弾圧、検閲、ピノチェト風の新自由主義...ゼレンスキーの隠れた側面
- 井上靜

- 2022年5月4日
- 読了時間: 7分
2022年05月02日 ナティリー-ボールドウィン
ウクライナでの戦争が始まって以来、ヴォロディミール-ゼレンスキー大統領は欧米で崇拝され、彼が演説するすべての議会でスタンディングオベーションを集めるほどだ。
たしかに、ゼレンスキーは軍事侵略に直面している国を率いていることにされている。そこから彼を悪に対する善の戦いの英雄にするために。
コロラド大学の哲学博士オルガ・バイシャはハリコフ出身で、ウクライナ大統領の隠された側面を明らかにしている。共和国大統領になった俳優の台頭に関する魅力的な、またウクライナ社会と紛争の起源について多くを教えてくれるインタビューである。
2019年に同国の最高職に昇進したコメディアンのヴォロディミール-ゼレンスキーは、おそらくトランプの弾劾ショーのエキストラだったことを除けば、平均的なアメリカ人にはほとんど知られていなかった。
しかし、2022年2月24日にロシアがウクライナを攻撃したとき、ゼレンスキーは突然、アメリカ-マスコミで著名な有名人になった。米国のニュース消費者は、悲劇的な出来事・状況に圧倒されたようだったが、最終的には同情すべき者と見える男の映像に襲われた。このイメージがさらに、カーキ色の服を着て、小さな民主主義を支配し、独裁的な野蛮人を一人で押し戻す、疲れを知らない英雄のイメージに進化するまで、それほど時間はかからなかった。
しかし、欧米マスコミが丁寧に作り上げたこの絵の向こう側には、もっと複雑で、お世辞にも褒められないたものとは言えない何かがある。ゼレンスキーは漠然とした平和を約束することで有権者の73%によって選出され、彼の公約の残りの部分はより曖昧だった。しかし、侵攻の前夜、彼の支持率は、彼が非常に不人気な政策を追求していたため、31%に低下していたのだった。

