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筒美京平・すぎやまこういち、才能の行方

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2020年11月5日
  • 読了時間: 2分

更新日:2021年6月24日


 先日、NHK‐TVで、死んだ筒美京平の30年前に無用の長物となった偉大な才能について特集していた。

 この番組の趣旨は筒美京平を賛美することだったが、それでも90年代になると筒美京平の楽曲がヒットチャートに昇らなくなった事実を指摘していた。その象徴的な現象として小室哲哉らの台頭が紹介されていたが、こうなったのは世代交代ではなく時代の変化によってのことであった。

 それまでは、テレビを日本国民が皆で同じように観て、レコードの売り上げや放送へのリクエストによって歌の人気に順位がつけられていた。これが昭和という時代だった。しかし社会の成熟によって否定されたのだ。これは当時から言われていた。

 つまり、筒美京平のキャリアは昭和と共に終わったのだ。

 もともと筒美京平はレコード会社の社員だったから、売るための作曲をしていた。その師匠は、すぎやまこういち。

 もちろん、すぎやまこういちも、あくまで売るための音楽を作っていた。だから筒美京平は弟子入りしたのだ。しかし、すぎやまこういちは時代の変化に合わせて恥も外聞もない処世術を奏していた。『学生街の喫茶店』で茶を飲み話したりしなくなった若者たちが失語症も同然となってビデオゲームにのめりこむようになると、『ドラゴンクエスト』の音楽でパクリと言われようと売れて、インターネットの時代になったら『2ちゃんねる』を熱心に訪問してネトウヨ発言をせっせとするようになった。

 この甲斐あって、弟子が死んだのを尻目にネトウヨ政権から表彰された。これも、ある意味で「偉大な才能」だろう。

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