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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 3月31日
  • 読了時間: 2分

 エドワード=スノーデンの話について。

 日本のインフラをマヒさせるという、あのオリバーストーン監督の映画に出てきたようにするというかというと疑問だ。

 その前にコスタカブラス監督の映画みたいにするはずだ。自衛隊にはピノチェトみたいのばかりいるから。



 ところで、エドワード=スノーデンによる、実に最もよく言い表した言葉がある。

 「『プライバシーの権利なんて気にしないよ、隠すものがないから』と言うのは、『言論の自由なんて気にしないよ、言うことがないから』と言うのと何ら変わらない」

 「単に法律を守っているからといって、政府の私生活への干渉から免れるとは限らない。

 これを理解できない人もいる。

 だいたい一般庶民とか田舎者とか言われる人たちは、自分とは無関係だと思っているからで、しかも実際に自分に何か迫害があっても自覚できない。言うことがないから言論弾圧なんて無いかもしれないし、そもそも権力から弾圧されなくても田舎は元々から何も言えない雰囲気で、それを破ったら困ることになってしまう。

 しかし弁護士だったら、これでは困るだろう。ところが、困る人が多いのが実態である。


 ここでは名前を伏せるが共産党系法律事務所の女性の弁護士。

 この弁護士から「隠すものが無ければプライバシーは気にしないでいいはず」「権力を批判するからだ」と言われたことがある。

 それは、米軍や自衛隊を批判したことで警察が自宅に押し掛け土足であがり暴力をふるいパソコンのデータなどを強奪したことを相談したら。


 あまりにひどいので、他の弁護士に相談したさい言った。

 そうしたら「弁護士なんて権力とくに警察に対して無力だ。日本では弁護士ほど虚しい仕事は無い。だから左派の法律事務所の人権派気取りは、権力犯罪にさいして権力と闘うのではなく権力犯罪の被害者が悪いことにして誤魔化したうえ自身を騙すのだ」と指摘した。

 そうかもしれない。ただ、自分で自分を騙していたら、そのうち仕事以外の他のことでも可笑しくなってくるはずだ。その女性の弁護士には「ご自愛ください」と言うしかない。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 3月30日
  • 読了時間: 2分

 痴漢免罪論法というのがある。

 これは、かつて自著でも話題にとりあげたから、すでに知っている人たちも一部にいるだろう。性犯罪の被害者に「大声を出してはしたない」と女性の方を非難するのと同じ論法ということである。

 まったく、被害者を侮辱しながら痴漢を免罪する方という二重に醜い態度であり、権勢に媚びて弱い者いじめするのが好きな人によくみられる行動だ。

 倉田真由美という漫画家は知らない。

 ただ、時々SNSで排外主義を煽る投稿をしているのを見かけていた。そうしたら、この痴漢免罪論法を駆使して権勢に媚びて弱い者いじめの発言をして話題になっていた。

 まさに、性犯罪の被害者が悲鳴をあげたら大声を出してはしたないと言うのと同じで、戦争反対の声をあげる人達を侮辱していた。

 そもそも戦争反対は権力の横暴に対して必死で声をあげているのだけど、それを乱暴と言う倉田真由美は、加害者と被害者をすり替えて非難することで強者におもねっている。こういう人は昔からよく見かけてきたもの。目新しさはない。


 それで排外主義者であることも一緒に取り上げられた。

 倉田真由美は排外主義を暴力的に煽るヘイトスピーチの異常な攻撃性は黙認し、そのうえで自身も外国人排斥の主張を繰り返していた。そんなことをしながら、なぜか戦争反対には「乱暴な言葉」と揚げ足を取るから、まずは自身の言葉の暴力性に気づくべきだと指摘されていたのだ。

 この類のことを言う人達は七十年代からマスメディアに盤踞してきた。だから、この度も個人的な発言なのに権力べったりメディアが大喜びで取り上げている。そこで共通していることは、民主主義社会における政治への批判という意味を解っていない人達である。

 だから、権力にすり寄り虎の威を借る狐のようにして「もっとお上品にしなさい」と宣うのだ。



 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 3月25日
  • 読了時間: 3分

 ノーラン監督の映画で『インセプション』だったはず。

 ある場面で、脅された金持ちが金をくれてやろうとするさい、中の現金より財布が高価だから財布ごとやると言ってる場面があった。中身をいっぱい入れても財布の値段の方が高いという「高級品」があるものだ。

 そんな商品を扱う店で、店員は言う。「高いけど十年は持ちますよ」と。


 自分でもそこそこ高価でオシャレで収納力の優れた財布を持っている。

 だが、しばらくしたら意味が無いと思うようになった。なぜなら買い物のほとんどがバーコード決済で、たまに現金だから。

 これでは財布なんて安物で間に合う。だいたい、安い衣料品の店には鞄と一緒に財布が売ってあるものだ。おそらく革製品のからみだろう。だから靴店も同じだ。ここで買った千円前後のもので充分に間に合う。



 ところが、安い財布に難癖をつける人達がいる。

 例えば、貧乏に見えるとか運気が落ちるとか。しかし、他人が使っている財布をいちいち観察する人はいない。高価な財布やおしゃれなデザインの財布を使っても、人が関心を持つのあくまで金の方である。

 また、金持ちは気にしない。どう見られようと金なら持っているから。風水で金に感謝して入れ物を良くすべきと言うけれど、しょせん金なんて天下の周り物であると思っているし、ほんとうに意味があるのは印刷物ではなく記載された内容の方であるという認識は資本家からマルキストまで共通している。究極において社会と経済が進歩すれば貨幣は無くなるとマルクス経済学では説いていたが、今の時点で、置いといて所有者だけ変わる石で出来た金と同じようにはなってきた。


 高価な財布を見せてスリや強盗に遭いたいのか。

 そう言うのは本当の金持ちである。同様に、ロレックスの腕時計なんか見せびらかすようにして強盗に襲われたいのか、ベンツに乗って当たり屋にぶつかられたいのか、などと金持ちほど言う。

 前に、高級文具なんて売りたい側が推奨しているだけで、使って良い気分になるとしてもあくまでも雰囲気のためである、という話題を取り上げた。むしろ書き味などは百円以下のボールペンの方が良いくらいだ。外見などで気取らずに使いやすさを優先するからだ。

 これと財布も同じである。


 結局、高価な財布の何が良かったか。

 あれは買ったときの気分が良かったのだ。若い女性の店員が「ありがとうございます」と言ったうえ店を出るまで見送りに付いてきてうやうやしくお辞儀をした時が良かったので

あって、使っている時ではない。

 こういうことは他の物でもだいたい同じだろう。



 
 
 
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