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ラデツキー行進曲と軍艦マーチ

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2022年1月3日
  • 読了時間: 3分

 ウイーンフィル・ニューイヤーコンサート中継のゲスト林家三平の無知が指摘されていた。

 まず、林家三平は、指揮者で好きなのはカルロス-クライバーだと言い、それは自分と同じで二代目だからであるそうだけれど、たしかにカルロスはエーリッヒ-クライバーの息子であるが、他にもメーリーとズービンのメータとか、パーヴォとネーメのヤルヴィとか、他に何人もいるのに、なぜカルロスなのか。それに、カルロスは父親より有名になったのだから、ただの跡継ぎで親ほどの活躍や実績の無い林家三平が言うのは厚かましいのではないか。

 また、このコンサートでは最後に必ず演奏されるのが『ラデツキー行進曲』であることも知らなかったから、ここまで知らない人がゲストとは、いくらなんでもNHKの人選がひどすぎるという批判があったのだ。


 ところで、『ラデツキー行進曲』が例外的に演奏されなかったことがあった。

 それは災害のため取りやめが一度あったことだ。曲の内容からして、不幸があったさいに相応しくないということだが、それだったら他にも取りやめて当然のことがたくさんあるので、奇妙というか偽善的というかの感触を覚えたという人は少なくない。これはまだ記憶に新しい方の出来事だろう。


 これで思い出したのが、手塚治虫の『アドルフに告ぐ』の場面だった。

 戦時中、ナチスドイツの若い将校が、捕虜をしょっ引いていくさい足取りが重いので、囚われているユダヤ人バイオリニストに『ラデツキー行進曲』など威勢の良い曲を弾けと命じるが、そんな気分になれるはずがなく、抗議の意味も込めて暗い曲を弾いていると、怒った将校が拳銃を抜いて射殺する。


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 もともと『ラデツキー行進曲』は、運動会の音楽という印象が強い。

 これもやはり強引に盛り上げようとするからだろう。パチンコ屋が店内で『軍艦マーチ』を流して「ドンドン・バリバリ」というアナウンスで煽るのと同じである。もともと軍楽であることも共通している。

 

 ところが林家三平と同席していた市川紗椰が「クラシック音楽は平和産業」と言った。

 これにも呆れたという人がいた。もちろん曲目の性質からだ。それに、そもそもクラシック音楽は独裁政治体制や戦時体制でこそ実に盛んになるものである。

 だから携わる者たちは体制に媚びてばかり。日の丸・君が代放送のNHKを批判しないし、低収入だけど受信料も素直に払う。交響楽団に就職できなくても警察と自衛隊の楽隊があると、音楽大学の要綱には載っている。それで在学中から新聞は『産経』に変えると学生は言う。信念ではなく就職のために。戦争に勝って平和というのはナショナリズムではあっても「平和産業」とは普通言わない。

 

 むしろ、そんなことはサッパリ解らない人でないと、NHKの音楽番組は務まらないのだろう。

 それで、この人選だったはずだ。ただ、前は黒柳徹子や池辺晋一郎など音楽には詳しい人たちが出ていたので、だから今年のゲストは何だと言われたわけだ。それだけNHKの劣化がひどくなったし、音楽そのものが衰退もしているということなのだろう。

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