top of page

​炬火 Die Fackel 

 愛知県知事リコール問題で、例の高須氏により告発された香山氏や町山氏ら四人について、愛知県警察は捜査の結果を検察に書類送付するさい起訴を求める意見はつけなかったのだが、これを一部のマスメディアはあたかも犯罪嫌疑が相当に存在したから書類送検したように報じた。

 このため、実際に誤解している人たちが世間に多くいるから、町山氏は誹謗中傷した人たちに法的措置を取ると言っている。また、同氏は、報道も問題だが高須氏の告発も、批判を委縮させるための訴権濫用ではないかと批判していた。


 そもそも、そんな訴えを警察が受け付けていることが悪い。

 このようなことがあると、警察は必ず、告訴状や被害届には必ず対応しなければならないから仕方ないと、あからさまな嘘を言う。

 では、かつて大問題になった桶川駅前での女子大学殺害事件は何なのか。埼玉県桶川市の跡見女大生が、通勤通学でごった返す駅前で暴漢に襲撃され死亡したが、この女子大生はストーカーによる執拗な嫌がらせと脅迫に怯え、両親とともに警察に被害を訴えていたが、無視も同然の対応をされた。この時、犯人は脅迫電話で、警察は自分の味方だと言わんばかりのことを言い、だから訴えても無駄だと嘲笑っていた。これは被害者が録音していて後にテレビで放送され、みんな驚いたものだ。そして、遂に殺人事件に発展したら、被害者は自業自得だという偽情報を警察からマスコミに流されたのだから、警察と犯人との癒着も疑われた。

 この他にも、警察が対応を拒み強盗殺人に発展したら、実は犯人グルーブの一人がその警察署の警官の息子だったという事件もあった。

 

 いつも警察は、告訴状や被害届を「水際作戦」で受け取ろうとしない。

 それは、受理してしまうと事件を捜査したうえ報告の書類を作って検察に送らなければならないから、仕事が増えるのを嫌がっている。というのは表向きで、現実には、善良な市民の被害などどうでもよく、悪い人達それも財力とか権力とかコネなどがある人たちが威圧や嫌がらせをするさいにだけ、受付けているからだ。

 特に、今の政権に近い人と、その反対側の人たちとで、露骨な対応の違いを見せる。



 しかし、警官は必ず、訴えを拒絶したことを否定する。

 だから、警察署に行くときは、先ず、録音しておくこと。これは昔から常識だが、今は携帯電話で通話中にして、仲間に録音させておくこともできる。これなら録音機を取り上げられない。

 さらに、スマホで動画撮影する。受け付けないと言うなら、他の警察署に持って行くが、そこで最寄りの警察署に持って行けと言われるから、そうしたけれど拒否されたと言うためだと言う。また、何月何日であることを言わせ、担当の警官の官名・職名・氏名・所属の告知義務が公務執行にさいして有るから名乗らせること。公務執行中の国家公務員は個人責任が無いので肖像権も無いから、この動画をSNS投稿することも告げること。

 そして、あとは他の警察署に持って行くか、警察署あてに内容証明で告訴状か被害届を出すこと。前にも述べたが、自宅で保管していると、警察が口実を設けて家宅捜索して押収することがあるから、こうしたものはデーター化して外国のサイトに非公開で保存しておき、定期的に現状維持を継続しないと自動的に公開されるようにしておくことである。


 もちろん、最初から喧嘩腰ではなく、警察官から難癖をつけられたら、それについて詳しく質問をしたうえいったんは引き下がり、後から「丁寧な助言をいただいたので、それに従って書き直してきました」と慇懃に言うことである。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年9月7日
  • 読了時間: 2分

 殺人事件の犯人が善良な人だったから人間の闇を見た、と言っている人がいた。

 けれど、金目当ての殺人事件を起こして10年くらい刑務所に入った人を直接に知っているが、この人はとても良い人で、あくまで昔一度過ちを犯したに過ぎないし、色々な事情から追い込まれてのことだったから、他の事件にしても、そんな人間の闇というほど深いものがあるのかと疑問である。


