中居正広や松本人志は問題の上辺
- 井上靜

- 1月12日
- 読了時間: 2分
「中居くんが一番すき」
と言っていた女性がいた。木村拓哉などより真面目そうだからと言う。しかし、中居くん今では性暴力で芸能人生命の危機だし、その前から、例えばテレビで宮沢りえと共演したさい、中居正広が彼女に嫌らしく触ろうとしているのを見かねた木村拓哉が阻止しているのを多くの人が見ていた。
どういう観察眼を持つと中居くんが一番すきと言うのか不可解だった。
中居正広は性暴力の被害者と示談したから芸能活動できると言いたげだ。
それで非難されている。あくまで示談とは被害について話し合い解決したことであって、やったことが悪くなかったのとは違う。ここには、芸能人が立場を利用して性暴力をふるっても普通のことだという感覚がある。
だから、中居正広だけでなく松本人志も同じことをしているし、中居正広の育ての親が酷かったことは語り草である。他にも裏方の立場で地位を濫用している者がいるのは当たり前の世界だ。

これは芸能だから目立ちやすいだけで他の分野にもある。
もともと、衣食住が満たされただけでなく、過剰に財力を得て、名誉と地位と権力を持て余したら、それを用いて劣勢に立つ人を性的虐待などで弄び優越感を味わおうというのは、ごく自然に発生する劣情だから、そんなことをしないように道徳を説いたり、やらかしたら刑罰と社会的制裁を加えたり、などするより前に、社会から支配と被支配の関係を無くすことだ。
なぜか、こうした社会的力関係それ自体の存在からして不健全であることを理解できない人が多すぎる。
それが当たり前だと言う人がいるものだ。
そうやって自分だってここまでやってきたと言う。そんなことしてはいけないのだから、自慢したり誇ったりしてはいけない。
そんな自慢したり誇ったりする人は、努力したのでも成功したのでもないから、軽蔑されるべきなのだ。



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