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辺野古高校生死亡事故、教師は平和運動を舐めていた

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 4月12日
  • 読了時間: 4分

更新日:4 時間前

 「海洋博を見に来たのに戦争の跡地なんかに連れていかれて迷惑だよ」

 1975年に、そう言う若い観光客がいた。よくあったことだ。



 1975年に、沖縄海洋博覧会(エキスポ75)が開催された。これに行くには相当の費用が要ったので、よく、景品の一等賞が沖縄海洋博と謳うキャンペーンも開催された。

 それで海洋博へ行ったのに、観光ガイドの人から沖縄戦の跡地にも案内されて、あまり気が進まなかった人たちもよくいた、ということ自体は自然なことだ。

 これは当時マスコミにも取り上げられた話題だった。それで「まったく若い者は」という年配者もいた。


 このblogで先回の話題だった高校生死亡事故にも共通する点がある。

 あの船舶転覆事故で亡くなった高校二年生の女子は、学校の社会科見学や平和教育の一環として沖縄に行った。

 ところが、戦争の悲惨な話はつらいので綺麗な海を見ることにしたと言っていたそうだ。


 その綺麗な海、これを地元の言葉で美(ちゅ)ら海、をコンクリートで埋め立て米軍基地を建設している。

 なので、地元から抗議があり、また日本の領土に日本人が納めた税金による予算で外国軍の基地を作り環境破壊をするということだから、日本人全体の問題である。それで他府県からも抗議に来る人達がいる。

 このblogの主催者も東京から行った。これについては前回に述べたとおりで、写真があるサイトを訪問してくれた方々がいたから、主催者は感謝している。


 そして、その高校生は海を観に乗船し、転覆事故で亡くなった。

 なのに抗議活動に参加して死んだとマスコミが誤報した。故意の誤報ではないにしても、騒ぎになることを期待していたからその不純な意図が誤報を招いたはずだ。

 ここで不可解がられているのは、その日は海が時化ていて、危険があることは簡単に解かるのに海上に出たことだ。これで船長も死亡した。

 これを絶好の機会と捉えて、基地建設への抗議を非難する議員がいたり、警察が抗議活動している人のところへガサ入れをしたり、抗議活動と事故とは関係が無いのに、まさに口実とされたのだ。


 もちろん船長が判断を誤ったことは間違いないだろう。

 だいたい抗議活動をしている船であれば、凪の海であっても辺野古は海保の「海猿」たちが暴れていて、マンガで美化されているが実態は海の機動隊であり、機動隊は「国営暴力団」と昔から言われているとおりであり、抗議活動する人たちが暴力を振るわれることはもちろん、あれは殺しにかかっていると昔から言われているほど狂暴であることを知らないはずがない。

 そこへは近づかないとしても、時化ている海に出たら死ぬ可能性があることは誰でも解かるし、まして船乗りなら実感をもって知っている。

 なのに、自分が死ぬだけでなく未成年者を乗せて巻き添え死させるとは、いったい何を考えていたのか。まったく不可解である。


 しかし、ほんとうに非難されるべきなのは死亡した生徒の学校である。

 やはり平和教育が悪いという攻撃にさらされているが、まともな思考力を持つ人間なら、平和教育の場で深刻な事態になったら、そこへ付け込まれるに決まっていると解かるはずである。平和教育が疎ましい連中がいるのだから。

 ところが、この学校がやっていたことは、平和教育とか社会科見学とか称して物見遊山しただけだった。この場合は山ではなく海だが。それが先にあって、平和教育や社会科見学は後付けだったのだろう。だから海に出る生徒が乗る船に引率教員が付き添ってなかった。それで死亡した生徒の親が愕然としていたと伝えられている。修学旅行や林間学校でも当たり前である安全配慮もないほどなのだから、命がけで国家権力に抗議している人達について上から目線で見物し、そこに生徒を同行させ教えてやったと呑気に錯覚していたはずだ。


 平和運動を舐めるな。

 そう言ってやりたいが、しかし、この学校に限らず、教師のすることは昔から今でも所詮この程度である。

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