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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 4月20日
  • 読了時間: 2分

 米兵の逮捕相次ぐ 傷害、施設侵入の疑い 那覇署 沖縄

 いつも「◯◯人は日本から出ていけ」とばかり言いつづける差別主義者やネトウヨの連中は、このように米兵が事件を起こしても何も言わない。

 それに、外国人が居ると邪魔だと言いたい人達は、それでは駄目だから、外国人がなにか悪いことをしているというデマゴーグをまき散らしているものだ。

 これを「大和魂」と皮肉った人がいる。皮肉で「ご立派」な国粋主義ということなのだろう。



 しかし 、それは大和魂とかナショナリズムとかではない。

  だいたい、基地問題と排外主義とはまったく違う。米兵の犯罪などは基地問題であり、国防とか安全保障とか、あるいは外交の問題である。したがって、我が国の主権や国民の尊厳の問題になる。ということは、なかなか難しいものなのだ。

 それとちがって、外国人に日本から出ていけと叫ぶのは排外主義であり、これは経済的な事情からの人手不足とか難民とか、そういう問題をまったく考えていない、ただの差別や弱い者いじめだから、頭を使わなくていい。バカでも簡単にできることだ。

 そういう違いがある。


 もちろん強者への媚び諂いもある。

 これで思い出して気分が悪くなるのが、高校の同級生である。間違って入学したが勉強が出来ず留年していた男子だ。自尊心が無いから、基地問題で、どんなにひどいことがあったかという報道から話題になっても「でもアメリカにご機嫌とらないど日本は危ないでしょう」と言い、難しい問題には関心がないとか解らないとか言っておきながら、だったら黙っているべきなのに、それがすら解らない。

 それで権勢に媚びて「ねっ、ねっ」と同意を求めて、これが卑屈だから「にい、にい」と聞こえる気持ち悪い口調になる。

 この調子だから、生徒の人権問題が発生しても、迫害する教師に媚び諂い、声を挙げる同級生に失礼なことを言う。温情で卒業させてもらうしかないと思っているからだ。


 つまり、権勢に媚びる人は自尊心と知性の両方が無いのだ。

 それで、弱い者いじめをすると自らを貶めるということが解らないし、強者に諂っていないと自分が危なくなると思い込んでしまうのだ。

 だた、そういう人を自分にとって都合が良いと思う人もいる。自分が出た高校の担任教師がそうだったし、政府の方面にも同類項がいる。そうなる構造があるからだ。それを踏まえて対応しないと、自分の道をも誤ることになるから、要注意である。


  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 4月19日
  • 読了時間: 2分

更新日:4月19日

 功成り名遂げた人は都会に住むものなのか。

 先日、ちょっとマスコミに顔を出していたから知られている人が、地方で仕事を得て地元に居を構えていることを、都会に住めなくなったのかと言われていた。それなりの仕事があるなら地方だって良いことがある。もちろん地方ゆえの余計な出費もあるから、具体的な計算と比較をしなければ何とも言えないが。

 また、一旗あげたくて都会に出てきたけれど挫折して地方に帰ることもあるけれど、それは都会に住めなくなった、というのとは違う。


 都会に住めなくなった人は、地方というより新興住宅地に住むものだ。

 それで犠牲になる子供たちを、アメリカ映画『レベルポイント』が描いていた。監督は、後に『告発の行方』などを撮るジョナサン=カプラン。ここの住民は「都会を捨てた人達」と呼ばれるが、近い時期にヒットして続編も造られた『アドベンチャーファミリー』(スチュアート=ラフィル監督)のように、大気汚染を逃れるために都会を去って山奥に移住して自然と格闘する家族とは違う。

 その新興住宅地では、まだ完成しない家が並び、映画館など娯楽施設が無い。田舎でも自然の中で生活しているのでもなく、ただ半端な町で殺伐とした雰囲気でさえある。



 唯一の娯楽場は、児童館的な溜まり場のみ。

 これを警察は非行の温床と見ている。これは警戒しているというより子供たちを見下しているからだ。その証拠に、一部の素行が良くない少年を見張っているさい、そうではない他の子供たちに対しても威圧的である。こうなるのは、親が社会の「負け組」だから。

 では学校の教師は何をしているのか。非行があってから教師は非難されるが、そうなる前に子供たちの問題について懇談会を開催しても、親は出てこない。まるで無関心。何かと意識が低いからだ。そんな親ほど後から文句を言う。

 ついに十代の鬱憤が暴動を起こし、制圧されて、関与した子供たちは鑑別所に送られる。普段は真面目な子まで。


 この映画は、あの当時(1970年代)に、よく描けたというものだった。

 どうやら物語の一部に実話が混ざっているらしく、それで細かい部分の配慮が効いているのだろう。これが日本のドラマだと、だいたい都会と地方(田舎)という単純二分化になっているし、新興住宅地を取り上げてはいても、そこでの生活を強いられる子供という視点は無かったはずである。

 そのようにしかドラマが作られない日本の事情、すなわち一般的な社会意識の低さが、名を知られた人が地方に住むことを、都会に住めないと誤認させるのだろう。


  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 4月18日
  • 読了時間: 2分

更新日:4月18日

 俳優の伊東四朗は、東京大学の食堂でアルバイトしたことがあるそうだ。

 それは厨房で働いていたそうで「だから卒業生で俺が作ったピラフを食べた人がいる」と言っていた。

 ところで東京大学の食堂で食べたことがある。身内が学生なので、一緒に。ここの食堂は結構いいのではないかと思った。

 前にテレビドラマで、主人公が娘の入った大学へ一緒に行き、そのさい父さんは大学の時にどうだったのかと質問される場面があった。そんなふうに、自分が大学でどんなものをたべていたかという話になった。



 かつて通っていた大学には複数の食堂があった。

 それくらい普通のことで、もっと大きなユニバーシティでは学部毎に食堂があるくらいだから。それで、通っていた大学には「レストラン」と銘打った所もあったのだ。ただの学食だけど。

 そこについて、当時、語学で同じ組の男が「不味いじゃん!チンタラやってるし」と嫌悪感も露わに言ったことがあった。たしかに、不味いと言っても不当ではないくらい美味しく無かったし、遅いというよりチンタラというのがピッタリなほど従業員の態度が悪かった。だから行かなくなった。



 また、大学の通信制を受講した人が言っていた。

 通信制があるということは他の大学のことである。自分が通った大学には通信制は無かった。通信制は、通学生が夏休みの間に大学に行ってチェックしたりするけれど、そのさい学食に行ったら献立の何もかも凄く不味くて、よく通学生は我慢して食べてるものだと呆れたそうだ。

 こういう話は、あちこちで聴くから、学食が不味い大学は相当にあるということだ。自分が通っているのとは別の大学でアルバイトしたことがある。これは自宅が近かったからだ。その大学の学食も美味しくなかった。


 学食が不味いのは学生を大事にしてないからだろう。

 東大の学食が結構いいのは、他よりは学生を大事にしているからではないか。だから高校生が大学を決めるのに、学食も判断材料になるのではないか。 

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