 また、逆に身に覚えのない犯罪により逮捕されたとか刑務所に入れられたとかで、それは偏見のためだったということが、よくある。

 けれど、その偏見の原因が過激派団体に入っていたからである人は例外なく、冤罪でも構わないから豚箱にぶち込んで一生出すなと誰でも思うほど嫌な奴であるもので、これについて過去に過激派団体に入っていた人に聞いたら「ああ、もともとも党派とかセクトとか言われるところにいる人には、嫌な奴が多いからな」と言った。



 だから、刑罰なんてものが社会のため本当に必要なのか疑問である。

 もともと刑罰は、宗教の影響により社会に制度が作られたものだから、とっくの昔に否定されているべきものだ。そもそも「罪」というのが宗教的であるから、法で「罰」により罪を償わせるという発想に無理がある。

 おそらく、いずれは刑法というもの自体が否定されるだろう。もちろん、その前に宗教が今より完全に否定されてからだろうが。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年8月18日
  • 読了時間: 3分

 「メンタリスト」がYouTubeで差別発言したことについて、米山もと新潟県知事は、社会に必要な人と不要な人と言っている人の肩書「メンタリスト」こそ、社会に必要なのか疑問だとしたうえで、自分で資格を持つ弁護士だって果たして社会に必要か疑問があるとTwitterで指摘していた。


 前に法律相談をした弁護士の女性がひどい無知で、それが一般常識はもちろん、それ以上に法律的にも御粗末だった。

 この人はベテランそうでいて、チマチマした手続きを代行するのが主な仕事らしく、丁々発止とやり合う仕事は体験が無いようだった。その時は呆れたが、そんな弁護士はザラにいるので、怒っても仕方ないと諦めた。

 こんなヘボ弁護士を雇うのは無駄どころか有害であることはもちろんだが、ここまでヘボでなければ自分より無知でも客観性という点で有益ではある。


 かつて話題になった『フィラデルフィア』というハリウッド映画で、主人公の弁護士は、差別で不当に解雇されたと元勤務先の大手法律事務所を訴えるさい、個人事務所で庶民的な案件ばかり扱う弁護士を雇う。相手が大きくて差別問題もからむため他に引き受ける弁護士が居なかったからだが、しかしキャリア的に格下の弁護士でも、客観性が必要だからだ。

 これと同じで、訴えられた大手法律事務所も、大勢の弁護士が所属しているのに、他の法律事務所から優秀な弁護士を雇う。

 そして法廷で原告は、HIV感染のため解雇されたと主張し、これに対して被告の法律事務所は、感染には気づいていなかったと反論する。ここで、病気であることは皮膚を見れば症状が現れているからハッキリ判るから、証人席でシャツを脱いで見せることになる。



 すると、メアリースティーンバーゲン扮する被告側の聡明そうな女性弁護士が「異議あり!陪審員に予断と先入観を持たせることです」と言うと、デンゼルワシントン扮する被告側の庶民的な弁護士が「では、車椅子の証人だったら、陪審員に予断と先入観を持たせるから車椅子から降りろと言いますか!」と反論し、この反論が裁判官に認められてトムハンクス扮する主人公がシャツを脱ぐと、ひどい発疹であったから法廷内の誰もがビックリして、これで気づかなかったなんて空々しい弁解だと陪審員は思う。

 これは法廷ドラマそれもハリウッド映画だから、アカデミー賞スターたちの熱演によって劇的すぎる展開となる場面だが、それを差し引いて、客観性の大切さが解るというものだ。


 例えば、普通にある日本の裁判でも、調書に明確に残すべきことは、反対尋問では誘導が許されているので、弁護士が「これは~の意味ですね」と質問し、原告または被告が「はい」と言うなど、そんなやり取りをするものだ。

 だから、客観性ということで弁護士がいた方が良い場合がある。そうでなければ弁護士は不要である。つまり、弁護士を雇う時は、その知識は大事だが、それ以上に、一歩引いた客観視と、それに基づき気を利かせられるか、ということが肝要である。



 
 
 
  • twitter

©2020 by 井上靜。Wix.com で作成されました。

bottom of page