結局、野村義男が最も賢かった
- 井上靜

- 2023年10月15日
- 読了時間: 2分
ジャニーズ事務所の騒動は国際的になり、これで過去の栄華も崩壊。
という事態であるが、その件は、前から言われてきたことではあった。しかし、初期のころは、ちょぅど沖雅也の養父の日景忠男と同じようなことだと思われていた。
だから、郷ひろみが喜多川に迫られて逃げ出したところへバーニングプロダクションが誘い横取りのように移籍となって、それでジャニーズとバーニングが険悪になったとか言われても、大したことだとは受け取られなかった。

そのあとジャニーズは「たのきんトリオ」が人気となった。
田原俊彦・野村義男・近藤真彦の頭文字をとった三人組は、田原と近藤が相次いでアイドル歌手としてデビューし人気となったのに、野村義男だけデビューしなかったから不可解がられた。それは野村が喜多川に迫られて拒絶したからだと言われた。しかし騒がれ始めたので、野村義男はロックバンドを結成するからだと説明した。そのバンドのメンバーが身代りを務めたらしい。
それでこの当時、ゲイ界隈では「だからジャニーズ事務所は喜多川の趣味と実益だ」と言われていた。
日景は沖を私財を投じ売り出すだけでなく、法的な養子として総ての責任をもった。
ところが喜多川は、売り出すタレントを性的にも経済的にも食い物にしていた。
たのきんトリオで最も人気の田原俊彦が実は薄給であったり、無理矢理に服を脱がされて全裸写真を撮られたものが後に流出して週刊誌に載ったりした。退所した後の一時期は干されていた。他の所属タレントでも、使い捨てにされて生活苦とか薬物に手を出したとかで、悲惨な話題には事欠かない。
その一方、野村義男はギタリストとして働いていた。
浜崎あゆみ等の人気歌手が歌う脇で伴奏を務めていた。こうして地味に活躍し続けたので、よく言われたものだった。
「結局、野村義男が最も賢かった」
人生訓にもなりそうである。



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