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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2023年12月3日
  • 読了時間: 2分

更新日:2023年12月3日

 鈴木瑞穂さんが亡くなった。

 主に名脇役として活躍したベテランの俳優である。今だから言える冷や汗ものの思い出がある。


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 かつて映画製作の小道具の仕事をしていたという話は、ここで前にした。

 そのさい、エキストラが足りないと手伝っていたことも。中には統一協会がらみの映画があって、あの当時は「お蔵入り」だったが、あとで観ると映っているのがハッキリ解かるが、しかし製作の背景は意識しないでいたので知らなかった。

 そういう話だった。


 これとは別のテレビドラマでのこと。

 これは前に述べた三原じゅん子が主演のテレビドラマであった。横浜中華街の近くにある結婚式場で、三原じゅん子の扮する主人公が結披露宴をしている場面だった。

 そのさい、冒頭、他の新郎新婦が廊下を歩いている後姿が映っている。この花嫁衣装の人はモデルクラブから来た女性で、念入りに化粧したのに映ったのは後姿で気の毒だったが、一緒に歩いている新郎の役が要るということで助監督に言われて大急ぎで衣装係の人に服を借りて、後ろ姿で歩いたのだった。モデルクラブの女性は長身だったので、それより背が高い人が新郎でないと恰好つかないのに、来ていたエキストラたちの中に、そこまでの長身が居なかったのだ。

 まあ、前に話したとおり、小道具の製作で、刑事ドラマの前科者カードの、顔がハッキリ写っていたのよりはマシな、楽しい仕事だったかもしれない。


 このドラマで、仲人で新郎の上司の役が鈴木瑞穂さんだった。

 そして披露宴でスピーチをする。こうした役が得意であることは周知のとおり。この撮影のさい、偶然、テーブルの間を通って、狭いから互いに横を向いたのだが、鈴木瑞穂さんが不快そうな顔をしたから、そこで気づいた。こっちが後退りしなればならない立場である。

誰かスタッフが見ていたら叱られたし、誰も見てなかったけれど後で知られて監督あたりにどやされると思って覚悟していたが、告げ口しないでくれたらしい。

 今思い出すと本当に冷や汗ものである。


 そんな、今だから言える思い出がある。

 そしてありきたりの言葉だが、ご冥福をお祈り申し上げます。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2023年11月20日
  • 読了時間: 3分

更新日:2023年11月21日

 創価学会の池田大作が死去したそうだ。

 これに追悼の言葉を送った岸田首相は、その肩書を「内閣総理大臣」としていた。個人的な付き合いではないから肩書を付けるにしても「自民党総裁」とするべきである。

 いくら創価学会が作った公明党の協力を受けているとしても、それは自民党が公明党の世話になっているだけのことだから。こうしたケジメが付けられないのでは首相として失格である。


 創価学会の宣伝映画『人間革命』があった。

 これを見ていると、創価学会の前身である創価教育学会を作ったうえ法華経の世直し理念に基づいた啓蒙活動を始めた牧口常三郎という人は、戦争に反対したため弾圧され獄死したように描かれているが、実は法華経を唱えないと戦争に勝てないと主張して伊勢神宮参拝を拒否するなどしたことが弾圧される原因であった。

 だから同じ日蓮宗の団体で超国家主義を掲げる顕正会は、創価学会を激烈に批判している。公明党が自民党と提携して政権入りしたことで、創価学会は無力な神道を否定しなくなったうえ神道系の宗教団体と仲良くし始めたからだ。

 その虚偽宣伝映画『人間革命』で池田大作を演じたのが、あおい輝彦だった。


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 かつて、あおい輝彦はジャニー喜多川から変態行為をされていた。

 その後、郷ひろみも迫られて逃げ出したり、北公次が内部告発したりで、ついに今では海外メディアにまでとり上げられて大騒ぎになり社名変更しなければならなくなった。

 この、あおい輝彦が『人間革命』で池田大作に扮していた。自分が遭ったのと同類の加害者を美化する役を演じたということだ。団体内での権力を利用した性暴力で騒がれたことでは池田大作もよく知られていたが、むしろ池田大作のほうがジャニー喜多川より凄かった。これを北公次は、どう思っていたのだろうか。創価学会員になっていたけれど。


