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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年12月25日
  • 読了時間: 2分

更新日:2024年12月25日

 医学生の性暴力に逆転無罪判決に非難轟轟。

 これは、事実認定の非常識が原因であるが、前から医学生の性暴力が司法から見逃されていた。自分が医療訴訟をしているときも、医師の弁護士は言っていた。医師は社会的地位が高い。その虚名に傷をつける行為は許さないということだ。

 これは拙書『防衛医大…』https://joesuzuki3.wixsite.com/website(ホームページ参照)でも述べたが、医学的に非常識な手術で腕が動かなくなり音楽大学の受験ができなくなったことについて、その程度のことで医師が責められる筋合いではないと医師が居直っていた。



 これは加害医師だけではなかった。

 他の病院の医師たちからも、嘲笑された。「どうせ大した才能じゃなかったんでしょう」「仮にモーツァルトみたいな天才だったとしても、それをメスでチョンだ。医者って凄いな」などなど。

 そして「当たり前だ。それくらい医者は偉いんだ」と言った医師。

 しかし、少なくない医師が、こうも言う。「確かに医師は偉い。人の命に直接かかわる仕事をしているのだから。それだけ責任が重い。職能でも人柄でも、厳しい目で見られて当たり前だ」

 ところが、これを逆手にとって、医師に雇われた弁護士は、こんな屁理屈を言った。「だから医師ともあろう者が間違いをするわけがない。医師が間違ったというのは虚言癖によるものだから、医師の誤りを訴える者の言うことは無視するべきだ」


 今回の医学生性暴力逆転無罪判決で思い出す裁判官がいる。

 医師を訴えるなと常日頃から言う裁判官は、患者が勝訴したうえ病院の側も非を認めて控訴しなかった事件に対して、「控訴したら私が逆転判決してやったのに」と言った。他の裁判官の事件に口出しする裁判官としても有名だった。

 そして退官してから、悪徳企業といわれる会社の顧問弁護士をやっていた。この話題は、前も取り上げたが、この裁判官は他にも司法のblogなどで最低最悪だと名指しされていた。


 とにかく、これで日本の医療や司法の実態が、また明らかになったと言える。

 


 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年12月23日
  • 読了時間: 2分

 医学生の性暴力に逆転無罪判決。 

 これに非難轟轟なのは、女性が拒絶して言った言葉を変態プレイのものとして合意があった可能性があると言う理由だったからだ。となると、この裁判官は、そういうことを自分が好きだから、それが普通だと思っているのだろうと呆れられ、また、これでは拒絶しても駄目ということになってしまうと、暗澹たる気持ちになったと女性たちが言っている。



 前にも医学生の性暴力が司法から見逃されていた。

 他にも、社会的地位がある者や、その家族だと、警察も検察も裁判所も、甘いどころか特別扱いである。被害届や告訴状を受け取ってももらえない。

 それで、日本には法の下の平等が無いとか、男尊女卑だとか言われてきた。しかし、それだけではない。


 法の恣意的な運用は「貸し」にしておくためでもある。

 社会的地位の高い人には、お目こぼしにより借りを作らせておけば、後々なにかと好都合である。「あの時のことを蒸し返されたくなければ言うことをきけ」と脅すことができるし、そんなことしなくても相手が解っているから自発的に言うことをきく。「忖度」するわけだ。

 昔は、そういうことを問題にして、闘う人たちが、マスメディアにも司法にも政治にも、いたものだった。


 今は何が変わってしまったのか。

 そもそも、そういう問題意識が無いのだ。特に弁護士とマスコミ関係者。だから、追及されないので、権勢に媚びておけば悪いことしたい放題なのだということになっている。

 あと議員もひどい。そして、問題意識が無いので駄目なだけでなく、仮に問題だと思っても、どうすればいいか解らない。少し知恵を絞ればいいのにと思うが、絞る力がないか、力があっても中身がないので何も出てこないから絞るだけ無駄か、そのどちらかである。 

 

 

 
 
 

 北川という大阪の検察トップだった男が裁判で居直り始めた。

 これで、被害に遭った元部下の女性は、こんな屈辱なら泣き寝入りした方が良かったと言っていた。もしそうしたら、人間の尊厳より地位を選んだことで一生の苦しみを抱えて、次第に冷酷無残な態度をとる人となるだろう。

 その証拠に、同僚の女性など上司に媚びていた。こういう組織なのだ。昔から言われてきたことだが。こんな職場が嫌で辞めた人たちが言ってきた。



 被害者が同じ検察官でも、これである。

 この調子だから、女性の被告など検察官の男性から性的暴行を受けるなど日常茶飯事だと、元検察官が昔から言ってきた。それで嫌になり辞めたのだと。そういうことが出来る権力をもっているのだから、やらない方が不思議なくらいだ。

 それを「愛」の行為だと言っていた元検察官もいたが。驕った人間がやることだ。あの原発問題を追及したフォトジャーナリストと同じである。それより公権力によってさらに増上している。


 大学で刑法を履修した元検察官の白井という教授も、そうだった。

 日本に冤罪など無い、検察のやることは間違いない。陪審員制度には反対だ。司法が頭の悪い庶民どもから監査されるなど、とんでもないことだ。司法試験に受かった者は頭がいいのだ。他は低学歴でも高学歴の理系でも同じようにバカだ。

 この思い上がりによって、多様な市民の生活と人生経験からの見識を全否定し、その見識や良識を取り入れる陪審員制度に反対する。そして、理解するためには人生経験ではなく名作文学の古典を読むことだと言って、ドストエフスキーの『罪と罰』やトーマスマンの『魔の山』を挙げる。世間知らずのお嬢様の文学少女みたいなことを五十面下げたオッサンが大真面目に大学の講義で説くのだから滑稽かつ気持ち悪かったが、これにより、よく言われる検察の体質を理解する一助にはなった。


 裁判所でたまたま、弁護士として出廷しているのを見かけた。

 そこで傍聴した。やはり大学での自画自賛にしては御粗末だった。臆面もなく愛を語る者と、平気で自慢する者は、信用ならないものだ。

 あと、その著書を古本屋でたまたま見つけて買った。そうでないと買う価値などない。やはり読んでも、理解はできたが、しかしどうでもいいことに長々と虚しい言葉を費やしていた。だから捨てた。

 これらの行いについて正しいと確信させてくれる、北川検事の言動である。



 


 

 
 
 
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