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『シャイニング』の小説と映画化

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年12月28日
  • 読了時間: 2分

 前に出版の仕事がテレビドラマの内容と関わった。

 その内容とは、ミステリーやサスペンスの物語の劇中に赤い羊が出てきたことで、その意味を編集者が解らなかったから、これはおそらくスチーブン-キングの小説に出てきたもので、赤い羊のレッドラムを反対から読むと殺人を意味するマーダーとなることだろうと指摘した。そんなことがあったのだった。


 この小説『シャイニング』は、スタンリー-キューブリックが映画化している。

 これをスチーブン-キングは酷評している。あまりにも内容が違うからだ。ただし他のキングの小説で原作と違いすぎる映画化はいくつもある。例えば『クージョ』の映画化は原作と違ってハッピーエンドにされているが、この改変に小説を知っている人たちは怒り、悲劇だから意味があるのに酷いと言っていたのに対し、キングは製作者がどうしてもハッピーエンドにしたかったから仕方ないと言っていた。

 ところが『シャイニング』には文句を言っていた。


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 それでも映画がよくできていたと言う人もいる。

 この映画は、ただ設定の一部を借用しているだけ。雪に閉ざされたホテルで住み込みの管理人が閉所恐怖症により発狂して一緒にいる家族を襲うというだけで、オカルト的な要素が希薄になっている。それはそれで、限定された空間という定石により映像化としてはむしろ面白い。

 しかし、これでは内容が違いすぎているどころか、設定の一部を借用しただけで『シャイニング』の映画化ではない。だから原作者も文句を言っているのだろう。こうなることで、題名の意味が不明確となっている。その「輝き」という第六感のようなものを少年が持っていて、それと共感する能力を持つ年配の従業員が助けに来るという物語の本旨が消えてしまったから、題名の意味が無くなった。

 これを映画館で観た時、ジャック-ニコルソンの狂気の演技は凄かったが、そこへ歌手でもあるスキャットマン-クローザスがふんする従業員が助けに来るけれど原作と違ってあっさりと殺されてしまうから、彼が活躍すると思っていたのに拍子抜けだと、近くの客席で女性が一緒にいる男性に言っていたのを記憶している。


 もちろん、小説は長いし、内容的に映画化に向いてない。

 それを改変して独特な映像化ということだったのだろうが、それはネタとして如何なものだったのかとは思った。

 そんなことを、テレビドラマがらみの仕事のことで思い出したのだった。

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