コロナウイルスとワクチンがまるでPKディックの小説
- 井上靜

- 2022年1月17日
- 読了時間: 2分
大手製薬会社の代表取締役会長が、コロナウイルス新型肺炎対策で問題を提起していた。
この製薬会社は伝染病の薬品が専門ではないからこそ可能な指摘だろうが、そもそも人体の病原体に対する反応の複雑さがあるので、そう簡単にワクチン=人体に有益とは言えないということだ。
そして問題なのが、ワクチン接種では感染が防止できない事実が明らかなのに、これを義務化したりパスポート扱いしたりの動きであり、非常に懸念すべきことだと言う。また科学的に合理的でないことが強制されるのでは民主国ではないとも指摘していた。
このワクチンのパスポート扱いは、ウイーンフィルのニューイヤーコンサートが正にそれであったことを、前に取り上げた。
ここでもPKディックの小説が現実になっている。
前は『火星のタイムスリップ』と水道民営化が酷似している話題だった。またコロナウイルスのワクチンと新型株の出現で思い出されるのは短編『フォスター、おまえ死んでいるところだぞ』(『フォスター、お前もう死んでいるぞ』の訳もある)である。
政府は、核シェルターを各世帯で設置するよう国民に指示するが、小学生フォスターの家には設置されていない。彼の父親は商売が不景気であり、大企業が売り出しているシェルターは非常に高額である。そのうえ、彼の父親は過去の体験から政府の軍拡姿勢に不信感を抱いている。このためフォスターは学校でいじめられる。同級生からも教師からも、父親が反政府だと言われて。父親は、世間に迎合しないことを妻に責められ、無理してシェルターを購入し、フォスターは大喜びするが、すぐに敵国が新型爆弾を実用化したのでシェルターは無力化してしまい、それを歓迎するかのように企業はもっと高額な商品を売り出す。

この話について作者はこう述べていた。
米国政府は国民の生命よりドルの方にこだわっていることを言いたかったのだ、と。



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