アランドロンの死
- 井上靜

- 2024年8月30日
- 読了時間: 2分
アランドロンが亡くなった。
彼は美男子だったので二枚目俳優の代名詞のように言われていた。
「♪ドロンに痺れるお兄さん、遅れた人だと言われるよ、二枚目なんかじゃモテないよ、個性の時代を知らないか~」
ピンクレディーが唄っていたのは77年だったはずだが、この辺りから個性派が重視されて、正統派の二枚目は活躍の場が乏しくなったと言われてもいた。個性派がもてはやされる中で珍しく正統派の二枚目がハリウッド映画に出てきたと言われたのが79年の映画版第一作『スタートレック』でデッカー副長を演じたスチーブンコリンズだった。
アランドロンは個性もあった。
アルパチーノと共に、二枚目で個性もあるスターと評価されていた。
「アランドロン+アルパチーノ<あなた」(アランドロン足すアルパチーノより貴方、と読む)歌を榊原郁恵が唄っていたのも、同じころ78年である。
後にジョニーデップが、二枚目で個性もあるからスターになったと言われる。それはアランドロンとアルパチーノのあたりから始まったということだ

アランドロンは、顔は良いけど頭は悪いと言われた。
それは頭が悪いというより素行が良くないという方が正確だろう。彼は戦争体験があって軍隊で不祥事を起こしていた。主演作で特に有名な『太陽がいっぱい』のルネクレマン監督は、アランドロンの起用について、映画会社から売り出したいからと言われてのことだと明言していた。それでも真面目にやればいいけれど、ロケ地では海で遊んでばかり。日焼けして撮影に支障を来し、監督としては困ったという。
それでもミケランジェロアントニオーニら色々な名監督たちがアランドロンを起用していた。それだけ良い役者だったということだ。
アランドロンは自称右翼だった。
そして差別的な言質もあった。ただ、これは不良少年が粋がっていたような感じで、本当は政治のことなど解らなかったはずだ。そこがイヴモンタンと違っていた。ムッソリーニ率いるファシスト党に乗っ取られたイタリアを逃れフランスに来た父親の影響をうけていたイヴモンタンが常に政治的で左翼的であったのとは対象的である。
なんであれアランドロンは名優だった。
87年に来日したさい、「アランドロンだ」と人が集るのではなく、アメリカから来たプロ野球の名高いホームランバッターに「ボブホーナーだ」と人が群がり、アランドロンは少々淋しそうだった。
それでも、その後まだまだ香水のブランドとかアランドロンの知名度は国際的に高かった。そんな彼も88歳で世を去ったのだった。



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