ベネッセと生稲晃子で思い出した
- 井上靜

- 2022年9月24日
- 読了時間: 2分
受験産業のベネッセが、また顰蹙を買っている。
それは、入試の面接について、ありもしない評価をことさらに喧伝していたことだった。学生がちょっと緊張して退出の挨拶がなってない部分があっただけのことを針小棒大に指摘して、あたかも相当の影響があるかのように見せる動画を公開し、受験生を迷わせていた。
この程度のことで影響があるわけがなく、大学側では細かいマナーより訊きたいことがあるのだし、学生が緊張していることは割り引いて考える。
国立大学は受験料が無用だ。
それで入る気が無いけど受験する人がいるものだ。留学生など、力試しに受験してみて合格したけれど入らない人もいる。また、面接のさい動機を訊かれて「冷やかしに決まってるじゃん」と言い放った人もいたけれど、筆記試験の成績が良かったので合格だった。
これが実態なのに、受験産業が無用な考査基準を捏造して商売しているのだ。
面接は受験産業が商売に利用しようと規格化する悪意である。
その前は、校長がエラソーにする自己満足のためのものだった。そもそも相手が校長だからと緊張する生徒はいないが、それなのに緊張する面接の練習のため校長が実施するという非現実である。つまり校長の空虚な自己満足であって生徒のためではない。
そこで練習と称して下らないどうでもいい難癖をつけて悦に入っていたものだ。
それを生徒のほうも解っている。
だから「何年何組出席番号何番誰某」と言うところで、「出席番号」を今では永田町センセイになった女性のグルーブの真似して「会員番号」と言って校長をおちょくる女子が、かつていたものだ。

ベネッセと生稲晃子の御陰で愉快な思い出が久しぶりに蘇ったのだった。



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