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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年3月25日
  • 読了時間: 3分

更新日:2024年4月7日

 ジャニーズ事務所の性暴力は問題だが、そもそもはアイドル歌手の終焉が背景にあるだろう。

 これに関して先ず語るべきなのは、1982年にアイドル歌手としてデビューした女の子たちが後に「華の82年組」と呼ばれるようになったことと、翌年は「不作の83年組」と言われるようになった事実である。

 82年組には、中森明菜や小泉今日子など華々しい活躍をしたアイドル歌手たちがいたのに、83年組には、伊藤麻衣子のようにドラマで大活躍はしたがアイドル歌手だったことを知らない人が少なくないとか、桑田靖子のように歌が上手いことはテレビで知ってはいてもヒット曲は何かとなると題名が出てこないとか、タレントとしては知られていても本業のアイドル歌手としては振るわなかった人ばかりである。

 これは、アイドル歌手というものが、70年代に芸能の一分野として確立し、80年に松田聖子が登場した勢いで82年に中森明菜らで頂点に達したことにより行き着く先まで行ってしまったから、後は衰退するしかなかった、ということだ。


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 その後の女性歌手はどうなったかを象徴するのが渡辺美里と小比類巻かほる。

 彼女たちは中森明菜らより一つ年下である。小比類巻かほるは二年下だが三月生まれだから年度は同じである。しかし83年組ではなく、少し後に十代でロック歌手としてデビューしていて、ただしポップな歌もかなり歌っているし、二人とも見た目が可愛らしかった。それまでにロック歌手の女性で美人はいたけれど、十代で可愛らしいというのは渡辺美里と小比類巻かほるから始まったといって良いだろう。それで歌唱力は「歌の上手いアイドル」など圧倒してしまうほどで、たいへんな人気歌手となっていた。

 また、小比類巻かおるは、ベテランヒットメーカー井上大輔が作った、彼の得意とするアップテンポな曲を唄っていたし、渡辺美里は小室哲哉が曲を付けた歌を次々と大ヒットさせて、90年代に入り小室哲哉がヒットメーカーとして一世を風靡するまでの知名度向上に最も貢献していた。

 そして、後に女性の人気歌手は浜崎あゆみや安室奈美恵になって、従来の女性アイドル歌手とは明らかに異相となった。


 また、80年代の末は「アイドル激戦時代」と呼ばれた。

 これは爛熟してきたため女性アイドル歌手は質が高まり、容姿端麗なうえ歌唱力もあるのが当たり前となったのだ。にもかかわらず、かつてほど大スターとか大ヒットとかいうことは無くなった。それなりの人気歌手はいたが、かつての隆盛には遥かに及ばない。これはアイドル歌手の終焉を示すことだった。

 そして、既に男性アイドルはジャニーズ事務所がグループを粗製乱造し、ゾロゾロと出てきて唄うから歌唱力など無用になっていたけれど、これに続き女性アイドルも同じことになり、おニャン子クラブやAKB48がゾロゾロと出て学芸会水準の歌を披露することとなったのだ。


 つまり、アイドル用に作られた歌は無用となったのだ。

 これは、誰が唄っても、ポップスはポップスだしロックはロックという、ほんらいの認識が確立したということで、なぜなら社会の文化が洗練されたからである。

 だからアイドル歌手は終焉したのだ。これを解かっていないと、芸なんかどうでもよいから性暴力というジャニーズ事務所の問題なども充分には解らないだろう。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年2月27日
  • 読了時間: 2分

 このブログのカウンターについて。

 他からアクセスしに来たらカウントされるが、さらに流して他を読んでもそちらはカウントされない。だから新たなアクセスがされてなくても見たり読んだりされていることがある。

 そうなると、アクセス数が多い話題は、どうしても他からのリンクで訪問した場合が多くなる。


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 サイトの管理者から通知があった。

 いつもより訪問者が多い話題があり、それは小澤征爾の訃報というよりその伝記ドラマで小澤征爾にふんした野村義男の話題だった。

 もちろん芸能人の話題は、もともと訪問者が多い。当たり前だろう。


 他にもジャニーズ事務所の話題は訪問者が多い。

 そして芸能ではなく司法の分野について述べた事実も、ジャニーズ事務所についてずさんな認定で性暴力を事実だと断定した裁判官の話など、芸能の話題として訪問者が多いうえ他のサイトでも取り上げられていた。

 その裁判官が他の判決でも酷すぎると言われている話と併せて、その悪評が他にも色々あるという材料の一つとして挙げられていた。


 これは意図しない結果であった。

 ジャニーズ事務所の問題が事実ではないと主張したのではなく、ずさんな認定だったから事実だと信じるに足る根拠とはならないということだった。

 どうであれ、先ずは関心をもってもらうことが大事だから、それもまた結構なことではある。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年1月30日
  • 読了時間: 2分

 ミス日本に白人女性が選ばれた。

 国籍は日本だから違反ではないが、日本の女性として世界大会に出るとしたら奇妙だと言う人たちがいる。見た目がその国の人でない人ばかりミスユニバースに出ていたら面白くないだろう。

 また、彼女は5歳の時にウクライナから日本に来て住んでいるけれど、つい最近になって帰化し国籍取得したことも指摘されている。

 それで構わないと言っても、では同じ女性で元の国籍はロシアだったら選ばれただろうか。それは無いはずだと言われた。


 これで思い出したことがある。

 昔、ベトナム難民の女の子がテレビの「スター誕生」で優勝しアイドル歌手になったとマスコミで騒がれ、中国系だから差別され国を離れたが日本に来てスターに、という美談だった。

 それで話題になったものの、歌はお世話にも上手じゃないと言われた。そしてレコードを出してコンサートも開いたが直後に引退して離日し、米国に住んでいる。

 ウクライナから帰化してミス日本というのも同じ意図なのだろう。


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 もともとミスユニバース大会は政治情勢が露骨に反映するもの。

 このことは本当に何十年も前から言われてきたことで、だから虚しいというか空々しいというかであった。また、ミスコンテストなんてことからしてバカバカしいと言う意見も根強い。魅力的な女性はいるけれど、それぞれの持つ個性と評価する主観に好みである。比較なんて無理というもの。

 また、野坂昭如がよく言っていた。ミスコンテストは歴史が浅く文化の薄いアメリカが始めたことで、そんなものに付き合ったり、それを輸入して真似したり、なんてことは止めるべきだ、と。

 
 
 
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