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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2025年8月8日
  • 読了時間: 4分

更新日:2025年8月9日

 知念美希人が新潮社を罵倒した。

 これがバツ(旧Twitter)で話題になっていた。新潮社が「あらゆる差別に反対します」と表明したことを「偉そうに」と言って。

 新潮社は、たびたび発行雑誌が差別やヘイトをしでかして抗議されてきた。かつては週刊誌の見出しに身障者差別用語を使い、新聞に掲載するさいその部分を消されたことがあったり、あの杉田水脈の露骨な差別発言を雑誌に掲載して抗議を受けたり。最近では小説家の深沢潮らについて在日韓国人の家系であることをあげつらうコラムが抗議を受けて会社が謝罪した。

 それでいて、よくも「差別に反対」と言えたものだ、ということかというと、そうではない。



 まず「偉そうに」は明らかに不適切である。

 これが、差別の問題で一席ぶっていたら「偉そうに」でもいいが、ただ差別に反対だと言うだけある。差別に反対なんて当たり前のことだ。

 それに新潮社は、差別で批判されたことに対して反省または弁解として、差別に反対であると表明したのだから、それが本心なのかと疑問を呈するのは相当な表現だけど、「偉そうに」は違うだろう。


 なにより知念美希人が新潮社を非難して言う「差別」がデタラメだ。

 コロナウイルスに絡んで医療関係者に利権が発生している、という週刊新潮の記事は、従事する医療関係者に対する「差別」だと彼は言うのだが、それは差別とは違うという指摘がたくさん出ていた。

 そもそも差別とは、属性のような当人の責任ではないことで以て正当な根拠なく一般とは異なる悪い扱いをすることである。なにか訳があって正当な批判あるいは不当な誹謗をすることは、どちらも差別とは違う。

 だから、週刊新潮が批判または誹謗をして、前者ではなく後者だから不当だと言うならともかく、差別したと非難するのはデタラメだ。


 かつて渡辺淳一が「和田心臓移植を批判して札幌医科大学を辞めた」と言った。

 札幌医科大学の和田教授は、日本初の心臓移植を成功させた医師になりたいという功名心から、本当に脳死したか解らない人から勝手に心臓を取り出し、心臓の全移植が不必要な患者に移植して死亡させた。このため教授は人体実験と非難されたうえ殺人罪で告発された、という事件である。

 これを批判して辞めたなんて言わなくても、もともと渡辺淳一は医師より『失楽園』を書いているのが相応しい人だと言われていた。

 それと同じことで、知念美希人はライトノベルを書いているのが相応しい人だ。医師は真面目にやれば仕事とその勉強に大忙しで、小説を書いたりバツ(エックスとも言う)の投稿をしたりなんて暇はない。だから研鑽や精進せずSNSで遊んでいる医師は駄目だと言われているし、よく看護師が言うことだけど、そんな医師は患者や看護師の女性の悪口を言っているもので、差別意識を剝きだしているから危ない。


 差別ではないのに差別だと言うのは手垢の付いた手口である。

 正当な批判ではなく不当な誹謗だ、と言うのなら相当の根拠が必要であるけれど、差別だと勝手に言うのは簡単だから、いい加減な攻撃方法としてよく使われる手口である。自分の責任ではない属性に対してのことだから差別だと言い得るのに、考え方が異なることで非難されたことを差別だと言う。これは安易だからやる人たちがいるのだ。

 例えば、職場で業務と無関係のことで昇給させなかった訳が、性別や人種や出身地であれば、自分で選んだことではない属性による不当な扱いだから差別になるが、支持政党や宗教の信仰であれば自分で選択したものだから差別ではなく、思想信条に対する弾圧として不当である。


 こういう違いが解らない人がよくいる。

 しかも知念美希人という人は、前に韓国人に対する民族差別の発言で問題になり、謝罪に追い込まれたばかりである。それでよくも新潮社を罵倒できたものである。

 しかし小説家として注目はされる。マスコミとしてはネタになるからだ。けれど、その発言を医師やインフルエンサーとして取り上げるべきではないと議員などが言っていた。そういう声に対しては、ごもっともというしかない。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2025年8月5日
  • 読了時間: 2分

更新日:2025年8月13日

 NHKの子ども番組で日本の中国侵略について言及されたことに対してSNSの反応。

 反論というより激しい罵倒だった。戦争があった現地での個々の事象に対する意見ではなく、大雑把に「侵略ではない」と声高に叫ぶ。

 そんなことは岸信介だって中曽根康弘だって言わなかった。


 では反論している人々の根拠とは何か。

 開戦の詔勅だったり、東南アジア諸国の一部の政治家の発言だったり、帝国主義的情勢からの正当化だったりで、中国ではなく朝鮮半島に関しては、植民地ではなく併合だとか、いいこともした、などなどもう20年、30年前から議論しつくされ、ネット上でもさまざまな史料から否定されているものばかり。

