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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2023年8月1日
  • 読了時間: 2分

 『火垂るの墓』のアニメ化を原作者の野坂昭如は観ていないと言っていた。

 このアニメ化では、西宮のおばさんが只の意地悪にしか見えない描き方であった。小説と違って背景を詳しく説明するわけにはいかないのが映画である。

 だからなのか、かつて松嶋菜々子が西宮のおばさんに扮したドラマでは、その動機が解かり易くなる場面を加える脚色をしていて、しかもそれは戦争批判がより強まる内容だった。


 西宮のおばさんは、夫が戦死した知らせを受けて泣いていたが、それを励ますつもりで清太は、国に命を捧げたのは立派なことなのだから悲しんではいけないと説教してしまい、おばさんは激怒、嫌がっているのを引きずるように連れて行かれて虫けら同然に殺されたんだと言うと、そんなことは非国民の言うことだと清太は批判する。これで決定的に、おばさんの態度が変わるという脚色だった。



 さて、松嶋菜々子のデビュー作は連続ドラマ『ひまわり』であった。

 これは始まるさい『♫君が〜跳んだ〜水たまり〜へと、夏の~…』と山下達郎が歌っていた。

 この松嶋菜々子が司法修習生の主人公を演じたドラマの当時、自分は医療訴訟の初期で、弁護士に女性の司法修習生が付いていた。彼女は『ひまわり』観ていると言ってた。

 彼女は拙陳述書を読んで医学部の図書館で関係する文献の複写をして来てくれたが、完璧だったので同じ法律事務所のベテラン弁護士が「優秀だな」と感心した。

 主任弁護士は、陳述書がシッカリしていたと言い、書けない依頼人が多いから、書ける依頼人は助かるとしながらも、読んだだけで医学文献を調べた司法修習生は凄いと褒めていた。

 極めて難しい医療訴訟で勝訴しマスコミから取材という結果に、彼女の貢献度は高かった。その後、主任弁護士に紹介された法律事務所に就職した。


 松嶋菜々子と山下達郎のことで懐かしいことを思い出した。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2023年7月21日
  • 読了時間: 2分

更新日:2023年7月21日

 れいわ新選組の大石議員に名誉毀損で倍賞命令の判決。

 これは元TBS支局長で強姦魔・レイプマンとして有名になった人の態度を、同議員が批判したことで訴えられたものだった。そして、嘘偽は無いが激しい侮辱があったとして、請求金額に比して少ないものの22万円の慰謝料を払えということだ。

 なにかというと「クソ野郎」という俗語があったことくらいの根拠らしい。


 つまり、言葉尻を捉えて事実でも名誉毀損という嫌らしい判決。

 ただし、誰が被告であっても常に同じならまだしもである。ところが実際は、権力に近い者なら汚い言葉でも許されるというのが、日本の裁判なのだ。

 しつこく前からここで指摘してきたとおり、日本の司法には「法の下の平等」がないのだ。だから法廷で堂々と「こちとら政府に近い立場だからヨロシク」という言葉が飛んでいるのだ。

 また、汚い言葉といえば、裁判官が差別用語を書面に書いたことがあり、こういう場合は法務局の人権擁護委員会に訴えるものだが、すると相手が裁判官なので勧告できないと言う。もちろん、これでも裁判官なのか、それ以前に大人の良識があるのか、という酷さで、それは解っていても地位がある人は特別扱いなのだと人権擁護委員も嘆く。



 「クソ野郎」なんて漫画や映画の題名にもなっている。

 場合によっては悪口だが、罵倒後としても大したことが無いというのが社会一般の感覚であろうし、法的に問題がないのは常識だろう。少なくとも差別用語ではない。

 もちろん被告が反政権の議員だから、政権ベッタリ記者に味方したのだろうが、あと同議員は国会質問で冤罪の問題を厳しく追及したので裁判官は反感をもっていたはず。よくあることで、露骨に法廷で口にする裁判官も少なくない。

 これが怖くて最近は共産党と系列の弁護士は委縮している。この点では大石議員の方が立派だ。社民党の福島瑞穂議員も弁護士だった立場から質問していた。彼女たちに比べていかに共産党の議員および系列法律事務所の弁護士たちが自己保身や無知無関心であるかという実態は、ここで前に何度か指摘したとおりである。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2023年7月11日
  • 読了時間: 2分

更新日:2023年7月19日

 冤罪袴田事件で検察は抵抗している。

 無駄な有罪立証なんかせずに速やかな無罪判決のため審理に協力するよう要請されているが、検察の体質からして合理的な対応は期待できない。


 袴田事件の弁護団にいる弁護士は批判していた。

 検察官は、袴田さんを今でも犯人だと信じて「死刑にしろ」と言っている。そういう意味になる、と。こんなことが許されていいはずない、と。


 しかし犯人だと信じているなら検察官がバカであるに過ぎない。

 もちろんバカかもしれないが、だとしてもバカなだけでないはずだ。なぜなら犯人だと信じてないからだ。いくらなんでも、あれで犯人だと本気で信じるなんて、そこまでのバカは居ないだろう。

 では、よく言われるように誤りを認めたくないのか。そうでもないはずだ。すでに面目は潰れているのだから。

 では、なぜか。


 検察官が倒錯しているからだ。

 検察官は、犯人ではない人を犯人だと決めつけて、本人とその家族の人生を滅茶苦茶にする権力を我々は持っているのだと悦に入っているのだろう。

 かつて、元検察官の教授に大学で刑法を習ったさい、彼が強調したことは、「検察官は神の使いであり、その使命は人々の原罪を法律違反の形に適当に変えることで償わせてやる愛の行為だ」ということ。いつも説いていた。

 そうだとしたら、検察官はアニメの「使徒」と同様の危ない存在である。


 したがって、無実の主張は神に逆らうことになるのだそうだ。

 たしかにそんな発想でないと有り得ない態度だ。この人だけでなく、検察官は似たような発想で司法を語る。

 これは「検察ファッショ」と昔から言われる日本の司法制度が原因である。特に刑事訴訟法は検察官の権限が強く、しかも匙加減で人間の生殺与奪を好き勝手にできる形になっていて、これが「我々は神の使徒」という思い込み・思い上がりをさせる。

 だから先の元検察官法学部教授は、陪審員制度の復活など絶対に反対だと言っていた。無罪になるなら最初から検察が不起訴にするものだから、起訴されたら絶対に有罪であり、それは検察官が優秀であるからで、しかも優秀だから人の生殺与奪を握っているので神様に準じた存在であるという論法である。

 こういう心理を「神錯覚」(ゴッド・コンプレックス)という。


 この病理への対策はある。

 まずは刑事訴訟法の全面改正、次に陪審員制度の復活、これが日本の司法に必要である。

 
 
 
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