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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年4月1日
  • 読了時間: 3分

更新日:2021年6月23日

 かつて、テレビで女優の水沢アキが「酒に酔って騒いでいる人たちを見ると嫌悪感を覚える」と発言したら、同席していた元水泳選手でタレントの木原光知子が「そんなことを言っていては、つまらない」と繰り返し非難していた。

 ここで水沢アキの言った趣旨は、いわゆる綺麗な飲み方を出来ずバカ騒ぎしていることについて、そんなのは本当の楽しさではないということだった。ところが木原光知子に言わせると、そういうバカ騒ぎが楽しくて、そうしないなら人生損するということだ。


 これを久しぶりに思い出したのは、ライアン=ロクテ選手の不祥事があったからだ。

 それはリオデジャネイロ五輪の時だった。ロクテらアメリカの水泳選手たち四人は、メダルを獲得したので開催された祝勝会の帰り、ガソリンスタンドでトイレを借りようとしたところ酔っぱらった勢いで所かまわず放尿したうえ器物損壊に及び、通報により駆け付けた地元警察に身柄を拘束された。

 これを隠そうとして、帰国してからロクテは、強盗に遭い金を奪われたと嘘をつき、すぐにバレ謝罪した。また、代表選手が開催地に迷惑をかけたうえ嘘で貶めることをしたのだから、米国のオリンピック委員会も謝罪しなければならなくなった。醜態の選手たちには当面の出場停止と公共水泳施設利用禁止などの処分となった。

 このためライアン=ロクテは「国の英雄」から「国の恥」に墜ちてしまった。もともと個人と団体の両方で何度もメダルを獲得している実績とともに「水泳選手で一番のイケメン」と言われてもいたから、スターとして多くのCМに出演していたけれど、広告塔・イメージキャラクターを務めていたスポーツ用品ブランドの契約を解除されてしまう。



 このところ、新型肺炎ウイルス感染予防のため、いわゆる三密を作らないように宴会などが自粛されるようになった。

 おかげで、付き合いを嫌々することが無くなったから「不幸中の幸い」と言っている人がサラリーマンなどにいる。また、自粛しないで宴会をすると、自制心を欠いた人という誹りを受けるようになった。これまでは、酒は人間関係の潤滑液とか言って醜い行為まで正当化されてきたのだが、こんな事態となってやっと否定されたわけだ。

 ただ、もともとサラリーマンの世界にあった悪しき習慣である酒の強要は、学生時代に体育会系だった人が特に酷いのが相場で、なぜなら上下関係を悪用してのことだからで、当然といえば当然のこと。

 これでは、綺麗な飲み方が出来ずバカ騒ぎとなるに決まっているが、それこそ体育会系の人たちにとっては、そうしないと人生損したというほど楽しいことなのだ。そんな人ばかりではないけれど、そんな人たちが幅を利かせている。だから森喜朗とか橋本聖子とか各種ハラスメントの常習犯が会長しているのだ。 

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年2月13日
  • 読了時間: 2分

更新日:2021年6月24日

 女性蔑視発言で会長を辞すると表明した森氏が、同じく八十歳代と高齢なうえ女性蔑視してきた川淵氏を推挙したので問題になり、川淵氏は引き受けないと表明した。

 この川淵氏、かつて記者会見でサッカーの次の監督はオムシさんにすると、まだ発表するつもりでないのに間違えて口を滑らせたことにして「あっ、言っちゃった」と困って見せる空々しくて虚しいパフォーマンスで大いにシラケさせた人だ。


 ここは女性を登用するべきと指摘されていたのだが、森氏としては何としても同類項を後継にしたかったのだろう。そんなことしなくても、しょせん運動部体質だから、誰でも同じのはずだ。

 あの長島茂雄の「ぼくは保守派」政権交代したら「プロ野球が無くなる」というのと同じ感覚だ。

 こうした、歌手などからスポーツ選手まで含めた芸能人たちは、もともとスターと呼ばれる一方で「川原乞食」「猿回しの猿」として見下されもするから、それにより反骨精神を持つ人も稀にいるが、多くは劣等コンプレックスの塊なので権勢に媚びる。しかも今のように社会の格差が開きすぎると「負け組」になることを極度に恐れる。

