- 井上靜

- 1月15日
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今は亡き山本コータローは選挙に出たことがあった。
それは彼が病死するよりずっと前のことで、彼はシンガーソングライターだがタレントとしてよくテレビに出ていたのに急に出演が無くなって、その直後に選挙に出たのだった。このため、山本コータローはテレビから干されたのだろうと言われていた。
そして、彼が元々から関心があった環境保護と女性の社会的平等権を訴えの中心に据えた団体を作り選挙に出たが、当選者を出すことはできなかった。

山本コータローとテレビで組んでいたのが田中康夫だった。
この二人は同じ大学を卒業しているので話が合うような印象だった。そして田中康夫も選挙に出た。こちらは当選できたが、その後は御粗末だった。上手くいかないというより、もともと田中康夫には政治に見識も意欲も無かったのだろうと指摘がされていた。これは彼が新しいことを試みているようでいて実は全く無策だったからだ。
そして、田中康夫は小説家として一発屋だったから、それで政界入りしただけ、どうせそんなことだったのだろう、と言われていた。
もう一人の山本といえば太郎である。
ただ、山本という姓は非常に多く、これより確実に多いのは佐藤・鈴木くらいではないか。だから同じ姓で名にも共通する部分があるといっても、とくに意味はない。
また、山本コータローはフォークソングが流行っていた時にヒット曲または名曲と言われる歌があり、その上でテレビタレントをしていたし、社会派の発言をすることもしばしばだったのに対し、山本太郎はお笑い芸人ふうのテレビタレントから普通の俳優もするようになったが、演技は下手くそと言われてばかりで、特に社会派の発言は無かった。それが原発事故があったら、原発に反対したら芸能人は干されてしまうけれど、自分は芸能人をやめても原発に反対すると言い出した。かなり唐突であった。
こうなると、山本太郎は芸能人として限界を悟ったから方針転換したのだろうと言われていたれど、その通りかもしれないと思ってしまう。
山本太郎は立憲党の支持者から嫌われていた。
それが最近では共産党の支持者から非難されるようになった。立憲党は自民党の亜流だから相容れないのも当然だが、共産党の方面から嫌われるようになったのは、山本太郎一派による共産党に対する中傷誹謗がひどすぎので我慢できないと言われてのことだ。
それとは別に、山本太郎一派は経済について付け焼き刃で語るから、基礎ができおらず無知が丸見えである。これは前にここでも具体的に指摘したことがある。
こうなると、芸能人として先が見えてしまったから、その知名度がまだあるうちに、これを利用して政界入りしようと計算したと看做される。これは初期から言われていたことだが、最近の山本太郎一派と他の野党との軋轢がひどいので、なおさら危惧されるのだ。


