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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年10月19日
  • 読了時間: 2分

 広告業界の最大手である電通が宣伝文句の作成にAIを導入する。

 これによって経費を半減できるらしい。もともと決まりきったようなものだから、過去の定型から判断することは簡単なことだろう。

 コピーライターの他にも色々、例えば作曲家も同じことになっている。


 そんなことはAIがやれると指摘したら反発した作曲家がいた。

 この人は受賞したことがあるけれど、その後はサッパリ売れてない。それで音楽教室を経営しながら仲間たちと自費で発表会を開催していた。これを聴いた女性が、極めて苦痛だったと言う。短い曲なのに、まだ終わらないのかと思ったそうだ。作った方は、理論的には正しいと言う。それだったらAIで作ればいい。そうなると、ただでさえ経営が苦しい音楽教室が無用になる。

 そうは認めてないが、要するにそういうことである。 




 

 司法こそAIを導入するべきだ。

 これは前からジャーナリストの寺澤有氏が主張していたことだ。裁判官の不公正が酷すぎるし、世間一般の常識はもちろん、専門であるはずの法律にも無知すぎる。

 また、袴田事件再審結果に対する検察の態度が無茶苦茶であることも同じこと。自分の間違いを認めたら死ぬと思い込んでいるような態度である。それくらい自信が無いくせして歪んだエリート意識だけは旺盛だから選民思想に毒されている。

 もちろん弁護士も不勉強で、資格を取ったら勉強をしなくなる。医師は免許を取得してからも勉強している人がいる。真面目な人はそうだ。そうでない人もいるが、弁護士よりははるかにマシである。


 これなら、万能ではなくてもAIの方が有能である。

 法的な判断を一切しない判決文が当たり前なのが日本の裁判官の実態である。悪意はもちろんあるし、法に無知で調べるのもかったるいという態度の裁判官が当たり前のようにいる。これは検察官も弁護士も同じである。

 だから司法こそAIを導入するべきである。少なくとも公正である。そうなると、AIが適切にプログラムされて以上なく作動していれば、国家賠償請求訴訟とか医療過誤訴訟とか公害や原発の訴訟で、権力や大資本など、これまで常勝していた側が敗れる率が急上昇するはずである。   

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年10月15日
  • 読了時間: 2分

 「プチエンジェル事件」が報道サイトに出ていた。

 2003年に小学校六年生ほ含む少女四人が赤坂のマンションで誘拐され、その犯人が所有する児童買春のビデオが大量に発見された。この犯人の男は後で自殺、この利益は35億円におよび、顧客名簿には政治家や裁判官の名前が数千名掲載されていて、これを警察は架空のものとして否定したうえ事件発生地を渋谷に変更し、単独犯行として捜査を打ち切った。取材していたフリーのルポ屋が不可解な死を遂げてもいる。

 このため、顧客は本当で、だから犯人は殺害されたのではないかと疑われた。



 その疑いのとおりなら、政治家や裁判官を匿っただけではないだろう。

 そうして警察は政治家や裁判官を脅す材料にしているはずだ。前に取り上げた話題で、裁判官には警察が間違うわけがないという思い込みがあると批判する弁護士がいたけれど、いくら何でもそこまで非常識な裁判官はおらず、警察に弱みを握られているからだろう、と指摘した。


 かつて東京高裁の裁判官が少女買春で逮捕された。

 かなり積極的に漁色していたことも判明し、裁判では格下の地裁判事から「ロリコン」「スケベおやじ」と言われ、有罪となり失職しているが、もしも警察がらみの事件や政治的な事件を担当していたら、内緒にしてやるから言われたとおりの判決にするよう持ち掛けられ、当然のこと話に乗っただろう。

 警察を告発した映画『ポチの告白』では、カメオ出演する宮崎学が裁判官に扮し、警察から電話で脅される挿話があった。風俗店に入り浸ったことや、十代の女性とホテルに行ったことを言われ、暗に裁判で警察の期待する判決にするよう求められる。この映画は事実をモデルに構成されたフィクションだから、元のネタは存在している。


 「ご内密に」と言う裁判官を直接見たときは驚いた。

 そういうことがあるだろうとは思っていても、直面した時は、ここまで露骨なのかと驚き、また呆れたものだ。

 これは聖職者が未成年者に性的虐待をするのと構造が酷似している。禁欲生活や受験勉強ばかりで、成人してから悪いことをしてしまう。それを咎めるのが難しい。真面目で偉い人ということになっているから、悪いことをしたと認めないし、その周囲にいる者たちも庇い、時には悪いことしたと信じず、告発者を非難する。

 

この問題に対して、弁護士やジャーナリストが及び腰であることも、告発が表沙汰にならない一因である。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年10月13日
  • 読了時間: 3分

更新日:2024年10月13日

 再審で無罪となった袴田事件で検察は控訴を断念した。

 すでに、控訴しないよう法の専門家たちが声明を発表していた。無駄な控訴で引き伸ばし高齢の袴田氏の名誉回復をしないというのは非人道的であるから。そして検察としても、控訴したところで無罪判決を覆すのは無理そうだと判断したようだ。

 それでも控訴を検討していたのは、証拠の捏造が認定されたことで面子に拘っていたから。



 証拠の捏造は警察の仕業である。

 しかも、捏造や拷問が当たり前の静岡県警である。そんなところに騙されたというのが、検察としては恥だと思っているのだろう。だから、悪いのは警察でも、検察は面子にかけて騙されたことを否定するために、控訴を考えていたはずだ。

 これは、警察に対して検察が優越感を持っているからだ。司法試験に受かった法律家であり、体育会系的な警察とはちがって頭が良いのだと自負というか自惚れている。少し前に、ここで、大学の法学部教授で元検察官の歪んだ選民意識について述べたが、これもその一つである。



 「おれはだまされないぞ」

 いきなりうそぶく検察官が、映画『それでもボクはやってない』に描かれていた。この映画は実際にあったことを監督が取材して脚本を書いている。その一つが、この、送検された被疑者に対して、警察官と違って検察官は優秀だからと強がることだ。それが、優秀だから真実を見抜けるというのではなく、悪いことをしたと決めつけたうえで、それを逃さないと言う。

 これは例の元検察官の法学部教授と同じで、歪んだエリート意識で、実は劣等コンプレックスの裏返しである。だから権力をかさに着て市民を迫害して、憂さ晴らしをする。その程度のことをしている自分に気づけない。


 そもそも検察が控訴できる制度が間違っている。

 アメリカでは、無罪判決になったら、検察から控訴することはできない制度になっている。権力と公費を使っても有罪にできなかったのだから、それに不満で覆そうなんて許されないのだ。

 ところが、日本では無罪になっても検察が控訴したうえ、控訴審では必ず強引に有罪とする裁判官が出てきたり、検察官から裁判官に逆転有罪をよろしくと言って馴れ合ったりしている。

 これで、明らかに証拠から無罪となった人が逆転判決で刑務所に入れられたり死刑になったりの連続というのが日本の司法の現実である。

 そして、この現実は不正義だと言うと、多くの庶民が、偉い人たちが間違うわけがないから犯人に決まっているので殺すべきだと言うのも、日本の現実である。ただし、これについては、先の元検察官の法学部教授も認めていて、そうなってしまうのは庶民がテレビの刑事ドラマに中毒しているからだと言う。犯人を警察が捕まえて総て解決となり、その後の裁判は出てこない。まあ、これは相当の部分で当たっていると思う。

 

 
 
 
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