 あと池田大作といえば外国の大学から学位を買い漁ったことも知られる。

 もともと、外国の大学で学位を取得することは、日本に居ながらにして金で買うのが普通のことだった。会社を経営していると、金で学位を取得しないかというダイレクトメールが来る。論文ならそこの大学院生が代筆すなわちゴーストライターを雇うから、何もせずに金を払うだけで学位が得られる。

 かつて某社長のゴーストライターとして自伝を書く商売をやったさい、学位も取るのだと社長はダイレクトメールを見せたから、自伝ために渡された経歴書も嘘だろうなと悟ったものだった。


 演芸番組『笑点』には定番ギャグがある。

その一つに「腹黒な三遊亭楽太郎が取得した偽の博士号」というのがあったが、そう言われる背景があるのだ。

 しかし社長や宗教家や芸人ならハッタリもシャレで大した害はないが、これが医師の場合もあり、このハッタリは医療裁判でよく出て来る。自分の専門がこれだという証拠として、どこの大学で何の論文により学位を取得した、というのではなく、漠然と医学博士だと言って来る。ほんとうに医師免許を持っているのかと疑われる初歩的な過ちをした人が、ハッタリで学位をひけらかすから滑稽である。


 そうした社会的な地位と名誉の虚構性を体現したような人が、また一人死んだということだ。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2023年10月18日
  • 読了時間: 3分

更新日:2023年10月19日

 山下達郎のコンサート前売り券を買っていたのに行かないという人がいた。

 これは山下達郎が嫌いになったからだ。またファンクラブをやめると言う人がいた。例の、ジャニーズ事務所との商売および利益は山下達郎にとって人権より大事であり、それが気に入らない人に自分の音楽は無用だと居直り言い放ったからだ。


 音楽と作り手は別だと言う人がいるけれど、とんでもない誤解である。

 そもそも音楽とは、決まった法則によって作られるものだから、AIに任せておけばよい最たるものであり、誰がどう作っても大差なく、すごい名曲と思っても似たようなのは必ずあり、好きか否かは誰が作ったか、どんな人が作ったか、の方が決定的だから、作った人を好きになれなくなったら音楽も好きになれなくなって当然である。

 これは他の芸術にも言えるが、特に音楽は殆ど100%である。


 モーツァルトでなくても誰かが同じ曲を作った。

 これは、ナポレオンがいなくても誰かが戦争した、アインシュタインがいなくても他の誰かが相対性理論を発見した、というのと同じである。そこでモーツァルトが人気なのは、同時代で同じ音楽は他にいくらでもあったけれど、英才教育を受けて神童と騒がれ大人になっても子供っぽくて無垢だった、などのキャラクターと音楽が合致しているから愛されているのだ。これが重い音楽だったら、それに似合ったキャラクターである必要性がある。

 つまり音楽家は例外なくアイドルである。それで、キャラクター的に幻滅だと音楽の価値も減滅である。


 槇原敬之が薬物で逮捕されたら坂本龍一は「音楽に罪はない」と言った。

 作り手の不祥事によって、その作品を否定するべきではない、という意味だ。しかし、これは不正確である。正確には「音楽に価値は無い」である。価値があるのは槇原敬之というキャラクターである。その音楽は誰でも可能である。どんな音楽でも、その人にしか出来ないというものは元から存在しない。個性はあっても、作者の個性に合うから面白いのであって、作品それ自体に作者と全く関係なく個性があるなんてことは有り得ない。

 そして槇原敬之の場合は、真面目だけど弱い部分を持ち合わせた人柄が、その作風と合っていたから、薬物に手を出したけど歌まで嫌いになるとは限らないということだ。


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 山下達郎は商業主義であると自覚して「時流に乗れ」と唄っていた。

 しかし権勢に媚びることでは一貫性があるけど、次第に流れが変わったことを読み切れなかった。だから、失敗した人として、ファンだったけどやめたという人たちがいるのだ。常に成功者としてふるまっていた山下達郎が失敗したら離れて当たり前。そういうことである。

 
 
 
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