民党など日本の政権側はひどい性差別体質であるから。



 ところで日枝はフジテレビのドンと言われてきた。

 そもそも、彼はフジサンケイグループの総帥で独裁者とも言われた鹿内信隆の息子=鹿内春雄から目をかけられてフジテレビの絶頂期を築いた人だ。

 この鹿内春雄は親の会社で働いているから組織の上層部に安易に昇ったというだけでなく、仕事も頑張っていた。そこで、低迷していたフジテレビを立て直し「テレビ業界の台風の目」とまで言われた。


 かつて「母と子のフジテレビ」というキャッチフレーズだった。

 そして『ピンポンパン』や『ポンキッキ』などの幼児番組に力を入れ、これは一定の人気もあった。ところが、全体的には視聴率が低いからスポンサーが付かず広告収入も少ないので経営状態が良くなかった。

 それで80年代になって方針転換して娯楽を中心にした。


 「面白くなければテレビじゃない」 

 という新しいキャッチフレーズで、軽薄な文化ということで「軽チャー」と皮肉られたが、それによりフジテレビ好調の象徴といわれる番組『なるほどザワールド』や、お笑い番組の『ひょうきん族』や『笑ってる場合ですよ』『笑っていいとも』などを局の中心的な番組とした。

 また、報道番組が軽いトピックス程度の内容ばかりで、あとは政権与党に媚びるだけ、という路線になる。これにより質が低下したと言われても、主要な時間帯と平均した時間帯などの視聴率で一位となり、広告収入が激増したから不振だった経営はすっかり改善した。

 

 鹿内信隆は息子が優秀な後継者になると喜んだ。

 ところが鹿内春雄は病死してしまう。いわゆる働き盛りの死だった。そして日枝久が後を継いだような形になった。しかし鹿内信隆は同族経営にこだわった。家業だと思っていた。これが産経新聞だけなら、他にもある。朝日新聞の村山家とか、読売新聞の正力家とか。しかし電波による免許の必要な放送で家業というのは不適切だ。公共性が全然ちがうのだから。それでも鹿内信隆は息子が死んだら娘婿を後継者に据えた。

 これで安心だと鹿内信隆は思ったのだろうか。実際には、鹿内信隆が死んだら、一年もしないうちにクーデターが起きた。この手法は三越のやり方を真似たような奇襲攻撃だった。しかし三越の場合は不祥事があったのに対しフジサンケイは不祥事も業績悪化も無かった。それでも、娘婿を後継者なんて不適切という解任の動議だった。やめるべき、どころか、なるべきでなかった、という全否定である。


 その娘婿の鹿内宏明はクーデターについて言った。

 いつも従順な日枝が首謀者とは参ったな、と。シーザーの「ブルータス...」どころの話ではなかったのだ。

 ただ、面従腹背だった日枝の気持ちは解る。今まで使えていた人が死んだら、自分を差し置いて、前に使えていた人の親父の娘婿が次の仕える人、ということになって、面白くない方が普通ではないか。

 そうだろう。違うかな。

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