- 井上靜

- 6月5日
- 読了時間: 3分
外国人観光客のマナーが悪いと文句を言う日本人がいる。
とくに中国人の田舎者が傍若無人であるからだ。セレブとまでいかないけれど、そこそこ余裕のある層の人たちが、近場の外国に観光に行き田舎者まる出しで行儀が悪い。
しかし、日本人も昔から「農協ツアー」が同じだった。だから筒井康隆が『農協月へ行く』という小説を書いてウケていた。月に観光で行けるようになったら、そこで農協ツアーの集団が田舎者まるでしてマナーの悪さを剥きだしにする話だ。

買春ツアーも国際的に顰蹙を買っていた。
これは日本でも恥ずかしいと言われ、テレビなどマスコミでも取り上げられていた。日本は「恥の文化」がある一方で「旅の恥は搔き捨て」とも言われている。それで外国に行くとマナーが悪いうえ、買春も盛んにやっていた。それが会社の仕事で外国に行って、ついでに個人でコッソリというのではなく、上司や取引先が率先してのことだった。
特に東南アジアでは、児童買春の客にもなっていた。かつての円高の時は、その格差を利用して東南アジアに行って児童買春の客になり、それを帰国してから大喜びで語っていた日本人が大勢いた。
台湾の映画にも描かれていたので、NHKが取り上げていた。
ここで映画解説者の佐藤忠男が出ていて、外国の映画で日本人がどう描かれているのかという話題の中でのことだった。
いかにも日本人の会社員のオジサンという人たちが仕事で台湾に来ると、会社ぐるみの買春で狂喜のうえ、その話を白昼堂々と街中で楽しそうに話すから、取引先の社員で案内役をしている若い台湾人男性が注意する。「台湾には日本語が解る人が大勢います」と。
ところが日本人のオジサンたちは、どうせ日本に帰るのだからいいんだと言う。「旅の恥は搔き捨て」ということだ。しかし案内役の若い男性が「でも、後で、こんな日本人たちがいたという悪い評判が立ちますよ。どこの国でもそうだけど、台湾だって、人前で平然とセックスの話をすることはありません。マナー違反です。日本語が判る人が多いのも戦争中のことがあったからです。だから、なおさら…」というと日本人の会社員のオジサンは「日本は戦争で何も悪いことしてない。鈴木明の『南京大虐殺のまぼろし』という本を読めばいい。あんな事件は無かったんだ」
これに台湾の男性は、商売の取引とはいえ、こんな日本人と付き合うべきなのかと悩む。
つまり外国と商取引していても実は「井の中の蛙」でいる日本人ということ。
だから国内で歴史修正主義を頑張ってみても、それを外国からは無反省が今も続いている恥知らずの日本人と受け止められているということだ。そして、いずれは「金の切れ目が縁の切れ目」となる。
実際に、日本人のマナーが良くなったのではなく、日本は金が無くなって今までのように出来なくなっただけ。かつては「じゃぱ行きさん」と言われた日本に買春に行く女性がいたけれど、今では逆に日本人女性が外国に出稼ぎ売春したり、街頭で十代の女の子が「立ちんぼ」したり、という現状である。
いま、日本人が外国人観光客のマナーを悪いと言っても、それはかつて日本人が外国に行ってやっていたことであり、それが経済的優位さが逆転したため、やられているということなのだ。だから、外国人のことを言えば言うほど日本人が恥ずかしくなってしまうのだ。「日本人は中国人と違って礼儀正しくてマナーが良い」と言ってもらえるのは、日本人の方が金を持っていたからで、そうでなくなれば言って貰えなくなる。売春でも日本人が好評だったのは、あくまで「払いが良くて、早く終わる」からである。そう言われて散々、笑われていた。これからは日本人が好評なのは「早く終わる」だけである。それを心すべきだ。


