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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 8月3日
  • 読了時間: 3分

更新日:8月4日

 有田芳生議員の頭を見ていて薬のことを考えた。

 発毛剤のミノキシジルが適応されるのは65歳までだが、まだ彼が年齢的に効くとされる時に発売されていた。その時、彼は使用していただろうか。気にしてないとか諦めているとかなら別だが、もしも使用したなら結果は無駄ということになる。

 よく、ミノキシジルは医学的に発毛の効果が確認されていると言われているけれど、実際に脱毛症の治療をたくさんしてきた医師は、その経験からミノキシジルの発毛効果は何となく毛が増えたくらいの感じがする程度で、脱毛症になる前の状態に戻ったとかフサフサになったとか言う患者には会ったことが無いと言う。


 また、発毛剤を使ったけれど効果が無かったという人は多い。

 これに対して、発毛剤を販売している製薬会社は、正しい使用方法ではなかったのではないかと言う。けれど、難しすぎるとか手間がかかりすぎるとかいうことは全然なく、それなのに脱毛症に悩む人が正しく使用しないなんてことは、ごく稀であるはずだ。

 なにより、正しい使用をすれば効果があるなら、派手に宣伝して相当に売れているわけだから、ミノキシジル発毛剤が発売されてから脱毛症の人が激減しているはずだが、街を歩いていて大勢の人達を見ても昔と違わなない。

 ということだから、ミノキシジル発毛剤は少なくとも美容的な成果が見えるほど有効ではない。つまり気休め程度の効き目で、肝心の外見は変わらないということだから、この最も重要な点からすると全然効かないのだ。なのに高価であるから買うのは散財でしかない。


 これでも医学的には効果が確認されていることになる。

 もちろん嘘ではない。臨床実験して効果があった。その原理も解っている。あくまで医学的ということで、美容的などと言ったことでは無意味である。それに高い金を払って買うのは無駄でしかない。

 それを言っているのに、医学的には効果があると証明されているとか、なのに効果が無いというのは使用方法が正しくないとか、そういう反論をしても虚しいだけである。

 ところが、医学的に確認されているから効かないわけがないと言ってしまう人たちがいる。それは問題になっている点が違う。これを解らないか、あるいは故意にスリカエるか、そういう虚偽が他にも多くの薬について横行している。


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 これを有田芳生議員に当てはめたら。

 実際に発毛剤を使用したかは別にして、仮に彼が使用していて、効いていると公言したら、どうか。その頭でも効いたと言えるのか、使用した期間はどれくらいか、というやり取りになるだろう。そして、使用したのは相当の期間で、その期間から費用も相当だった、ということなら、これでは効いてない、効いたとしても気休め程度だ、そんなことに散財して愚かだ、ということになる。

 それでも、効果は医学的に確認されているのだから効いているはずだ、と彼が強弁したら。実に滑稽であるが、これは彼の普段からの言動や態度から、きっと、そう言うはずだ。そうなると、薬品の効果という問題が、とても解かり易い。

 なんで他の人を例にしないかというと、薬害と行政について議員の立場に関わる普段の言動と態度からして良い例だからである。他の薬品を例にしないのは、これより解かり易い例がないからである。

 
 
 

 プーチン大統領はレニングラード大学(当時。ペトログラード大学・ペテルブルグ大学とも言う)法学部卒。

 ここは定員が100人。東京大学法学部は定員600人。人口比は1対2くらいだったから、単純に計算すると、レニングラード大学法学部は東京大学法学部の12倍になる。

 こんな難関に入るのはよほど成績優秀ということだが、しかも彼の親は低所得者で、二間のアパートに住んでいたから、勉強部屋など無かった。そんな劣悪な条件から、よく一流大学に入れたものだと言われている。

 ただ、彼の両親は共に小学校しか出てなかったけれど、その後、父親は働きながら中学校へ通った。事情あって中学校に通えなかった人のための夜間部に。そして41歳で卒業している。


