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  • 執筆者の写真井上靜

鈴木邦男氏の民族主義的な統一協会批判

更新日:2023年3月26日

 鈴木邦男氏が病死していた。

 鈴木邦男氏が一躍有名になったのは84年『朝日ジャーナル』で筑紫哲也編集長と対談したことだった。

 これは第一回の浅田彰から始まるカラーグラビアのシリーズで、知る人ぞ知る「新右翼」の団体代表で論客として登場したのだった。筑紫編集長と同じ早稲田大学政経学部卒で、在学中の成績は筑紫編集長より良かったし大学院にも行った、という右翼活動家としては珍しい高学歴も話題になった。

 このように鈴木邦男氏自身が興味深いうえ、筑紫哲也編集長だったからユニークな企画となったのだが、右翼関係者たちの僻みは凄まじく「なんで朝日は鈴木を」と言っていた人たちがいたものだ。

撮影は筆者


 また、当時は統一協会の問題が大きく取り沙汰され始めた時だった。

 後に鈴木氏は筑紫編集長から統一協会についてどう思うかと問われると「この挑発には、あえて乗るべきだ」として「真の愛国は、国と民族の文化に対する尊重と愛着が不可欠であり、外国の宗教団体と反共だけで野合しても有害なだけで、それを解っていて接近と懐柔をしている統一協会は、民族主義の敵というべきだ」と喝破していた。


 肺炎だったそうで、コロナではないみたいだが、とにかく肺炎は怖い。

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