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ニューイヤーコンサートの演奏者と観客を吊して絵葉書にして曝せ

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2022年1月2日
  • 読了時間: 3分

更新日:2022年1月15日

 去年のウイーンフィル・ニューイヤーコンサートは無観客で開催された。

 それを今年の元旦に聞いて、思い出した。しかし、どこで観たのか思い出せない。ウイーンに行ってないし、自宅にテレビは無い。きっと去年は今年と違って大忙しだったから、どこかでテレビを見たけれど、どこだったのか記憶していないのだろう。


 今年は感染対策を念入りにして観客を入れたそうだ。

 それで、検査とともに薬を徹底したということで、製薬会社にとっては良い宣伝になっただろう。もちろん、もともと特権階級の楽しみだから、当たり前のことかもしれないが。富裕な観客たちと、実力よりむしろ後ろ盾(紅白の『~事務所枠』みたいな)なのに名誉とされる指揮者。NHKの中継では何もしらない芸能人たちが無知をさらけ出すコメントをしていて、ひどすぎると見た人達が怒っていた。特にクラシック音楽は平和のためとか、おバカ発言が顰蹙を買っていた。何を言うのか。あんなのは、寒さに凍える難民たちをはじめ、世界中にある貧困など別世界のことだと思って悦に入る人たちの楽しみである。


 特にひどいのが指揮者のダニエル-バレンボイムだった。

 彼は前に「中東に正義を」と指揮台から呼びかけたが、それならアンタが国籍を移したイスラエルをなんとかせいと野次りたくなるし、今年はコロナウイルスについて一席ぶってみせたけれど中身がスッカラカン。しかし、薬の副作用についてどうなのか、コンサートの背景に誰がいるのか、などと訊いても無駄だろう。音楽家の言うことなんて体育会系のアスリートたちと同じだから、所詮この程度だと思うしかないのだろうが。

 

 毎度、ニューイヤーコンサートでは、テロップで歴史的背景が説明される。

 しかし、ここでは歴史の上辺をなぞっただけである。その裏では何があったか。多くの貧困、そしてなにより特徴的だったのが戦争と虐殺である。

 かつて大学でドイツ語を習った先生はオーストリア文学が専門だったので、リヒャルト-シュトラウスとホフマンスタールのオペラなどの話にも詳しかったが、もう一つ。その当時オーストリアでは文学も盛んで、そこでは風刺や社会批判も辛辣だった。特に批評家のカール-クラウスが『人類最期の日々』で戦争を告発したり、個人批評誌を発行して当時のジャーナリズムが戦争を正当化したり煽ったりしている実態を手厳しく指摘したり、ということがあった。


 「血の海で水泳の修練に余念がない」とか激烈な言葉づかいであった。

 しかし社会主義者バティスティがオーストリア軍部によって殺され吊るされている様子を撮影して絵葉書にするという残酷なことまであった情勢を捉えてのことだったので、決して過激とか言い過ぎとかではなかった。


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 そういう話が、別に開いていた文学の講義で語られていた。

 この影響は大きかった。これでいちおう大学に行って良かったとまで思った。だから華やかな背景にある権力と戦争について無視できないのだ。今なら、血の海で水泳の修練に余念がないウイーンフィル・ニューイヤーコンサートの演奏家たちと観客たちこそ、吊るして絵葉書にすべきではないか。

 ということで、今年もカール-クラウスの精神で発言したいと考えている。

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