 ゴルバチョフ大統領はモスクワ大学。

 このモスクワとペテルブルグは、首都と旧首都、その前は新首都と古都。そこの国立大学で名門の双璧ということだから、日本なら東京大学と京都大学に相当するだろう。

 さて、ゴルバチョフのうちも富裕ではなく、地方だった。学校に入る年齢になったけど靴が買えなかった。当時は大量生産の安価なものは無かったから。それで母親が、軍隊に行っている夫に手紙で相談したところ、うちにあるもので売れるものを全部売って靴を買い学校に行かせなさいという返信だった。その通りにして、なるべく丈夫なものをということで兵隊靴にした。これを履いて学校まで遠かったけれど歩いて通学し、そうまでしてくれた親に報いるため頑張り、高校は二番で卒業してモスクワ大学に。


 つまり所得は低いけれど意識は高い親は、子供が高学歴になる。

 東京大学でも似たような人はいる。地方から来た東大生は、三鷹にある寮から通学しているけれど、やはり親が低所得者であるから寮にいる場合がある。

 一方、富裕な親を持つ学生は、はっきり言って「あんな寮」という所ではなく、場所も建物も良く、それ故に金もかかる所から、通学している。それくらいの出費なんともない富裕な人が、東大生の親のほとんどである。

 しかし例外がいて、金が儲からない分野の研究を熱心にしている貧乏学者の親などはもちろんのこと、そういう金がないインテリでなくても、子供のためになんとかしてやるべきだと考える親であれば、当然のこと意識が高くなるもので、すると家庭教師や受験予備校など無用で成績優秀になることが普通にあるのだ。


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 家庭教師や受験予備校の効果がない場合もある。

 これは、いくら親が子供に勉強させようとしても、既に親が子供を絶望させているから駄目なのだ。これを描いた『家族ゲーム』という小説があった。何度もテレビと映画になっているけれど、どれも原作を改変していて、子供の教育に熱心な親の姿勢が子供を絶望させているから無駄だ、という根幹の部分が欠落している。これは脚本家や監督が理解できなかったからなのか、それとも視聴者や観客の多くが受け容れてくれないと考えてのことなのか。

 なんであれ、教育熱心ではあっても意識が低いので親が子供から共感されない、ということには気づいていない人が多いのではないか。近所に小学生の進学塾があって、そこに通っている子供たちと親たちを見ていて、このことを思い出した。

 

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 7月5日
  • 読了時間: 2分

 筆記試験だけの入試を維持すべきという人がいる。

 これは公平だから、ということだ。もちろん筆記試験が出来るかは家庭環境などの影響があるので、偏差値の高い大学ほど親が富裕であり、これは傾向どころか正比例していると言って良いほどだから、これでは公平じゃないと言う人もいる。

 しかし筆記試験だけなら、誰でも頑張れは出来るのも現実だ。


 これは米山隆一議員も言っていた。

 あの人は、自分の通った高校が猛烈受験高であるのを売りにする灘高校であるから自分は違うけれど、そうでなく片田舎の学校に通ってひたすら受験勉強することで東京大学に入ることも不可能ではないから、そこが筆記試験だけの入試の良いところだと言っていた。

 実際に、彼と同い年の岡口基一もと判事は、地方それも結構な田舎の偏差値50を切る高校から東京大学に入ったので、大学より高校を自慢していた。高校それ自体ではなく、そんな高校から一流大学の頂点に入ったという自慢である。


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 これは、少ないけれど可能性があるだけマシということだ。

 そのおかげで、高校卒業など大学入学の資格があれば誰でも、大学の入試を受けることができる。事情あって遅れて大学に入ろうという人も、筆記試験だけのほうが良い。

 これが、高校の推薦でないと大学に入れないとなれば、もっと不公平である。筆記試験が出来るようになるのも家庭が富裕な人ほど有利とはいえ、それはあくまで有利ということであって、推薦入試のように枠からはみ出したら可能性が無くなってしまうわけではない。

 

 もともと、推薦や面接は、意欲ある人や優秀な人を、排除するものだった。

 さらに内申書や調査書も加わり、思想信条を学問に介在させるためのもので、こうして入試が政治的に決められ、そこから教師が生徒・児童に対して恐喝が行われ、暴力やセクハラが横行し、そこから逃れられるから、筆記試験だけの入試は貴重だと昔から言われてきた。

 しかも最近では、金ばかりかかる民間の模試の試験を入試の選考に入れようという異常さである。

 そうしてみると、筆記試験だけというのは公正という見地から実に貴重である。

  

 
 
 
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