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SFが現実にならない人間の知能の限界

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年10月30日
  • 読了時間: 3分

 ブラッドベリの小説で一番人気は『火星年代記』だろう。

 その証拠にSF小説の人気投票で常にハインライン『夏への扉』とキース『アルジャーノンに花束を』と共に上位にあがっているし、図書館にあるものは他より手垢がたくさん付いている。

 この新装版で、元は1990年代の未来という記述が2030年代に変えられている。よくSF小説では、書かれてから年月が経過して、内容的に古びてはいないけれど設定の年になっても科学が進歩していないことがあるどころか、そればっかりである。

 その最たるはクラークの「宇宙のオデッセイ」シリーズで、映画化のキューブリック監督は「もうじき2001年だけど『2001年宇宙の旅』が実現しそうにありませんね」と言われて「NASAが仕事をサボっているからだ」と応えた。

 また『夏への扉』も1970年代から2000年代という設定だが、そこに描かれる科学技術は全く実現していない。せいぜい自動で動き回る掃除機「ルンバ」程度である。ディックの小説が原作『ブレードランナー』は冒頭で2019年と表示されるが、人造人間はいなくて、動かない「ラブドール」が売られているくらいである。


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 そういうことが次々と証明されはじめた80年代、その後半になっても、まだ解らない人がいた。

 その最たるは「SF作家」の豊田有恒である。もととも『鉄腕アトム』の台本を書いていたが、虫プロ追放のあとで小説家になり、原発推進派の代表みたいな存在になる。そして原発の廃棄物はロケットに積んで太陽に向けて打ち上げれば良いとトンデモ発言していた。86年のスペースシャトル打ち上げ失敗で爆発した事故のようなことになったら大変なことになる。そのトンデモ発言を批判されてもまだ、将来は科学技術の進歩で解決できるようになると言い張る。もう一つ彼が関与した『宇宙戦艦ヤマト』のコスモクリーナーみたいなものが発明されるハズということである。


 こうした具体性の無い「何とかなる」で「見切り発車」を正当化するのは無見識である。

 ところが、そういう発言する人は他にもいて、例えばチェルノブイリ原発事故の当時、東京大学の助教授(今の准教授)であった舛添要一が、原発に色々と問題があっても将来は解決できるようになると、何の具体性もなく言っていた。将来への希望ではなく空虚で無責任な思考停止であった。

 こうした無責任・無見識の人たちは、マスコミに出て大企業から金をもらうためデタラメでも良いと思って放言しているのだろう。そんなのは論外である。


 それより大事な現実を認識すべきである。

 これはオリンピックが無意味になったと指摘されているのと同じである。かつては体力と技術の進歩で新記録が塗り替えられる連続だったから盛り上がっていたが、それも限界になり面白くなくなってしまった。だからドーピングする選手がでる。それと同じように科学技術の進歩も、体力と同様に知能からして、そろそろ限界ということではないか。だから将来に過剰な期待をしてはならない。

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