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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 4月8日
  • 読了時間: 2分

 学術会議に官邸が介入した事実が明らかになった。

 これは前に言われてきたことが更に具体的に報道じられたのだ。それによると、意に添わなそうな六名を排除するよう働きかけたという。安倍内閣から露骨になったということだ。そもそも学術会議は、戦争への反省から発足したものだった。

 これを否定する意図だった。


 かつて中曾根内閣の時。

 中曾根康弘首相は、自分の意に沿わない報道に対して反論するのではなく、また純粋に自分の意見として言うのではなく「偏向していると学者が言ってきたから同感だと言った」と談話した。

 どうせ、当時のことだから、「学者」といっても統一協会と癒着していることで首相と同類項の渡部昇一上智大学教授あたりだろうと言われていた。テレビでも同席していた。


 これに朝日新聞の筑紫哲也記者が反論した。

 かつて無謀な戦争を起こして国が破滅的な惨禍となったが、なんでこんなことになったのか。それは、そんな戦争が正しいと強弁したからで、この時も学者が動員された。

 これは、かなり勇気の要る反論であった。そして痛快であると称賛された。

 ところが週刊文春が中曾根内閣側に立って朝日新聞と筑紫哲也を攻撃した。ここで起用されたのは、先日死んだ元サンケイ新聞の御用マスコミ人でフジサンケイに飼われていた俵孝太郎であった。この反論は別の関係ないことを持ち出して筑紫哲也を非難するという幼稚なものだったから、呆れたという記事が別の雑誌に掲載されていた。

 すると文春がやってきたことを、文春がやられるようになった。


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 今では古市憲寿という人が週刊文春を攻撃している。

 このタレント学者というより学者ふうタレントは「週刊文春は廃刊すべき」と、御用の立場から言っている。85年産まれと言っているので、ちょうど中曾根内閣の時である。物事がついてないに決まっている。だから御用の連中がテレビで醜態さらしていることに実感がない。それで恥を恥とも思わない言動なのだ。


 今では「文春砲」といわれるスクープを売りにしている。

 かつては時の権力に媚びる商売をしていて、中曾根内閣の当時は例の渡部昇一上智大学教授を盛んに起用していたのに。それも渡部が統一協会との密接な関係を隠さなくなったので、文春としては距離を置いたようだった。

 なんとも滑稽な輪廻である。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 4月7日
  • 読了時間: 2分

 山下達郎の一連の発言はさらに批判を招いている。

 もとはジャニーズ事務所の、所属アイドルに対する性暴力の問題だった。山下達郎は商売の取引があるので無関心を装うならともかく擁護する発言をしていた。その態度が批判されると、文句があるなら自分の音楽を聴いてもらわなくて結構だと居直っていた。

 さらに「解って頂こうとも思いません」と、陰気で卑屈な談話を発した。


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 それにしてはプロモーションやタイアップには熱心である。

 なんで解ってもらう気が無いのに他人への訴求は熱心なのか。言行不一致だという批判をする人もいる。

 でも、これは販売促進であるから、共感を求めているのとは違う。山下達郎がプロモーションやタイアップに熱心なのは売るためであり、このためジャニーズ事務所のことも擁護する。人権より金儲けが大事というのは褒められたものではないが、そんな態度の人は珍しくない。しかし山下達郎は露骨である。


 それなら山下達郎の作る音楽は創作物とは違うということになる。

 これは、すぎやまこういち及び弟子の筒美京平と同じだ。商品としての営業してこその物。だから創作物のように共感される必要は無いし、それ相当の販売をしないと売れない。売れなくても価値のある創作物はいくらでもあるが、創作物でないからには商品だけで存在しても意味がない。

 だから山下達郎は、解ってもらおうと思わないけれど売れるようにはしたいという意味で、一見は言行不一致と思える一連の発言をしたのだ。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 4月6日
  • 読了時間: 2分

 ある神社が、氏子や祟敬者の他は入場させないと宣言した。

 これは、観光でやって来た人達のマナーが悪すぎるためだった。昔から、神社仏閣に観光客が落書きするなどの心無い行為がマスコミでり上げられていたけれど、最近では職員への暴言などがひどくて困っていたところ、決定的に不敬なことを外国人観光客がやらかし、それで宗教目的でない立ち入りから撮影まですべて禁止する措置を取った。


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 宗教施設を遺跡のように思っている人がいることも原因だ。

 現役の宗教団体が昔からの施設を保持して宗教行為に利用しているのを、過去の遺物だと思っているから、落書きなどをしなければ問題ないと考えるのだ。

 それで、かつて「古都保存協力税」を、京都の仏閣の入場料金に上乗せして消費税みたいに徴収しようとしたら、坊さん達が猛反発した。街並みと施設を保存するための費用だから寺にとっても有益だろうという善意だったが、運営しているのは宗教団体であるから、信教の自由などで問題がある。一時は仏閣のロックアウトで抵抗していたほどだった。その代表をしている僧侶は当時の皇后(今から二代前)の弟である。これに賛同した野坂昭如が訪問してインタビューする様子がテレビで放送された。


 もちろん観光宗教もある。

 だから「入場料」ではなく「拝観料」と言ってはいるけれど、あれでは商売でやっていると言われても仕方ない所があった。いちおう収益は宗教活動の資金であるとしているが。他にも収益のため土産物を販売していたりする。

 そんな中で、観光を排除した神社が出たということだ。


 

 
 
 
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