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  • 執筆者の写真井上靜

カンニング自体ではなく認められない人がやるのが悪い

 カンニングの罰で自殺した高校生の親が学校を訴えるつもりだ。

 この報道によると、「卑怯者」と罵られたり写経をさせられたりで精神的に追い詰められてのことだから、不適切な指導が死の原因であると主張している。教師の側に行き過ぎがあったかは別の問題として、この学校ではカンニングが悪いことになってはいたわけだ。

 カンニングは学校によって、また同じ学校でも条件によって、違ってくる。



 前に、カンニングは大学で黙認どころか大学がやらせている所の話をしたことがある。

 それは同じ高校の人が入った私立大学のことで、かつて飛び降り自殺の名所と言われた所の近くにある。そこは偏差値が低く学費が高い。そして全く勉強しないで卒業させてくれる。試験の時に堂々とカンニングペーパーが回ってくるけれど、それは、そんなことでもしないと誰も卒業できないから。それが知られているかであろうが、実に就職が悪い。

 そして、同じ高校の男は、大学とはそういうものだと思い込んでいるので、必修科目の語学で辞書引くなど予習したり、試験のため勉強したり、という当たり前のことが解らず、勉強しているところへ押しかけてきて遊びに行こうとか言って迷惑をかけていた。


 高校でカンニングが黙認される事情で大きいのは二種類だろう。

 一つは、甲子園大会出場の常連校での野球部員など、学校の宣伝になるから大会に向けて練習ばかりしていれば良いとされること。それだから普通に試験を受けて単位を取ることは出来ないためカンニングを黙認される。

 もう一つは、私立大学の付属高校で、推薦入学のためには成績が良いことが必要だからカンニングが黙認される。推薦入学のさい多額の推薦料金を支払わせるから、学校側の利益になるということ。


 このように、カンニング自体が悪いのではない。

 あくまで、認められないカンニングだから悪いのだ。学校にとって利益にならないからだ。それをやらかして失敗してしまった生徒が教師から罵られて死に追いやられた、という悲劇である。


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