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日枝の気持ちは理解できる

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2月1日
  • 読了時間: 3分

 今、フジテレビのことで話題の日枝久。

 もともと彼は労働運動に熱心で、当時の差別的な規定を廃止させたと言われている。それは女性の定年が二十五歳という、まるで風俗店のような規定である。

 その女性差別を撤廃させた人が経営者になったら、社員の女性への性暴力が問題になっている。労働運動に熱心ということは左派だったけれど、経営者になったら自民党にすり寄っていた、という日枝の経緯は周知のとおり。すると女性への態度も変節したということになる。もともと自民党など日本の政権側はひどい性差別体質であるから。



 ところで日枝はフジテレビのドンと言われてきた。

 そもそも、彼はフジサンケイグループの総帥で独裁者とも言われた鹿内信隆の息子=鹿内春雄から目をかけられてフジテレビの絶頂期を築いた人だ。

 この鹿内春雄は親の会社で働いているから組織の上層部に安易に昇ったというだけでなく、仕事も頑張っていた。そこで、低迷していたフジテレビを立て直し「テレビ業界の台風の目」とまで言われた。


 かつて「母と子のフジテレビ」というキャッチフレーズだった。

 そして『ピンポンパン』や『ポンキッキ』などの幼児番組に力を入れ、これは一定の人気もあった。ところが、全体的には視聴率が低いからスポンサーが付かず広告収入も少ないので経営状態が良くなかった。

 それで80年代になって方針転換して娯楽を中心にした。


 「面白くなければテレビじゃない」 

 という新しいキャッチフレーズで、軽薄な文化ということで「軽チャー」と皮肉られたが、それによりフジテレビ好調の象徴といわれる番組『なるほどザワールド』や、お笑い番組の『ひょうきん族』や『笑ってる場合ですよ』『笑っていいとも』などを局の中心的な番組とした。

 また、報道番組が軽いトピックス程度の内容ばかりで、あとは政権与党に媚びるだけ、という路線になる。これにより質が低下したと言われても、主要な時間帯と平均した時間帯などの視聴率で一位となり、広告収入が激増したから不振だった経営はすっかり改善した。

 

 鹿内信隆は息子が優秀な後継者になると喜んだ。

 ところが鹿内春雄は病死してしまう。いわゆる働き盛りの死だった。そして日枝久が後を継いだような形になった。しかし鹿内信隆は同族経営にこだわった。家業だと思っていた。これが産経新聞だけなら、他にもある。朝日新聞の村山家とか、読売新聞の正力家とか。しかし電波による免許の必要な放送で家業というのは不適切だ。公共性が全然ちがうのだから。それでも鹿内信隆は息子が死んだら娘婿を後継者に据えた。

 これで安心だと鹿内信隆は思ったのだろうか。実際には、鹿内信隆が死んだら、一年もしないうちにクーデターが起きた。この手法は三越のやり方を真似たような奇襲攻撃だった。しかし三越の場合は不祥事があったのに対しフジサンケイは不祥事も業績悪化も無かった。それでも、娘婿を後継者なんて不適切という解任の動議だった。やめるべき、どころか、なるべきでなかった、という全否定である。


 その娘婿の鹿内宏明はクーデターについて言った。

 いつも従順な日枝が首謀者とは参ったな、と。シーザーの「ブルータス...」どころの話ではなかったのだ。

 ただ、面従腹背だった日枝の気持ちは解る。今まで使えていた人が死んだら、自分を差し置いて、前に使えていた人の親父の娘婿が次の仕える人、ということになって、面白くない方が普通ではないか。

 そうだろう。違うかな。

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