 そんな話をしている人たちが増加して、国会議員にまでなった人がいる。投票した人達がいるからだ。


 でもこれは昔からのことで、今はSNSに反映して解かり易くなったという違いだけだろう。

 こういうのは、自分が子供のころから後に話を人から聞いた話まで共通して、まず間違いなく、お父さんが言うからそうだと子供は思うのだ。学校で教えても報道されても親父が頭ごなしに否定し、教師やマスコミはアカだから信じては駄目と言う。まともに根拠なんかない。自分の頭で理解できないとか、権勢に媚びる癖がついたとか、お粗末な事情だ。

 そんなお父さんは反知性主義者なもので、そんな者たちがいることに世代差は無いのだ。世の常である。



 子供が成長して後から気づく場合もある。

 そして父親にその誤りを指摘すると、不快感を露にする。子供がちょっと勉強したら、それを生意気だと感じるからだ。

 しかし反知性主義は再生産される。そんなお父さんがいるのは、そのまたお父さんがそうだったからなので、同じようにして子供に受け継がれてしまう。

 つまり時代の変化などではないし、戦争の記憶が時間の経過とともに薄れてきたためでもない。ただ、水は低きに流れるというだけのことだ。だから嘆くのではなく、そんなことがあるというのを当然の前提として念頭に置いておくべきことなのだ。 

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2025年8月3日
  • 読了時間: 3分

更新日:2025年8月4日

 有田芳生議員の頭を見ていて薬のことを考えた。

 発毛剤のミノキシジルが適応されるのは65歳までだが、まだ彼が年齢的に効くとされる時に発売されていた。その時、彼は使用していただろうか。気にしてないとか諦めているとかなら別だが、もしも使用したなら結果は無駄ということになる。

 よく、ミノキシジルは医学的に発毛の効果が確認されていると言われているけれど、実際に脱毛症の治療をたくさんしてきた医師は、その経験からミノキシジルの発毛効果は何となく毛が増えたくらいの感じがする程度で、脱毛症になる前の状態に戻ったとかフサフサになったとか言う患者には会ったことが無いと言う。


 また、発毛剤を使ったけれど効果が無かったという人は多い。

 これに対して、発毛剤を販売している製薬会社は、正しい使用方法ではなかったのではないかと言う。けれど、難しすぎるとか手間がかかりすぎるとかいうことは全然なく、それなのに脱毛症に悩む人が正しく使用しないなんてことは、ごく稀であるはずだ。

 なにより、正しい使用をすれば効果があるなら、派手に宣伝して相当に売れているわけだから、ミノキシジル発毛剤が発売されてから脱毛症の人が激減しているはずだが、街を歩いていて大勢の人達を見ても昔と違わなない。

 ということだから、ミノキシジル発毛剤は少なくとも美容的な成果が見えるほど有効ではない。つまり気休め程度の効き目で、肝心の外見は変わらないということだから、この最も重要な点からすると全然効かないのだ。なのに高価であるから買うのは散財でしかない。


 これでも医学的には効果が確認されていることになる。

 もちろん嘘ではない。臨床実験して効果があった。その原理も解っている。あくまで医学的ということで、美容的などと言ったことでは無意味である。それに高い金を払って買うのは無駄でしかない。

 それを言っているのに、医学的には効果があると証明されているとか、なのに効果が無いというのは使用方法が正しくないとか、そういう反論をしても虚しいだけである。

 ところが、医学的に確認されているから効かないわけがないと言ってしまう人たちがいる。それは問題になっている点が違う。これを解らないか、あるいは故意にスリカエるか、そういう虚偽が他にも多くの薬について横行している。



 これを有田芳生議員に当てはめたら。

 実際に発毛剤を使用したかは別にして、仮に彼が使用していて、効いていると公言したら、どうか。その頭でも効いたと言えるのか、使用した期間はどれくらいか、というやり取りになるだろう。そして、使用したのは相当の期間で、その期間から費用も相当だった、ということなら、これでは効いてない、効いたとしても気休め程度だ、そんなことに散財して愚かだ、ということになる。

 それでも、効果は医学的に確認されているのだから効いているはずだ、と彼が強弁したら。実に滑稽であるが、これは彼の普段からの言動や態度から、きっと、そう言うはずだ。そうなると、薬品の効果という問題が、とても解かり易い。

 なんで他の人を例にしないかというと、薬害と行政について議員の立場に関わる普段の言動と態度からして良い例だからである。他の薬品を例にしないのは、これより解かり易い例がないからである。

 
 
 
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