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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2025年2月10日
  • 読了時間: 2分

 安田純平という人に日本政府が渡航を規制していた。

 これは違法であるとする司法判断が出た。しかし、これで規制がなくなったのではなく、今後も新たに規制はいくらでもできる形であるという指摘もある。したがって、ささやかな勝利ということだったし、そうでないと、この裁判長が実質的にも国の方を敗訴させるなんて奇跡が起きるわけがない。

 この点、同じ裁判長が常岡浩介という人は敗訴させたことと併せれば、実にこの「東京高裁のワースト判事」と弁護士からも言われる三角比呂らしい。この裁判長は、ひどい判決の合間に、実質の伴わない判決により、自分は権勢に媚びてばかりではないように見せかけるからだ。

 ここのblogの「司法」欄を読んでいる人たちには容易に理解できることだ。


 もとは日本政府の事なかれ主義である。

 だから、取材が日本政府に不都合なので規制したという報道の自由に関わる問題では全くない。むしろ、これは安田という人に限らないが、その取材は日本政府にとって実は好都合である。なぜなら、彼の取材とは日本政府が追従している米国やNATOの側から操作されたものであり、その指摘は前から出ているのだから、取材の結果が対米隷属の日本政府を困らせるものではない。



 かつて安田純平という人が渦中の人となったとき。

 その途端に叩くのは卑怯者だと非難する人たちがいたけれど、そうなる前から彼の「報道」はあからさま嘘またはデタラメであると指摘して、それゆえ堕落したマスコミが買っていたと批判してきた者たちがいる。

 当方もその一人である。著書を読んでくれたら人なら解っていることだが。この著書は、アマゾンのレビューから、この指摘をしたものがことごとく削除されていて、残っているのは本の内容と違うものだけである。題名から想像して勝手に書いているようなレビューだ。こうした工作はいくらでもできる。Xでも同じことが言われていて、選挙がらみで被害届も出ているほどだ。


 それはともかく、戦争に関して最近の報道はひどい。

 これは大手に属している人たちもフリーランスも同じだ。フリーランスの人も金にしたくて大手に売ろうとするから、当たり前のことだ。

 かつて、こちらのblogに指摘のコメントが来た。ベトナム戦争の時のTBSの田英男や朝日新聞の本多勝一のようになりたくても駄目で、これは報道の情勢が大違いだし本人の力不足もあってのこと。そういう指摘だった。

 そのとおりだろう。


 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2025年2月6日
  • 読了時間: 2分

 判決 3月13日午後1時15分 626号法廷(東京地方裁判所6階)

 

 これは期日通知書が後に送付されることで告知された。

 通常、法廷で裁判官は、弁論を終結する、結審する、と言うものである。

 ところが、この裁判長は被告である国と談合のうえで、異議どころか質問すら拒否して「裁判は終わった」と感情的になって何度も喚き散らしていた。


 結審後に判決言渡期日は追って指定するというのは時々あるし、閉廷後に裁判官が残って当事者の退廷を確認するというのも極めて稀だが経験はしたことがあるというベテラン弁護士ならいる。

 ただ、そのベテラン弁護士も、今回のやり方はいかにも力づくで裁判を終結させようとするやり方であると指摘した。



 この裁判長=大須賀寛之は、フリーランスのジャーナリストらが起こした「記者クラブいらない訴訟」で当初の裁判長だった。

 ところが、そのジャーナリストの言葉を借りると「途中で身の危険を感じた」ようで、この訴訟で原告か被告かのどちらを勝たせても、自分の出世に響くという態度になり、すると裁判長が交代してしまったという。

 だから「大須賀さんのような人がいばっているから、今の日本があると思っておくしかない」とジャーナリスト氏は言い、しかし、なにごとも短期間では変えられないものだから、根気よく闘うことだという。


 可能な方は、上記の期日に法廷に来て欲しい。

 大須賀寛之が感情的になっているのもヤマシイからで、判決の時も人に来て欲しくないのが見え見えだった。

 そんなヤマシイことしているのを、ただ見られているだけでも大須賀寛之にとっては精神的苦痛になりそうだから。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2025年2月4日
  • 読了時間: 3分

 婚姻は両性の合意のみによって成立する。

 この、憲法の規定を持ち出して、同性婚は憲法違反だと言う滑稽な人たちがいて、これに対して既に法的な誤りだと指摘がされている。これは、このあいだ弁護士だった国会議員が言っていた。

 もともと、この規定で法学的に問題になっていたのは、「のみ」の部分だった。他にも成立させる条件はあるからだ。これは法学部の授業でも話題に取り上げる先生がいた。

 しかし、これは言葉の綾だとも言われていた。「合意のみ」とわざわざ謳うのは、結婚する当人が他から強制されてはならないということだから。また、「両性」とは男女のことだが、これは結婚する当人という意味だから、男と女、男と男、女と女、どの解釈もできる余地があり、少なくとも男とと女でしか結婚できないという意味ではない。そもそも、仮に同性婚を禁止するとしても、それを憲法で規定するわけがない。憲法とは、そんなことを書くものではないからだ。

 つまり、憲法は何のためにあるのかということからしても、結婚を強制されてはならないという意味でしかない。封建時代には親などが勝手に決めてしまうことが普通だった。それで悲劇も起きていたし、そうまでする意味も乏しくなった。だから当人の自由であり、強制しても無効だということ。

 あと問題があるとしたら、そうであるのに強制されてしまい、これを当人が仕方なく認諾している場合だ。しかし、この多くの場合、当人が財産や家業を優先させているからで、こうなると、どうしようもない。 



 職業選択の自由も同じだ。

 前に、医療の問題で、美容外科があってもいいし、それ自体に遣り甲斐を感じている医師がいてもいいし、儲かるから選ぶ医師がいてもボッタクリなどせず真面目やるならいいけれど、その一方で命に関わる分野の医師が足りなくなったら問題だという話をしていたところ、職業選択の自由だと言う医師がいた。

 もちろん、まずは医学界または医療と厚生の政策や行政の問題であり、医師個人に対して、もっと社会に役立つ分野をやれと命令することは不適切である。

 しかし職業選択の自由は違う。これも婚姻は両性の合意のみにて成立するというのと同じで封建制度を否定する規定である。封建制度では、親から勝手に結婚相手を決められてしまうのが普通だったが、職業も親から引き継がないといけなかった。それでは当人の意欲や才能が無視されてしまい、当人も気の毒だが社会の発展を妨げることになる。また、家業を継ぐ都合から結婚相手も自由に決められなくなってしまうことがある。だから、結婚の自由と職業選択の自由は関連がある。

 むしろ、たいへん金がかかる医学部に行かないと医師になれないから、親が富裕とか、親も医師とか、そういう人がどうしても多くなっている現実の方が、よほど職業選択の自由として問題である。


 こんなことは当たり前だと思っていた。

 ところが、そうではなかった。それを先日の元弁護士国会議員の話から思い出したのだった。



 
 
 
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