カルト追及もポジショントークにすぎない
- 井上靜

- 2024年4月6日
- 読了時間: 2分
先日、「ポジショントーク」という話題を取り上げた。
これは飽くまで流行語であるから定義は不明確である。ここで話題なのは、社会問題を語っている人たちのうち少なくない者が、特定の立場から発言していれば意味があると錯覚して楽しんでいるだけ、という指摘があったことについてだった。こんな人たちは、社会について考えはおらず、社会を良くしたいという気持ちも無い。
そして、その立場をセクトとか党派とか呼ばれるものと同一にして、仲間または支持者がいると思い込む。
この典型が「ネトウヨ」であることも、よく言われることだ。
そして「リベラル」を標榜している人たちにも似通った特徴があり、前から「反自公ネトウヨ」と呼ばれてきた。これに反発している自称リベラル派を観察していると、いくら反発したところで実際に当人がネトウヨと全く同じ思考や発想をしていることが判る。
これと共通しているのが反カルトの人たちである。

カルト追及する集団について「ネトウヨ団」と言った人がいる。
これは統一教会などを追及している「 自称ジャーナリスト」などが、同団体と癒着する政治家が多い自民党を批判していても、あくまで反自民であって体質はネトウヨであるという話だ。なぜそうなるかというと、カルトへの批判がまさに「ポジショントーク」だからである。
なので、宗教団体の活動を社会問題として個別に考えるのではなく、すでにカルトとして定評のある団体だから非難し、そのための材料を集めているにすぎない。だから、そこでしばしば牽強付会も行って御門違いの誹謗までしている。
そして無関係のことまで同じ物差しで測る。
例えば薬害について。これは問題があった個別の薬品を具体的に検証する必要があるのに、それを、自分はカルト追及しているから科学万能主義に寄って立つという単純で杜撰な発想をする。
これだから、かつてのスモン病など昔からの薬害事件について少しでも一般教養として知っていたら有り得ない御粗末さを発揮して、「公式見解」を鵜呑みにしたり、御用学者に対する疑いすら持てなかったりで、そんな自らの醜態に気づくことはない。
それでも、ポジショントークを楽しむ人には、ちょうど良い退屈しのぎなのである。



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