ウクライナの学者オルガ-バイシャは、『ウクライナにおける民主主義、ポピュリズム、新自由主義:仮想と現実の周辺で』の著者であり、ゼレンスキーの台頭と、彼が大統領になって以来、彼が権力をどのように行使してきたかを研究している。以下のインタビューで、バイシャはゼレンスキーの新自由主義への固執と、その増大する権威主義についてコメントしている。彼女は、自分の行動が進行中の戦争にどのように貢献したかを説明している。それは、紛争中の大統領の非生産的で自己中心的なリーダーシップの分析である。ウクライナ人の複雑な意見、文化的アイデンティティ、政治を検証し、ユーロ-マイダン中およびその後のネオリベラルと急進的右翼のパートナーシップを解読して、ドンバスでのロシアによる乗っ取りが地元住民に与えた影響を解析している。
●あなたの経歴について教えてください。現在の研究分野に興味を持ったのはどこの出身ですか?
私はウクライナ出身で、ロシアとの国境にあるウクライナの都市ハリコフで生まれました。私の父と他の両親は今もそこに住んでいます。現在の戦争の前、ハリコフはウクライナの主要な教育と科学の中心地の一つでした。都市の住民はウクライナの「知的首都」に住んでいることを誇りに思っています。
1990年、党の支配から解放された最初のテレビが作られたのはこの街でした。彼の最初の情報プログラムは、その後すぐに広まりました。当時、私はすでにハリコフ大学を卒業していました。そんなある日、大学時代の友人から、このニュース番組のジャーナリストとして働くように誘われました。翌日、今までの経験がなかった私はレポーターを始めました。数か月後ニュースキャスターになりました。
新しい制御不能なメディアの数は猛烈なペースで日々増加しており、彼らはますます人的資源を必要としていました。しかし、圧倒的多数の場合、彼らはジャーナリズムの訓練や現場経験のない野心的な若者でした。そんな我々を結びつけたのは、西洋化への願望、ソ連崩壊後の移行を特徴づける社会的矛盾に対する誤った認識、そして「改革」に反対する労働者たちの懸念に対し聞く耳もたない態度、でした。なぜなら私たちの目には「逆行」に見えてしまい、つまり文明が何であるかを理解していなかったのでした。それで我々は自分たちを革命の前衛と見なし「進歩的な改革者」を応援しました。すなわちウクライナの新自由化に資する環境を作り出したのは我々メディア労働者だったのです。こうして新自由主義化による西洋化と文明との韻を踏んだのです。
しかし、それは社会に一連の悲惨な結果をもたらしました。私は何年も後までそれに気づかなかったのです。
当時、私はキエフのテレビ会社で歴史ドキュメンタリーの制作を監督していました。一方的な歴史的進歩の神話および「野蛮人」が西洋化する必然性なるものは、旧ソ連諸国だけでなく世界中で、新自由主義的経験のためのイデオロギー的基盤を提供していたにすぎないことを私は理解しました。
こうして西洋化イデオロギーの世界覇権に対する関心は、コロラド大学ボルダー校の批判的メディア研究の博士課程に進んで現在行っている研究へと私を導きました。
いくつかのウクライナの社会学者の学術研究によると、最近の世論調査は、ほとんどのウクライナ人が民族のアイデンティティの問題にあまり興味がないことを示しています。彼らは雇用、賃金、物価などの生活に直結する問題にこそ関心があったのです。
●あなたの作品は、2019年以来ウクライナで制定された新自由主義改革に多く焦点を当てています。大衆感情に反して。経済問題に関するほとんどのウクライナ人の見解を説明していただけますか。
私が住んでいた界隈、ウクライナ東部、クリミア、キエフでは、民族アイデンティティの問題に関心を持つ人はほとんどいませんでした。もちろん私的に「私の社会的背景」を主張するのは無駄ではありません。
しかしウクライナは複雑で分断された国であり、その極東と極西は、すべての社会的に重要な問題に関して正反対に異なる見解を持っているのです。1991年のウクライナの独立宣言以来、ウクライナでは「民族ウクライナ人」と「東スラブ」という二つの民族的アイデンティティーの考えが衝突してきました。
ウクライナの民族性という考えは、民族性の周りに明確に表現されたウクライナの文化、言語、歴史がウクライナ国民国家への統合の主力であるべきだという考えに基づいています。このアイデアは特に国の西部で人気があります。
対照的に、東スラブの考えは、ウクライナの国家を、ウクライナとロシアの2つの主要な民族グループ、言語と文化に基づいていると見なしています。この考えはウクライナ南東部では普通に受け入れられています。
しかし、一般的に言ってほとんどのウクライナ人は、なにより経済問題に懸念をしていると、私は確認できています。
実際、1991年のウクライナの独立も、大部分が経済的関心事でした。多くのウクライナ人がロシアとの政治的離婚という考えを支持したのは、ウクライナが経済的により良い暮らしをすることを望んでいたからです。これはプロパガンダのパンフレットが我々に約束したことだったのです。しかし、この経済的希望は実現していません。
多くの点で、ソビエト連邦の崩壊は、社会の商品化とソビエト福祉国家の破滅をもたらしたウクライナの新自由化のために、人々の生活を根本的に悪化させただけでした。
ゼレンスキーが始めた新自由主義改革とは何でしょう。ウクライナ人の72%が、ゼレンスキーの新自由主義綱領の主眼である彼の土地改革を支持しなかったのです。世論の怒りにもかかわらず政権与党が承認した後、ゼレンスキーの支持率は2019年春の73%から2022年1月には23%になりました。その理由は単純で、深い裏切りの感覚です。
ゼレスンキーとその取り巻きは、彼の非公式な選挙公約とみなすことができるプログラム「人民のしもべ」で、もし彼が一週間でも国を率いることができれば、国民は「教師を大統領にして、大統領を教師とする」ような生活になるはずであると約束した。これについて言えることは、少なくとも、この約束は守られていないということです。人々は、自分たちが再び騙されたことに気付いたのです。
すなわち改革はウクライナ人のためではなく、世界資本の利益のために実行されたのだ、と。
原文は英語。翻訳は当ブログ管理者。このインタビュー記事は次回に続く。



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