- 井上靜
- 2024年1月3日
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年賀状に対して普通の葉書で返信する人がいる。
年賀状が売り切れてしまい、普通の葉書に赤い色鉛筆で「年賀」と書いて送る人がいる一方で「年賀」を書き忘れて年内に届けられてしまう人がいたものだ。
あの人気アニメ『ちびまる子ちゃん』でも主人公がやらかしてしまい学校で同じ組の人たちに言われて葉書の無駄のうえ恥をかいてしまう話があった。

年賀状が無ければ、せめて絵葉書にすればいいのに。
ところが、そういうことではなく、年賀状に対して普通の葉書で返信されたことがあり、そこには「あけましておめでとう」とか「謹賀新年」とか決まり文句が無かった。
それは同じ高校の人で「年賀状が無く普通の葉書で申し訳ない」と書いてあった。そして「貴方には在学中とても世話になったけれど、その恩返しは充分したつもりだ」と書いてあった。
だから年賀状は無用ということだ。
この「世話」とは、担任の教師に押し付けられたものだった。
だから利用されただけであった。それでも同窓生として年賀状の挨拶くらいは続けようと思ったが、それは結構だというわけだ。
また、別に現金をもらったわけではないが、それなりの感謝の気持ちで、例えば彼が自動車の運転免許を取得してから、こちらが未だの時、他の同窓生のところに用事で行くとき送り迎えするなどの気を使っていた。
それでバランスシートにかける気はないが、今でも不快なのは担任教師である。自分の仕事として彼は手がかかるから、その分担を押し付けられたのだ。
そこには担任教師の悪意があった。
それを誤魔化そうとして、手のかかる生徒のことで他の生徒を利用しているだけなのに、その出来の悪い生徒を褒めちぎって、それに比べて御前は駄目だと貶める。そこに具体性が乏しい。
だから、他人のことを言われて比較されても無意味である。それこそ歌にあるとおり「♪私は私よ、関係ないわ~」である。
それに同感を示す、年賀状の返信に普通の葉書だったのだ。