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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2025年4月1日
  • 読了時間: 2分

更新日:2025年4月1日

 統一協会に解散命令が下された。

 あのような理由なら、とっくの昔に下されているべきだった。それなのに今さらなのは、癒着した政治家が権力で統一協会を庇っていたからだ。これは周知のとおり。

 その政治家の代表格が安倍晋三であり、これが統一協会の被害者に殺害されたから、解散させるのを邪魔する者が居なくなったのだ。



 つまり、追及や批判の効果ではなく銃弾の効果であった。

 もしも地道に長きにわたる追及や批判の効果であるなら、統一協会の実態を知る人が多くなり入信や寄付をする者が減って統一協会が衰退するか、あるいは世論が気になって政治家も庇えなくなって解散させられた、ということになったはずである。

 なのに、追及の成果であると自画自賛する人達がいたり、暴力に訴えたことが効果的だったと認めてはいけないと思う人達がいたり、それで現実が歪められている。


 日本は、政治家の権力と不正を市民が許さない社会ではない。

 これは日本が無法地帯であるからだ。それで不正が横行し、これを正そうとすれば権力から迫害を受けてしまう。そうでなければ、もともと暴力に訴えて復讐をする人は出ないはずだ。出ても、たまに血迷った人がやるだけである。安倍晋三を射殺した元自衛官は、血迷った人とは見られていない。まっとうなやり方が通用しない社会の現実に絶望して、せめて復讐だけ実施しようと決意したようである。

 これを語られてはまずいから、逮捕された射殺犯の裁判が一向に開かれないのだ。


 これなのに、統一協会への解散命令について、長年の地道な追及と批判が継続は力なりで報われたというような美談仕立ての言葉を用いるのは、日本社会の現実を認識せず紛らわす気休めである。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2025年3月31日
  • 読了時間: 2分

 京都への修学旅行を諦める学校が続出しているそうだ。

 これは外国人の観光客で宿泊施設などが埋まってしまうため。日本の良いところを日本人が訪問できないなんて残念なことになっていると言う人もいる。

 しかし、修学旅行で京都に行ったけれど、京都だから良かったと言う人の話は聞いたことがない。京都はくだらないとか嫌だとか言う人の話ならよく聞くが。



 まず京都は気候が悪い。

 沖縄の出身で京都にしばらく住んだことがあるという人が言っていた。気温は沖縄の方が高いのに京都の夏の方が遥かに不快だったそうだ。関西の気候は暑さが身体にまとわりつくような不快さだと言われているけれど、そのためだろう。京都は春すでにクソ熱い。

 また食い物が不味い。「大阪の食い倒れ」に比してのことであるだけでなく、京都の食事など最低である。

 そしてなにより酷かったのが、修学旅行生むけに子供騙しで粗悪な茶葉をそれらしい容器に入れて「玉露」と称して売りつけることだ。大阪と奈良の人が一致して言っていたけれど、京都の人は上辺こそ上品だが腹黒い。政治の街である伝統のためだと言われる。これは、あの京都の有名な女性下着メーカーの関係者と姻族関係になった人も言っていたことだ。


 そんな京都の観光など、外国人に任せておけばいい。

 それに、京都の人たちは外国人の方が金を使ってくれるなら、そちらを歓迎する。そこに修学旅行で行く意味は全く無い。


 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2025年3月30日
  • 読了時間: 2分

更新日:2025年4月4日

 港南ストリートピアノ設置者が顰蹙を買った。

 誰でも弾いてよいピアノで、つっかえてばかりいる人達のため、設置してあるフードコートの客から苦情があるので、練習は自宅でやって、つっかえずに弾けるようになってから来て欲しい、という声明を発表し、それが守られなければピアノを撤去すると言うことだった。

 これでは上手な人たちに無報酬で演奏させたいと言うも同然の図々しい話だから、さっさと撤去したらいいという声が上がっていた。



 長時間の使用は遠慮するように言えば良かった。

 それなら、練習は出来なくなる。また、一曲なら時間は短い。それが真摯であるならヘタクソでも頑張って一曲通して弾けば拍手も起きるはずである。

 これを言ったうえで、弾き始めたら、つっかえてもいいから最後まで弾くよう頑張ってください、途中で止めると聴いている人が中途半端な感じに不快感を持つことが実際にありましたので、どうかよろしく、と。


 練習するピアノは別の問題だ。

 あの高橋悠治さんは、プロの演奏家だけど自宅にピアノが無く、公共の場で練習していることを誇っていた。学校などで、誰でも練習できるよう一緒に開放するべきではないか。

 自分の小さいころ、住んでいた東京都内の街では、近所に芸術家や学者など「文化人」が多く住んでいて、うちのように親の勤め先の社宅住まいでピアノが置けないところの子供が興味を持つと快く使わせてくれたものだ。

 それが埼玉県に引っ越したら、そういうことが出来なくなってしまった。自宅にピアノがある家は、うちの子と他所の子の差をつけたいから、持っていない家の子に使わせてなどくれないのだ。何から何まで「さもしい」土地柄だった。


 港南ストリートピアノの一件も、設置者が「さもしい」感じがする。

 
 
 
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