- 井上靜

- 7月12日
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川田龍平の街宣車が通るのに出くわした。
彼は、最初に薬害エイズで被害者の象徴的な人物として神輿に載せて担がれたが、そうなると当然のことながら悪口を言われる。それだけなら仕方ないが、悪い評判は主にその人柄のためで、それもそのはずというべきか、彼が政治的に仲良くしている人達とは、とうてい尊敬できない軽蔑すべき人達であった。
それでも支持者がいる。
前に鈴木大地の話を取り上げた。
彼は、かつてオリンピックで活躍した元水泳選手だが、それはとっくの昔のことだから選挙で集票するほどの知名度は無い。しかし引退後に水泳の協会の代表になっているので、政府から補助金を得るため政界入りするとなれば、組織的に応援する人達が出るので当選できる。
これと川田龍平とでは事情が違うけれど、組織的に応援する人達がいるのは同じだ。

医療過誤の被害者および訴訟の原告の団体がある。
そこで川田龍平の応援をするための選挙広報の類が配られていた。まったく政治的な話ではない集会でのことだったから、けじめの無さに呆れたものだった。
そのさい、知り合いの「医療ジャーナリスト」の女性に、ご都合主義の川田龍平が政治的に左右にぶれていることを指摘したうえで、そのような態度は議員として問題だと言ったところ、かなり感情的に反発され「右や左の問題じゃない」と言われた。政治で右や左の問題と無関係であることは不可能であるのに。そんなことで、ご都合主義を正当化してはならない。
少しでも政治と関わることで右や左ではないというのは実にみっともない。
しかし、よくいるのだ。自分は右でも左でもない、とか、問題は右や左ではない、とか。なんてことない、自分が右も左も解らないというだけのことだ。解らないことを誤魔化すために言っている情けない言質である。
また、解ってない人に、解かると思って話してしまったことは、失敗であった。


