- 井上靜

- 1月24日
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映画に関係する仕事をしている人が言っていた。
田舎の親から、変な仕事はやめて、帰って来てまともな仕事に就けと言われたそうだ。田舎というのは、そういうところだと言う。
たしかに、かつて一時的に過ごした山奥の田舎でのこと。地元の高校で、卒業後の進路という話になると、映画の仕事に就きたいから、日本大学の芸術学部の映画学科に進学したいと言ったところ、担任教師から、何を訳が解らないこと言っているのかと言われてしまった。
そこでは、山の陰になっている為にテレビの映りも悪く、映画館も無く、たまに公民館の上映会で見るくらいだったから、そうなるのも仕方ない。
『ハイジ』という映画があった。
かつてアニメになって有名だった『アルプスの少女』の、ずっと後からの映画化だった。ハイジはフランクフルトでクララお嬢様と一緒に勉強して、最初は基本的な読み書きもできなかったのでゼ―ゼーマン家の家庭教師も呆れていたが、物語に魅せられたハイジは熱心に学んで読み書きを会得した。
そしてアルプスに帰り地元の学校に行くと、簡単に勉強に付いて行けた。ところがそこで、将来なにになりたいかという話になり、ハイジが「小説家になりたい」と言ったら、教師は何を訳が解らないことを言うのかと呆れ、他の子供たちも変なことを言っているという感じで笑った。
後に、クララが訪ねて来たさい、付き添っていたクララの祖母(ゼ―ゼーマン氏の母親)にハイジが、学校で不可解だったという話をしたら、お婆ちゃんは「きっと、田舎の人だから知らないのでしょう」と言った。
たしかに田舎とは、そういうところである。
それだけではない。
だから、十代の時に、そんな田舎に居たら潰されてしまう。これは自分で体験したことだが、映画や舞台やテレビの脚本を書くとする。
例えば、テレビで活躍しているジェームス三木が言っていたけど、物語を作るには権力に対して批判的でないと駄目で、でないと本質が見えない。
『アラビアのロレンス』の脚本家ロバートボルトは、そのあと同じ監督の『ドクトルジバゴ』に関わっているとき、核兵器に反対して政府を批判するデモに参加して逮捕されてしまい、脚本を仕上げないと困るから製作者が警察に掛け合って苦労しながら釈放させたという。
『セールスマンの死』はアサーミラーの代表作といわれる名戯曲だが、資本主義の暗部を告発した内容である。マリリンモンローが再婚相手にミラーを選んださい、周囲から反対されたのは、ミラーの交友関係をFBIが調べているらしいから。しかしモンローも実はノンポリではなかった。ケネディ大統領に接近したのはミラーの影響があったとも言われる。
だから、社会を批判的に視ることは当たり前のことだ。それが悪いと頭ごなしに否定されたら、どうか。そんな考えをするな、そんな本を読むな、そんな話を書くな、などといちいち教師に否定されたら、まだ高校生だから凄い圧力になる。
権力に睨まれると怖いとか、稼ぐためには商業的なのが有利だとか、ではない。
そういうことなら、都会のど真ん中でも言う人はいくらでもいる。これは、解っていて現実を説いている。そうではなく、田舎の人には想像を絶することで、だから自分の理解できないことは何かとんでもないことだと感じ、否定する。
こういう田舎の「怖さ」は、しばしば指摘されることだが、体験して身を以て知る者にとってはまさにミスタークルツの「ホラーだ、ホラーだ」(恐怖だ、または、地獄だ、と訳されている)である。



