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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 1月24日
  • 読了時間: 3分

 映画に関係する仕事をしている人が言っていた。

 田舎の親から、変な仕事はやめて、帰って来てまともな仕事に就けと言われたそうだ。田舎というのは、そういうところだと言う。

 たしかに、かつて一時的に過ごした山奥の田舎でのこと。地元の高校で、卒業後の進路という話になると、映画の仕事に就きたいから、日本大学の芸術学部の映画学科に進学したいと言ったところ、担任教師から、何を訳が解らないこと言っているのかと言われてしまった。

 そこでは、山の陰になっている為にテレビの映りも悪く、映画館も無く、たまに公民館の上映会で見るくらいだったから、そうなるのも仕方ない。


 『ハイジ』という映画があった。

 かつてアニメになって有名だった『アルプスの少女』の、ずっと後からの映画化だった。ハイジはフランクフルトでクララお嬢様と一緒に勉強して、最初は基本的な読み書きもできなかったのでゼ―ゼーマン家の家庭教師も呆れていたが、物語に魅せられたハイジは熱心に学んで読み書きを会得した。

 そしてアルプスに帰り地元の学校に行くと、簡単に勉強に付いて行けた。ところがそこで、将来なにになりたいかという話になり、ハイジが「小説家になりたい」と言ったら、教師は何を訳が解らないことを言うのかと呆れ、他の子供たちも変なことを言っているという感じで笑った。

 後に、クララが訪ねて来たさい、付き添っていたクララの祖母(ゼ―ゼーマン氏の母親)にハイジが、学校で不可解だったという話をしたら、お婆ちゃんは「きっと、田舎の人だから知らないのでしょう」と言った。

 たしかに田舎とは、そういうところである。


 それだけではない。

 だから、十代の時に、そんな田舎に居たら潰されてしまう。これは自分で体験したことだが、映画や舞台やテレビの脚本を書くとする。

 例えば、テレビで活躍しているジェームス三木が言っていたけど、物語を作るには権力に対して批判的でないと駄目で、でないと本質が見えない。

 『アラビアのロレンス』の脚本家ロバートボルトは、そのあと同じ監督の『ドクトルジバゴ』に関わっているとき、核兵器に反対して政府を批判するデモに参加して逮捕されてしまい、脚本を仕上げないと困るから製作者が警察に掛け合って苦労しながら釈放させたという。

 『セールスマンの死』はアサーミラーの代表作といわれる名戯曲だが、資本主義の暗部を告発した内容である。マリリンモンローが再婚相手にミラーを選んださい、周囲から反対されたのは、ミラーの交友関係をFBIが調べているらしいから。しかしモンローも実はノンポリではなかった。ケネディ大統領に接近したのはミラーの影響があったとも言われる。

 だから、社会を批判的に視ることは当たり前のことだ。それが悪いと頭ごなしに否定されたら、どうか。そんな考えをするな、そんな本を読むな、そんな話を書くな、などといちいち教師に否定されたら、まだ高校生だから凄い圧力になる。


 権力に睨まれると怖いとか、稼ぐためには商業的なのが有利だとか、ではない。

 そういうことなら、都会のど真ん中でも言う人はいくらでもいる。これは、解っていて現実を説いている。そうではなく、田舎の人には想像を絶することで、だから自分の理解できないことは何かとんでもないことだと感じ、否定する。

 こういう田舎の「怖さ」は、しばしば指摘されることだが、体験して身を以て知る者にとってはまさにミスタークルツの「ホラーだ、ホラーだ」(恐怖だ、または、地獄だ、と訳されている)である。 


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  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 1月23日
  • 読了時間: 2分

更新日:8月15日

 とうていアイドルになれない女の子の醜い話。

 これを前に話題にしていた。ここでいう醜いというのは精神的な問題である。もちろんアイドルになるにしては容姿からしてかなり厳しかった。それ以上に、憧れていた中山美穂が、ヒット作を唄うさい自分で楽譜を読んでのことだと知りショックを受けるなど、全体的に甘く考えていた。アイドルには楽譜が読めない人がよくいて、他人に唄ってもらい真似して唄うことがある。それで、アイドルなら楽譜が読めなくてもいいと思い込んでいた。

