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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 11月12日
  • 読了時間: 2分

更新日:11月16日

 仲代達矢が亡くなった。

 彼は夫婦で俳優養成所を営んでいた。これは意欲と才能がありそうな人に無報酬で演技を教えていて、夫妻に子供がいないから弟子たちが代わりだと言っていた。ここから役所広司などが輩出された。

 それで最初に教えるのは歩き方だった。特に踵のある靴を履いてフラフラせずに歩くことを練習する。


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 これは仲代達矢が新人の時『七人の侍』にワンカットだけ出た場面で、ただ侍が歩いているだけなのに黒澤明監督からダメ出しをされ、映るのは1秒程度なのに撮るのに半日もかかった、という体験があったからだ。

 なんで歩くだけなのにダメなのかと思ったが、腰が据わってなかったからダメということだった。それを自分でも気づいたから俳優は先ずちゃんと歩行できないといけないということになった。


 さて、かつて十代のころにバイトでテレビの裏方をしていた話をした。

 詳しくはこちらのリンクから参照のこと。

 


 この中で、結婚式場の場面で歩くだけの仕事をした。

 これは俳優ではなくエキストラである。新郎新婦が歩く場面の後姿だったが、花嫁はモデルクラブから動員された女性で背が高かったから、それより少し背が高い男性が良いということだけど、居合わせたのは背の低い男性ばかりだった。それでその場で唯一背が高いということで急遽、裏方なのに衣装を来て並んで歩く撮影をしたのだ。

 そのとき十代だったから、衣装を着ると周囲から「可愛い花婿さんだ」と揶揄われた。しかし後姿だから構わなかった。花嫁役は顔が映るかもしれないので入念に化粧していたけれど後姿だけだった。

 

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 その時の歩き方が問題だった。

 テレビで放送されたのを見たら、自分の歩き方がなってないのに驚いた。足の動きの左右が違い、片方だけ足のウラが一瞬見えたりもした。

 これに対して、花嫁の役はモデルクラブの人だけに歩き方を練習しているから、とてもきちんとしていて綺麗な歩行だった。どちらも顔は映らなかったが、この違いである。

 ほんとうに恥ずかしかった。


 そんな、今は昔の十代の時のことを、仲代達矢の訃報で思い出した。


 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 11月10日
  • 読了時間: 3分

 紳士服の専門店で店員と話した。

 スーツは売れなくなってきた。倒産した有名な専門店も何軒かある。日本は運営しているがブルックスブラザーズやバーニーズニューヨーク、バーグドルフ・グッドマンやニーマン・マーカスという店が。

 これは、アメリカでは仕事で着なくてもよくなったからだが、日本は暑いからだ。世界的な温暖化だけど特に日本は著しい。もう年の半分以上が着ると辛い。それでネクタイも売れない。アメリカでは、高級紳士服を販売するようなお店やブランドがどんどん倒産しています。

 やはり気候が変わっているのだろう。熊も冬眠しなくて人里に出てきて騒動になるのではないか。そんな話になった。

 

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 今、仕事で背広を着るのは弁護士くらいになった。

 そしてアメリカのテレビドラマ『スーツ』では「弁護士はハッタリだ。背広だ」と言っている。アメリカの法廷は敵との対決だから。刑事被告人も法廷では正装する。推定無罪なのに偏見で観られてはならないから。なのに手錠をかけたまま入廷させられる日本の裁判所のすることは悪意である。

 また、日本の弁護士は依頼人に対しての礼儀で正装しているし、民事訴訟の原告や被告などの当時者は、堂々として見せるために着る。普段着で法廷に入ると、なんだか借金を返さないで訴えられた人みたいだからだ。 そこには『男はつらいよ』のタコ社長みたいな恰好の人もいて、資金繰りで苦しむ零細企業の経営者が法廷に来ているのだ。


 あとはヤクザである。

 やはり法廷では背広で決めている。もう少しオシャレな方がいいのにと余計なお節介を言いたくなる。日本のヤクザ映画では予算の関係もあって華やかではない。これは和装でも同じだ。

 よく、映画を観るとアメリカのギャングはビジネスライクだからスーツは制服みたいにお揃いであるが、フランス映画のギャングだと一匹狼がカッコイイということでジャンギャバンやアランドロンが颯爽と決めている。これがイタリアだと『ゴッドファーザー』のようにまた違ったオシャレである。アルパチーノは身長が170センチに満たない。それでもスーツが決まっていたから、背が低くてもスーツは似合うということで日本での売上向上に映画が貢献したと言われている。アルパチーノも悪役のジョースピネルも法廷でのスーツが実にオシャレであった。


 外国の映画では背広もオリジナルの衣装である。

 医療裁判で陪審員制度の理想を描いた『評決』で、ポールニューマンの弁護士も、敵対するジェームスメイソンの弁護士も、劇中で着ているスーツはオリジナルのデザインであった。

 こちらの弁護士すなわち『ゴッドファーザー』でロバートデュバルの顧問弁護士はコルレオーネ一家の一員だが養子でドイツ系アメリカ人のうえ一応カタギだからスーツはやや堅苦しいデザインであった。

 また『ゴッドファーザー』のシチリア系とは違いナポリ系のアルカポネと対決する警官を描いた『アンタッチャブル』では衣装のデザインがジョルジオアルマーニだった。

 

 アランドロンもアルマーニも死んだね。

 ということも紳士服専門店の店員と話した。ダーバンの宣伝はアランドロンだった。かつては水商売の男の必須がダーバンだった。今は俳優の向井理である。その出演作からするといかがなものかと、これまた余計なことを思ってしまう。

 これについて大量生産の御三家であるAOKI・青山・コナカの店員たちに訊いたら、やはり昔のアランドロンの当時の方が景気が良かったのではないかと言っていた。

 

 
 
 

 田島陽子もと参議院議員がネット番組で発言した。

 「『妻』という呼ばれ方でいいのか?」というテーマで「妻って変な言葉だよね。刺身の“ツマ”で、何かの端っこみたい」と指摘したうえで、「人間の旦那の相手を妻と呼ぶのは失礼、腹立たしい」「これは法律で変えていかないといけない」などと語った。


 これにケチをつけたのがタレントの猪狩ともか。

 この人はアイドルユニット「仮面女子」のメンバーで車いすユーザーと紹介されている。彼女は自身のバツ(エックスとも言う旧ツイッター)で「いい加減こういう言葉狩りやめませんか?普通に『妻』で良くないですか?」と投稿し、これが一部で「反論」と報じられた。


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 言葉ということでは、法律を改訂するべきだと元議員は言った。

 これは当たり前のことである。法律では言葉を正確に使用しなければならない。そして現代の日本の法制度では、婚姻について両性の平等を謳っている。ところが今の婚姻届は記入欄に「夫」「妻」と記載されていて、片方を添え物とする表現になっている。

 これだから、「失礼」「腹立たしい」としたうえで、法律を変えないといけないという指摘である。俗に軽く発した言葉に細かいことで非難を浴びせることを「言葉狩り」と言うことがあるけれど、それとは明らかに違う。


 つまり猪狩は田島の発言の趣旨を正確に捉えていない。

 だから、言葉を正しくしないと法律的に問題であるという指摘に対し、「普通」に従来のままでいいと的外れなケチをつけたのだ。

 これでは真面目な問題提起に対する「真面目狩り」「問題提起狩り」である。こういうことをする人は他にもいて、それは常に通俗的で時代遅れな「普通」を掲げて改善を妨げるから、とても迷惑なのだ。芸能人の無知だけでは済まされない。


 
 
 
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