知念美希人が新潮社にデタラメな罵倒
- 井上靜

- 8月8日
- 読了時間: 4分
更新日:8月9日
知念美希人が新潮社を罵倒した。
これがバツ(旧Twitter)で話題になっていた。新潮社が「あらゆる差別に反対します」と表明したことを「偉そうに」と言って。
新潮社は、たびたび発行雑誌が差別やヘイトをしでかして抗議されてきた。かつては週刊誌の見出しに身障者差別用語を使い、新聞に掲載するさいその部分を消されたことがあったり、あの杉田水脈の露骨な差別発言を雑誌に掲載して抗議を受けたり。最近では小説家の深沢潮らについて在日韓国人の家系であることをあげつらうコラムが抗議を受けて会社が謝罪した。
それでいて、よくも「差別に反対」と言えたものだ、ということかというと、そうではない。

まず「偉そうに」は明らかに不適切である。
これが、差別の問題で一席ぶっていたら「偉そうに」でもいいが、ただ差別に反対だと言うだけある。差別に反対なんて当たり前のことだ。
それに新潮社は、差別で批判されたことに対して反省または弁解として、差別に反対であると表明したのだから、それが本心なのかと疑問を呈するのは相当な表現だけど、「偉そうに」は違うだろう。
なにより知念美希人が新潮社を非難して言う「差別」がデタラメだ。
コロナウイルスに絡んで医療関係者に利権が発生している、という週刊新潮の記事は、従事する医療関係者に対する「差別」だと彼は言うのだが、それは差別とは違うという指摘がたくさん出ていた。
そもそも差別とは、属性のような当人の責任ではないことで以て正当な根拠なく一般とは異なる悪い扱いをすることである。なにか訳があって正当な批判あるいは不当な誹謗をすることは、どちらも差別とは違う。
だから、週刊新潮が批判または誹謗をして、前者ではなく後者だから不当だと言うならともかく、差別したと非難するのはデタラメだ。
かつて渡辺淳一が「和田心臓移植を批判して札幌医科大学を辞めた」と言った。
札幌医科大学の和田教授は、日本初の心臓移植を成功させた医師になりたいという功名心から、本当に脳死したか解らない人から勝手に心臓を取り出し、心臓の全移植が不必要な患者に移植して死亡させた。このため教授は人体実験と非難されたうえ殺人罪で告発された、という事件である。
これを批判して辞めたなんて言わなくても、もともと渡辺淳一は医師より『失楽園』を書いているのが相応しい人だと言われていた。
それと同じことで、知念美希人はライトノベルを書いているのが相応しい人だ。医師は真面目にやれば仕事とその勉強に大忙しで、小説を書いたりバツ(エックスとも言う)の投稿をしたりなんて暇はない。だから研鑽や精進せずSNSで遊んでいる医師は駄目だと言われているし、よく看護師が言うことだけど、そんな医師は患者や看護師の女性の悪口を言っているもので、差別意識を剝きだしているから危ない。
差別ではないのに差別だと言うのは手垢の付いた手口である。
正当な批判ではなく不当な誹謗だ、と言うのなら相当の根拠が必要であるけれど、差別だと勝手に言うのは簡単だから、いい加減な攻撃方法としてよく使われる手口である。自分の責任ではない属性に対してのことだから差別だと言い得るのに、考え方が異なることで非難されたことを差別だと言う。これは安易だからやる人たちがいるのだ。
例えば、職場で業務と無関係のことで昇給させなかった訳が、性別や人種や出身地であれば、自分で選んだことではない属性による不当な扱いだから差別になるが、支持政党や宗教の信仰であれば自分で選択したものだから差別ではなく、思想信条に対する弾圧として不当である。
こういう違いが解らない人がよくいる。
しかも知念美希人という人は、前に韓国人に対する民族差別の発言で問題になり、謝罪に追い込まれたばかりである。それでよくも新潮社を罵倒できたものである。
しかし小説家として注目はされる。マスコミとしてはネタになるからだ。けれど、その発言を医師やインフルエンサーとして取り上げるべきではないと議員などが言っていた。そういう声に対しては、ごもっともというしかない。



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