 しかし、歌唱がしっかりしていて何曲もヒットさせている歌手には、アイドルでも楽譜くらい読める人が昔からいたものだった。


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 その兄は楽譜が読めた。

 バイトして、楽器を買ったり音楽教室に通って勉強したりしたからだ。あくまで好きなことには詳しくなりたいという、当たり前のことだった。

 ところが、楽譜が読めなくてもいいと甘く考えていた妹は、兄のことを侮辱していた。どうせものにならないことをしていると言って。まったく努力しない自分を棚に上げて、というより正当化するために、口汚い罵りをしていた。

 

 好きなことをするだけでも努力が要ることは他にもある。

 そうすることで、ただ好きなことでも上手に出来るようになり、より楽しい。また、例えば受験勉強が優先になるなどして、いずれ辞めたとしても、後で友達から一緒にバンドやらないかとか手伝ってくれないかと誘われることがあるし、将来、自分の子供に教えてやることもできる。

 だから、それでプロになるとか、ものになるとか、そういうことでなくても、熱心にやることには相当の意義がある。


 そういうことが、どうして解らないのか。

 そして、やはり前に説明したが、兄は大学を出ていて、これもバイトしながら苦学してのことだったけれど、妹は受験勉強をまったくしないから入れないだけなのに、兄だけ大卒になっていると僻んでいた。

 これは親の躾が悪いからだけど、その親が言うには、生まれつきだから。自分の責任を認めたくないというだけでなく、どうも心の底から本気で、この娘を躾るなんて不可能だと思っているそうだ。よく漫画のネタに、親でもどうしようもない我儘な娘というのが出てくるけれど、あれは作り話のネタではなく実話に基づいている場合があるから、これもその一種なのだろう。 

 

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 1月22日
  • 読了時間: 2分

 受験に向かう女子が、途中で性犯罪に遭ってしまい、怖くて動揺し受験どころではなくなった、ということがあったと聴いた。

 この季節に、受験生を狙う奴もいて、警察は警戒しているそうだ。

 こういうことは、なにかしら社会の反映なのだろう。そんな風潮の社会だからであろうことは、フジテレビのことなどなど、いちいち挙げていたらきりがないくらいだから。


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 かつて同級生の母親が、娘の大学受験に付いて行くつもりだと言っていた。

 これは、やはり女の子だからだろう。あと、入試の会場まで誘導してもらえたら、その間は気が楽なので、落ち着いて試験を受けることにつながるはずだ。

 これがうちの母親だったら、間違ったところに連れて行かれて受験できなくなってしまうだろう。しかも、違うと指摘されても、自分の間違いは絶対に認めないから、ひきずってでも間違ったところに連れて行き、やっぱり間違いだったと平然と言って笑ったことだろう。そして、何か文句あるかと居直っただろう。


 こういう母親だから、受験のことを忘れてくれたほうがいい。

 まったく幸いなことに、かつて大学受験の時は、母親が寝坊それもひどく眠り呆けて、入試から帰ってきた息子に、どこへ行っていたのかと訊く始末であった。

 そして入試だったと知ると笑い出し、食べるものがなくて空腹で試験なんて全然できなかっただろうと言ってまた大笑いした。カロリーメイトなどを買って食べて試験を受け、結果は合格だった。それを知ると今度は生意気だと言って激怒し敵意をむき出しにした。もともと奇行が目立つ人だった。しかも後に統合失調症を発症している。


 まあ、うちの母親は論外である。

 それで家を出て親戚の所に身を寄せた。事情を知らない同級生から、親だと思っていたけど叔父さんと叔母さんだったのかと言われた。

 あと、大学の経理が学費の振り込み用紙を親に送付してしまうので苦情を言っても、大学の方がなかなか理解できないので困った。金なんか払わないとか、退学させろとか、普通の親は言わない苦情を言うので、やっと大学のほうも理解したのだった。

 これは特殊であるが、他にも似たようなことはある。だから、性犯罪が横行する男尊女卑をなんとかしろというのと同時に、学費の心配しないでも進学できるようにしろと言いたい。今の政府では無理というものだけど。

 
 
 
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