立憲党の代表が乃木神社に参拝して問題になった。
ここで泉代表の態度が悪いのは、右翼から支持されたいと言い続けた一環なのに、批判をされたら祀られている人は意識していないと嘘をついたことである。もしも噓でないなら無知であるという指摘もされていた。
乃木大将は稀に見る無能な指揮官だった。
もうすっかり有名なことだが、日露戦争において二百三高地の攻防のさい、敵の要塞に突撃しては狙い撃ちされる繰り返しで、大勢の死者を出しては兵士の補充を求め、また相変わらず策も無く無謀な突撃と無駄死にさせては兵員の補充を求める繰り返しだった。この実態を知った大本営が、乃木はバカだと憤り呆れた。
ところが、後になって明治天皇に殉死したということでプロパガンダに利用された。だから神社も出来たのだ。
そんな神社に、泉代表は国の先行きについて祈願したというのだから、日本を滅ぼそうとしているとしか思えないが、この種のことで日本の右派が批判することは無い。つまり、神社に参拝することなど、その種の日本人たちにとって実はどうでもいいことなのだ。
受験で湯島天神に合格祈願するのも同じだ。
あれは猛勉強しても報われなかった菅原道真を慰める施設である。そこへ合格祈願しても虚しいどころか危険ではないか。しかし、別の意義がある。
かつて自分が受験生だった時、うちの父親は湯島天神の御守を買って来てやったと恩着せがましく言った。だから家庭教師や予備校やZ会や進研ゼミなどは無用だろうと言う。そんな金のかかることでなく数百円の御守で済ませろということだ。
これは靖国神社や護国神社と同じだ。戦争の英雄を称賛して遺族に手厚い補償をすると金がかかるが、英霊と称して神社に祀るなら実に安上りである。つまり金が無いのでケチということ。
ただし泉代表の言い訳にも当たっている部分はある。
それは、神社に参拝するさい誰が祀られているか意識しないという部分である。たしかに、多くの日本人は、そうである。だから例えば、祀られているのが半島から渡来して日本で死んだ朝鮮人である神社が各地にあるけれど、知らないで参拝している。
これだから、自民党の政治家たちが統一協会と平気で仲良くしているのも不思議ではない。