推理作家に到底なれなかった同級生
- 井上靜

- 2022年8月6日
- 読了時間: 3分
統一協会の問題で、紀藤弁護士の事務所の話題が出ていた。
そこにあるハンガーには、背広の下に着る防弾チョッキがかかっていた。それくらい警戒しないといけないほど、追及するには危険があるということだ。紀藤弁護士は霞が関の裁判所で時々見かけたが、緊張感の必要な仕事をしていることは態度から判った。
森村誠一氏も講演会で背広の下に防弾チョッキを着ていたという。
これは『悪魔の飽食』のさい、右翼的な狂信者に脅迫されたからで、この話を新聞のインタビューで述べていた。
ところが、これを中学二年の時に同じ組だった近所の同級生が、記事を読んで笑っていたのだ。嘲笑しているというほうが正確だ。
この同級生の父は、森村誠一氏と青山学院大学で一緒だった。
ここはミッション系でも統一協会の勢力が幅を利かせていると言われていたが、このことは関係ない。彼の父は、森村氏が小説家として駆け出しだった当時、OB会で本を買ってくれと同窓生たちに懇願していたと話していた。それが後にベストセラー作家である。
この同級生は、推理小説を読むのが好きで、中学生の時は推理作家になりたいと言っていたこともある。しかし無理だった。到底むいていないというべきである。

これは赤川次郎氏が言っていたことが解りやすい。
松本清張のようでなくても、推理小説は社会性があってあたり前である。赤川氏は、推理小説とは犯罪を扱うもので、犯罪とは社会の歪みが原因である。そうなると社会性は不可欠であると言う。
これが同級生には理解できなかった。そういうことが小説に含まれていてもチンプンカンプンである。では、江戸川乱歩や横溝正史のように猟奇性を売りにする小説ならどうかというと、それも駄目である。シムノンのようなものも、ジゴマやファントマのようなものも、チンプンカンプンである。いったい小説のどこを読んでいるのかと不可解になる。
それでいて、彼は自分の読書量が特に多いと自慢する。しかし作文が書けないし、読むにしても理解不能のほうが多いくせに。
こうして、彼は森村誠一氏が戦争犯罪告発で脅迫されたことを嘲笑するようになった。
まるで厨房やネトウヨだが、彼は最初のころ学校では勉強熱心で知られていたけれど、受験ノイローゼになって大学進学せず、大学に通う同級生に対して「大学なんて行っても無駄だ」と言い、自宅にこもって書生のように読書している自分こそ知的なのだと誇っていた。
ところが、彼の自宅にある本は、ほとんどがエロ本であったことが判った。
それでいて読書家を気取り、大学なんて無駄だと言い、大学に進学した同級生に彼女が出来たという話に対しても、そんなことより自宅にこもって自分で…(気色悪いので省略)ということだった。



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