水着の撮影会に中学生の女の子
- 井上靜

- 2023年6月14日
- 読了時間: 2分
埼玉県のプールで水着の撮影会が中止になった話題。
ここで特に問題になったのは、水着姿の被写体となった女の子が中学生だったこと。これは当たり前のことで、まったく常識だろう。現実に、若気の至りだったと後悔する人がいるし、中学生や高校生では自我が未確立だったので誤った判断どころか判断が無くて乗せられただけだったと嘆く場合もある。
それなのに、当人が喜んでやっているから自由でいいじゃないかと言っている人たちがいて、その軽薄さに呆れさせられる。

埼玉県知事は、実際に具体的な難があったので中止したという。
例えば、場所柄から露出度の高い水着とか過激な姿勢とかは避けるように言っておいたのに守らなかったり。だから、特定の政党の意見を容れたのでもないと表明している。
これは、市民からの指摘があって、それを知った議員が取り上げて発言したことを指している。この議員が共産党に属していたので、中止は当然だと言いそうな人たちの中から、逆に撮影会を擁護する人たちが出た。その政治性はもちろんのこと、共産党がクレームとか圧力とか変な言葉づかいで非難しているから、そんなこという人たちの不可解な認識が滑稽である。
なぜなら、議員が市町村長や都道府県に対して首長宛に要望や質問などをして働きかけることは普通の業務である。これはクレームとか圧力とか言わない。要するに、何でもいいから共産党の悪口が言いたいということで、そうするのが楽しいということだけは充分に理解できる。それと逆の人たちは、共産党が騒いで政治や行政が変わるなら、日本はもう少しマシな国であるはずだと皮肉を言っている。
十代前半の水着は昔からテレビ番組で放送していた。
これはミスコンテストの真似事であったが、優勝した女の子は感動して微笑んだり涙ぐんだりしていたけれど、意味がよく解らず褒めてもらったから嬉しがっているだけであることは一目瞭然だった。
昔は放送の倫理的基準が緩かったからできたことだったけれど、それでも見ている大人たちからはひんしゅくであった。うちの父親も「こんなこと子供にやらせるなよ」と言っていた。優勝した当人は喜んでいるけれど、なぜなのか当人が解っていない。だから、そんなことで喜ばせるなってことであり、見ていて可哀想になってくるのだ。



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