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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 1月9日
  • 読了時間: 3分

更新日:1月9日

 義家弘介が引退するそうだ。

 これは自民党の後援会の幹部たちの前で表明した。前回の選挙で落選し、このさい裏金が響いたことから、限界を察したということのようだ。

 それで共産党の機関紙『赤旗』の社会部長が、彼を見習って裏金議員は引退するべきだと言っていた。しかし問題は裏金だけではない。この人だからこそ裏金も当たり前ということだから。


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 「ヤンキー先生」と持ち上げたのは『赤旗』である。

 もともと義家弘介はひどい不良だったが、反省して勉強すると大学を出て教師になり、生徒に人権を説くようになった。立派に更生した。テレビドラマの先生みたいになった。そう『赤旗』は讃えていた。

 ところが、自民党から選挙に立候補し、安倍晋三の政治姿勢に迎合して当選した。教師のころに日の丸君が代を批判したのは教職員組合に迎合しただけだったと明言もした。


 つまり政治的に変節や転向をしたのではなかった。

 もともと計算してのことだった。不良が更生したことにすればマスメディアに取り上げられる。そして自民党から政界入りし、永田町センセイとしての特権を手に入れた。

 しかも、実は教師として、生徒に対して壮絶な虐待をしていた。これを面白そうに得意がって語っていた。人間性を疑うほどだった。これでは騙されたにしても酷すぎるので、共産党の議員からも『赤旗』を発行する党中央委員会に批判が起きていた。ただ注目された人を紹介したのとは違うから。


 あのころ「現代のベートーヴェン」も『赤旗』は取り上げていた。

 聴覚を完全に失っても不屈の精神で交響曲を作っている作曲家、ということにすればマスメディアが飛びついてくると計算していた。その意図は大当たりで「現代のベートーヴェン」と騒がれコンサートは満員、CDはベストセラー。しかし難聴で苦労はしているが全く聞こえないのではなく、ビデオゲームの音楽などが仕事で管弦楽曲は専門ではなかった。交響曲は知り合いの音楽大学の講師に金を渡して作らせていた。

 その後この二人は「人を騙すのに協力させられてしまった」「金に目がくらんで協力したくせに」という趣旨の罵り合いをしていたことは、周知のとおりである。

 こうなる前に『赤旗』は「現代のベートーヴェン」を紹介していた。なんかおかしな記事だということは、読んでいる傍から感じられた。しかし色々な人たちを紹介したうちの一人でしかなかった。


 ところが義家弘介は『赤旗』に連載していた。

 それもヤンキー先生の人生相談ということで。こうやって知名度を高めてやり、美化してやり、そこでシメシメと義家弘介は自民党に擦り寄った。

 そもそも、不良が更生して進歩的な立ち位置になることは有り得ない。稀な例外ならあるかもしれないので、希少価値として紹介したかったのだろう。だとしても、普通は無いことだから、まずは疑ってみることである。それを『赤旗』は怠った。

 ということなので『赤旗』は、義家弘介を見習い裏金議員は引退するべきだと言うより、そんな出来損ないを讃え持ち上げてしまった軽率な紙面づくりを反省するべきである。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 1月8日
  • 読了時間: 2分

 石破首相が伊勢神宮を参拝した。

 石破首相は基督教徒だと公言している。かつては、大平首相が基督教徒であるから嫌がっていたのに自民党が無理矢理に伊勢神宮参拝させていた。

 また、村山首相も無理強いされていた。自分の信仰とは別に、このような宗教を政治と絡めるやり方を批判していたのに強制されたのだ。

 まったく、日本には信教の自由が無いということだ。


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 伊勢神宮を日本人は一般的に観光地と捉えている。

 それを「お伊勢参り」と言っている。これを薩長が強引に国粋主義の政治的な施設にしただけ。そんなことに首相が今も付き合わされている。

 ところが、これを日本の古くからの伝統だと強弁する人たちがいる。これが政治的意図からの悪意だけならともかく、何も知らずに善意で思い込んでいる人たちがいる。特に立憲党を支持している人たちなど。枝野幸男や蓮舫が観光ではなく盛装して伊勢神宮に参拝したのを、日本固有の文化を尊重する行為だから保守なんだと信じている。その勘違いを具体的に指摘されても理解不能である。


 なぜ立憲党の支持者たちは物事を知らない人ばかりなのか。

 もちろん、他の政党の支持者にも無知な人ばかり目立つけれど、立憲党の支持者は元々政治に無関心な人がテレビによって作られた雰囲気に乗せられている人たちだから、その政治的な見識が薄っぺらいのだ。

 このため、枝野や蓮舫の行為がどんな意味なのか解らず、批判するのはかつての「社共」を支持している人たちで、信仰心がなく伝統を尊重しないからケシカランと思っている。


 公明党は見過ごすようになった。

 これは統一協会と同じで、内心では宗教的な見地から反対している。また、公明党の支持母体の創価学会は日蓮宗だから「神道は無力」と定義している。これに反している創価学会は、他の日蓮宗から「日蓮大聖人の教えを破ったので滅びる」と言われている。

 それとは別の、日本人の一般的な信仰でも、例えば悪霊や物の怪を撃退するのは修業した僧侶などの念力であり、これは能に描かれているとおりで、神官や巫女の祓いや浄めなど形式的で効果が無いものとなっていた。

 

 つまり偽物の伝統による無意味な行為に日本の政治が縛られているのだ。

 これでは日本に運気が向くわけないし、悪者が寄ってきても撃退できないから、外交も安全保障も経済も危うくて当たり前である。

  

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 1月7日
  • 読了時間: 1分

 裁判の口頭弁論の予定

 1月23日木曜日、午前11時30分から20分程度の所要時間。東京地方裁判所606号法廷にて。


 国家賠償請求訴訟 第三回口頭弁論


 前回の昨年10月28日に、調査嘱託を拒絶したり発言封じしたりに抗議をうけた裁判長が感情的になって次回期日の指定をし忘れ、後からこの日に第三回が設定された。


 原因

 東京地方裁判所の飛澤知行裁判官が判決文に虚偽を記述したこと。

 これがひどい話である。

 兵庫県警東灘警察署の警官が東京で暴力をふるった問題について、裁判所の許可で着衣を調べたことにしてしまった。


 ここで最も問題なのは、男性警官による女性に対しての権力を笠に着た強制猥褻である。その意図の隠ぺいを図っての虚偽記載ということである。

 そして本件の陪席裁判官は二人とも女性である。男性の裁判長から引きずられ、あるいは、あの検察の部下の女性のように迎合して、性暴力の隠ぺいをするか否かに注目である。


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 ぜひ傍聴を。

 
 
 
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