 それで今、多くの歌手や俳優が、権力にすりよったり差別的だったりの発言をしている。


 もう一つ、忘れてはならないことがある。

 もしも、森喜朗発言問題が七十年代から八十年代前半のことだったら、これを報じる新聞各紙の見出しは「森さん、女性差別ヨ、夫人団体が批判」だったはず。こうして真面目な話を揶揄する。これはスポーツ新聞やタブロイド夕刊誌ではなく一般紙のことだ。専らサラリーマンのオジサンたちが読むので博打や風俗店の情報も載っている新聞ならともかく、家庭に配達される新聞が男社会のものだったのだ。

 もちろん家庭に配達される前提だから主婦向け欄も新聞にあるが、政治や経済とともに社会面も基本的に男性のものだった。そして学校の教師も「新聞を読んで社会に関心を持つようになさい」と言いながら、女の子はテレビ欄と家庭欄だけで良く、余計な事に関心を持つべきではないとされていた。


 この延長に森喜朗発言がある。新聞社に勤務していた昔の人たちは定年退職したが、スポーツ関連は現役引退している老人でも居座っていられるということだ。この違いがあるけれど、しかし男社会を支えてきたことに反省の色ナシということは同じである。

 だから日本の新聞はつまらないと言われ、読者が減る一方なのだ。



 
 
 

更新日:2021年6月24日


 舛添要一が、女性差別発言した森喜朗を擁護して「気配りの達人だから失言も多くなる」と発言したので、「つまり女性に対して気配り不要ということじゃないか」と批判している人がいるけれど、舛添要一という人は女性差別主義者であることを昔から公言しているから平常運転みたいな発言である。

 それでも舛添要一を支持する女性がいる。なぜなら「男性に従属して生きる方が女性は楽でいい」とか、「自分は一部の特別な女性なのだから他の平凡な女性とは違う」とか、そういうことだ。ビートたけしが漫才で「こら、そこのブス」と客席を指差すと、その周囲が最も笑い、なぜなら「指差されたのは自分ではなく隣の女性のことだ」と、笑っている女性の皆が思っているからだと皮肉っていたが、これは現実にあることだ。だから女性差別なんて他人事だと思って、女性差別主義者を公言する舛添要一を支持する女性が少なくないのだ。


 ところで、森喜朗という人の「気配り」は、かつてベストセラーになった鈴木健二NHKアナウンサーの著書『気くばりのすすめ』と同じで、他人を思いやるのではなく自分の出世のため周囲に気を使う処世術である。あんな失言をする人が、なんであんな出世するのか、という疑問も解けるというものだ。



 また、森喜朗という人は早稲田大学にスポーツ推薦で入った。公共の場で、ジャージやトレーナーを着て、スポーツバッグをもった集団が傍若無人というのを見た人は多い。

 これに小説家の曾野綾子が出くわして怒り「トレーナーのゴリラたち」という雑文を月刊誌に書いていた。「ゴリラなんて失礼だと非難されるかもしれないが、それくらいひどかった」ということだが、逆にゴリラに失礼だろう。よく誤解されていて、SF映画『猿の惑星』でも、ゴリラが乱暴な軍人、チンパンジーが知的な学者と描かれていたけれど、実際には逆で、ゴリラは温厚で知的、チンパンジーのほうが野蛮で狂暴である。


 それはともかく、映画のキングコングのように獰猛な印象という運動部の連中は、電車やバスの中で、老人や障害者や赤ん坊を抱いた母親などお構いなしに、強引に座席を確保し、そこに威張り腐った先輩が座るということがよくあった。昭和の時代には普通のことだった。だから会社も、体力勝負の仕事ではないのに体育会系の人を重宝がる。「日本的経営」に良く合っているからだ。そして反社会的な不祥事があると「真面目な社員で、会社の為を思って、やりすぎてしまったのだ」と上司が弁解するものだった。

 だから、経団連の中西宏明会長が定例記者会見で森喜朗会長の女性蔑視発言について「日本社会にはそういう本音があるような気がする。それがぱっと出てしまったかもしれない」と指摘したが、これは財界にとって好都合とされてきたことが原因だ。


 こういう、特に昭和の、体育会系・運動部の体質を持つ人たちが「気配り」で出世してきたのである。その一人である森喜朗という人は少々露骨なだけである。


 
 
 
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