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文学的な表現

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 9月30日
  • 読了時間: 2分

 「無言の帰宅」という表現がある。

 これはマスコミが乱用するので紋切型の表現というのが一般的な印象だと思ったら、ちょっと違うらしい。ある小説家が「無言の帰宅」を使ったら知らない人が文句を言ったそうだ。そんな言い回しをするより「死んだ」「遺体が自宅に運ばれた」と書くべきだ、と。

 もちろん、その表現を知らない人には意味不明に感じるだろう。それに合わせて書く必要があるかが問題である。


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 「他界した」「鬼籍に入った」という表現もある。

 これも「死んだ」という意味である。これに対して使うべきではないと言う人は、意味を知らないからではなく、知っていてのことだ。どちらも死後の世界に行ったという意味である。これに対して、死後の世界なんて存在しないから、そんなオカルト信仰の表現を日常の真面目な話をしている時に使用するべきではない、という人がいて、これは知っているから文句も出るのだ。

 これは医師が「ご臨終です」と言うのとは訳が違う。


 文学的な表現は喩えである。

 これがどんなにわかりやすくても、事務的な文書には不向きである。また、文学的な表現をする文書でも、例えば小説では、その表現を知らない人が読んでもわかる書き方であるべきだ。それで理解が深まるというより、それが読んでいて楽しくなる素だからだ。

 もちろん、そういうのを排して、内容を淡々と伝える文学作品もある。持って回った表現など気取っていて好きじゃない人もいる。だから「無言の帰宅」なんて言い回しは嫌いだと言う人がいてもいい。知らない人がいてもいい。

 しょせんは文芸なのだから、

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