西村博之という人は低級霊の遊び相手
- 井上靜

- 2022年10月7日
- 読了時間: 2分
スピリチュアリズムで「祈禱師は低級霊の遊び相手」という。
もちろん、インチキな祈禱師も横行しているが、中には本気でやっている人たちがいて、それは低級霊の遊び相手という意味だ。
ちょぅど西村博之(ひろゆき)という人である。
この人の場合はインターネット上で程度が低い人たちの遊び相手となっている。だから悪霊に憑かれたのとは異なる。
だいたい悪霊が寄って来るのは精神的にそれなりの大物である。だから大人でも子供でも関係なく霊の格が高い人であり、そうでないと悪霊と言えるほどの者とは波長が合わない。
ところが、霊格の低い人は低級霊と波長が合う。
これと西村博之という人は同じである。例えばTwitterで彼のアカウントが権力の側から弱者を虐げる発信にハートマークを押す人たちは、権力者ではなく権勢に媚びる者であるから、他人様が真面目にやっていることを嘲笑・揶揄したり、その常套手段「藁人形論法」で論破のふりしたり、ということに便乗する。虚しい幻想の優越感を一瞬抱くだけだから、楽しいとしても錯覚である。
つまり西村博之という人は祈禱師である。
多くの祈禱師は自分が霊的に力を持っていると思い込んでいる。実際には低級霊の遊び相手なのだが。これはTwitterならフォロワーが多いけれど匿名の低劣なアカウントばかり相手にしているのと同じである。それを意識して受けようとして自分の発信も嫌らしくなってしまうけれど、それだけでは済まない。
低級霊と波長が合うようになると、当然ながら寄って来られる。悪霊は他に災いをもたらすが、低級霊は自分の運気が悪くなる基である。そして災難に遭うようになる。

だから祈禱師はだいたいが不可解な病気や事故によって死ぬものだ。
おそらく西村博之という人やそれに類する人たちは、パソコンの画面を見ている間に体内ではおぞましい変化が起き、いずれ致命的になる。あるいは出かけたさい酷い偶然によって災難から逃れられなくなる。
こういうことは、現実にある。不思議なことだが。



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