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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 5月12日
  • 読了時間: 3分

更新日:5月13日

 そもそも戸籍は無用という指摘がある。

 これは夫婦別姓の件もあって話題に出たのだろうが、そこで堀江貴文や橋下徹らが戸籍を無用だと説いたので、これに反発する人達が出ている。

 ところが、その反発の訳が奇妙である。戸籍がないと犯罪者が悦ぶとか犯罪防止できなくなるとか、刑事と戸籍が関わっているという意味のことを言っている。そんなことを言う人たちは、戸籍とは何かを知っているのだろうか。

 

 戸籍とは身分関係を公証するものである。

 もちろん、身分関係とは親子・兄弟姉妹・夫婦のことである。これを公に証明するものだから、それが刑法と関係するなら、子供が死刑なら親も死刑になるといった江戸時代の連座制である。そんなバカなことがあるわけないし、現代においてあってはならない。

 いったいどこから変な発想が湧いてくるのか。おそらく、そんなことを言っている人たちは、戸籍というものを知らないのだろう。


 戸籍があるのでやりにくい違法行為もある。

 その最たるのは重婚だろうが、戸籍制度がなくても結局は後から判る。そしてたまに揉め事になる。外国でやらかす森鷗外やピンカートンのような人は今もいるが、ちゃんと国際私法が結婚も規定しているので、戸籍制度の有無が特に影響することはない。

 そして、揉め事になるとしても、それは財産上の問題である。身分関係は扶養や相続があるから公証する必要が生じるので、つまるところ財産のことである。


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 それで堀江や橋下らは、今はマイナンバーがあるから戸籍は無用と言ったのだ。

 もともとマイナンバーとは、国が国民の財産を監視するためのものである。そこで、脱税を防ぐためと言ってはいるが、それで防げる脱税の額より高額なマイナンバーの運用費という滑稽なことにもなっているなど問題がある。

 だから、戸籍とは何かを解っていれば、マイナンバーがあるのだから無用になったという指摘が当然に出てくることも容易に理解できる。

 なのに戸籍とは何かを知らない人たちが、知らないものを知らないがゆえに大層なものであると思い込んで、滑稽なことを言っているのだ。


 かつて戸籍を封建的で違憲だと最高裁判所まで訴えたことがある。

 その時、俗に言われているのと違い現実の制度として、あくまで戸籍とは身分関係を公証するものである、ということで上告を退けられた。

 しかし弁護士から、最高裁で弁論を開かれず門前払いとはいえ、そんな丁寧な対応を最高裁から本人訴訟でもらったのかと驚かれ、関心されたものだった。

 とにかく、最高裁も戸籍について、そう示しているのだ。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 5月6日
  • 読了時間: 2分

 交通信号機の無い横断歩道では歩行者優先。

 なので、自動車は歩行者が渡ろうとしていたら停止する義務がある。横断歩道がある道路は、横断歩道ではない所で横断しては危険なので渡ってはいけない。それで、渡っていい所である横断歩道では歩行者優先で自動車は停止しなければならない。

 それなのに、歩行者が自動車に対してお先にどうぞとやったからと停止しなかったら、どうなるか。これは実際に、警官に見とがめられて違反金を払うはめになった運転手がいる。いくらその歩行者が譲っても他の歩行者がいたら危険だから。


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 それなのに、小学生に対して間違った指導をする教師がいる。

 自動車が止まってくれたので、お辞儀をして渡れと言う。これは問題になっていた。運転手の義務なのに善意であるかのように言うのは、子供に間違った認識を植え付けるものだからだ。信号機の無い横断歩道で歩行者が渡ろうとしていたら自動車が停止しないといけないのは、赤信号で停止するのと同じことである。赤信号で停止した自動車にお辞儀はしない。

 自動車と自動車なら、譲ってもらった方が会釈をする。これは自動車の教習所でも指導していることである。法規ではないがマナーとして当たり前だから。そういうのとは全然ちがう。


 子供にお辞儀をさせるのは危険という指摘もある。

 実際に運転手が危険を目撃したと言って新聞に投書して掲載された。他の自動車が来たことに、お辞儀をしていたので視線が逸れて気づくのが遅れた。来た自動車の運転手が気づいて停止したから良かったけれど、もしも小さい子供だから気づかなかったら。子供の方もお辞儀で気づかなくて、双方とも気づかないことが重なってしまったら。こうなると最悪の事態もあり得る。

 なにより子供の交通安全が第一のはずである。それなのに、法規の見地からしても変なことを礼儀と言って指導するなんて、とんでもないことだ。


 これは教師の無知と独りよがりが原因である。

 法律的にも道徳的にも存在して無いことを、ただの思いつきで、子供に礼儀と称して押し付けることで自分が立派な指導をしているという自己満足に浸るから変なことになるし、たいへんな危険に子供をさらすことになってしまうのだ。

 こういう無知と独りよがりに基づく発想で勝手な指導をする教師は昔からいっぱいいたけれど、それが今も相変わらずということだ。

 

 
 
 

 米兵が女性に暴行した事件について。

 沖縄県警は容疑者の身柄引き渡しを求めない。日本の主体性喪失が懸念されている。そもそも、どうして米国は兵士の犯罪があるたびに、日本に対して態度が傲慢なのか。

 この訳は二つある。


 一つは、日本が米国の従属国であるから。

 米国は、宗主国として、自国の市民を渡さないのが当たり前である。


 一つは、日本の司法が中世以下の水準だから。犯罪者であっても基本的人権は尊重するのが当然の近代国家としては、野蛮国の司法に自国民を委ねるなんて、とんでもないことだから。


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 これだから米国基地問題も解決しない。

 日本国内で米軍の横暴に国民が怒っても、その国民が傀儡政府を改めないのだから。ただし、米軍に怒っている人なら、だいたいは日本政府の対応に対しても怒っている。

 しかし米国に隷属する日本政府を支持している人たちは、とにかく隷属が正しいと思っているので、米国に隷属する日本政府に隷属する。この点は前に指摘したとおり。


 米国に怒って日本の主権回復と独立を求める人もいる。

 しかし、それに賛同しない人が多い。もちろん隷属するのを良しとする人もいるが、そうは思っていない人でも、米軍の方が日本軍よりはマシだと思っているから自衛隊に不信感がある。今の自衛隊にも悪いところはいくらでも指摘できるけれど、これがもしも米国支配から脱したとしても、自衛隊が再び日本軍となれば今よりもっと横暴になること確実だ。司法が中世以下であるということは、同じ日本にある公的機関の自衛隊だって同水準である。


 同じ国で、ある部分は良くて、他のある部分だけ悪い、ということはない。

 その国のどこで何があっても、その国にある原因の何らかの反映なのだから、当たり前である。

 つまり、日本で犯罪を起こした兵士を米国が日本に引き渡さないのも、そんな米軍ではなく自衛隊に頑張ってもらおうということにならないのも、日本の国の水準が中世以下の野蛮だから、という同じ原因なのだ。


 それで、当blogの主催者は、ホームページにあるとおり、基地問題で沖縄に行き、それと同時に霞が関で司法問題を追及しているのだ。 

 

 
 
 
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