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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2025年9月8日
  • 読了時間: 4分

更新日:2025年9月22日

 坂本弁護士一家の遺体が発見されて30年になった。

 この日、江川紹子はSNSで発信した。この事件のあと生き残った者の責任なるものを。いったい、どんな責任なのか。

 かつて彼女はテレビに出たさい、危ない新興宗教団体について坂本弁護士に相談を自分がもちかけたから、巻き込んでしまったと言って号泣して見せた。これが唐突でわざとらしい感じだったから、女子高生たちが「ウソ泣きオバサン江川紹子」と言っていたことがマスメディアで取り上げられていた。

 

 また、江川紹子は、事件のおかげでテレビに連日の露出となった。

 このギャラのおかげで、出演する度に着ている服が見るからに高価そうになってゆくから、事件の犠牲者を踏み台にして自分の利益にしている江川紹子、というのが当時の社会一般の評価だった。深刻な社会問題にさいしての「火事場泥棒の焼け太り」とも言われていた。安倍晋三の殺害事件でも同じ現象が見られたが、とにかくあの当時のことを知らない人や忘れた人ばかりではない。

 しかも江川紹子は、文具のカッターナイフを持っていたことを「銃刀法違反」として別件逮捕している警察が問題になったさい、違法に逮捕されたのが事件を起こした宗教団体の信者だから「今回は仕方ないと思います」とテレビでトンデモ発言した。

 

 右翼活動家の鈴木邦男が、江川紹子のような発言は危険だと指摘した。

 やはり江川紹子の発言ばかり流すと不公正であるとテレビ局も判断したのだろう。鈴木邦男を出演させて「カッターナイフで銃刀法違反にする別件逮捕のようなことは、政治活動をしている者に対して警察が弾圧するために散々やってきたことだ。私と私の仲間もやられている。別件逮捕だけでも違法であるし、権力の人権侵害に対して今回だけの例外だなんて言ってはいけない」と、事実や体験に基いて指摘していた。

 この鈴木邦男の指摘は常識の提示であり、また江川紹子の非常識と嫌らしい権力ヘツライに対する批判でもあった。


 映画監督の山際永三も批判していた。

 よくテレビドラマの演出もしていた人だったが、その一方で、テレビ特にワイドショーの人権侵害を危惧し、それを問題にする運動を始めた。その中で、組織の幹部が事件を起こした新興宗教団体の、事件とは関係ない一般信者とその家族へのメディアリンチ、とくに悪質なのは子供まで巻き込む、という煽情的で不真面目なテレビ番組を問題にしていた。

 そのようなテレビ番組に出ている江川紹子と有田芳生の、官憲にすり寄っての威張り腐った言質や態度はまさに「虎の威を借る狐」だと指摘していた。これは世間一般でも、やはり山際永三と同じ受け止め方であったから、江川紹子や有田芳生は評判が悪かった。

 しかし、そういう権勢に媚びる人こそマスメディアは起用し続ける。それで得た知名度を利用して有田芳生は姑息な国会議員になった。



 日本弁護士連合会も空々しい。 

 坂本弁護士一家皆殺し事件節目の30年で、渕上玲子会長が談話した。「弁護士が妨害に屈したら、市民の人権と社会正義が失われる」だとさ。

 現実には、坂本弁護士事件から弁護士はことごとく萎縮している。坂本弁護士が属していた法律事務所のように「人権派」だと、狂信者と敵対しても警察が守ってくれない。だから警察を批判するのではなく、権力の迫害を受けた人達を無視したり放置したり侮辱までしたりする。どこの法律事務所でも、どこの弁護士でも、だいたいそうなってしまい、闘うことは避ける。問題から逃げてばかり。各弁護士会と日本弁護士連合会は、権力の人権侵害に味方して善良な市民を迫害している。

 それを誤魔化すため、マスコミむけに空々しい談話をしてみせる。心にも無いことを。


 これでは坂本弁護士も浮かばれないだろうが、犠牲になったのが他の弁護士だったら、これに対して坂本弁護士はどうしたか。

 おそらく法曹界の大勢に流されて抗することはできないでいるだろう。


 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2025年8月15日
  • 読了時間: 2分

 八月十五日は終戦の日ではない。

 もちろん終戦の日は九月二日である。それまで戦争は終わってないから、散発的に戦闘は続いていたし、日本と戦争をしていた国々で終戦の日は九月二日としている。戦争は相手があるから、戦争を終わらせることで相手と合意しなければならない。その合意で日本がポツダム宣言を受諾し無条件降伏の文書に調印したのが九月二日である。これで戦争が終わったのだ。

 ならば八月十五日は何なのか。



 八月十五日は日本が戦争で勝つことを諦めると発表しただけ。

 だから戦争が終わってない。それなのに、どういうわけか終戦の日と言っているが、実は敗戦の日だ。にもかかわらず靖国神社に参拝する人たちがいる。敗戦の屈辱と無念そして戦争の犠牲者を弔うのではなく、国の為に戦争で命を捧げた英雄を称えると言っている。戦争で負けたのに。それも惨敗であったのに。

 なんで、勝ってもいないのに、英雄を称えるのか。これは日本独特の信仰によるものだ。


 無念の死を遂げた人を神として祭り煽てる習慣が日本に昔からある。

 これは怨念・怨霊を恐れてのことだ。日本人は、殺しておいて、死んだら霊を恐れる。湯島天神の菅原道真や、怪談お岩の亡霊を、祟らないように神として祀る。だったら殺さなければいいのだが、そういう発想にならない日本人の奇妙さである。

 だから靖国神社も、戦争で死んだ人達が祟らないように神として祀っている。もとから英霊とは、戦争で勝つことに貢献した人のことではないのだ。

 

 これだから、日本人は軽々しく戦争を始める。

 そして負けても平気でいる。悲惨な目に遭っても、そこから反省しない。この、宗教というよりオカルト信仰から日本人が脱しないと改まらないのだが、もともと日本人は宗教に関心が乏しいから、自分の社会に昔からある奇妙な信仰に気づかない。

 これが原因で、敗戦の日に、惨敗した戦争で非業の死をとげた同胞を英霊として称えて何か意味があると思い込む。そして戦争と平和という大事な話を真面目に考えることができなくなっているのだ。


 

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2025年8月13日
  • 読了時間: 4分

 学校の国歌斉唱に拒否を表明した親がいる。

 「君が代は歌いません!」とプラカードを掲げて。時々、各地の学校の卒業式・入学式であることだ。これに対して、生徒・児童のことを考えて無いとか、嫌なら日本から出ていけとか、そういう非難をしている人たちがいる。ネトウヨが悪ふざけで言っているだけではなく、昔から権力に媚びるマスコミ人たちが商売で言ってきた。

 そう言うなら、先ずちゃんとした国歌に変えてからだ。



 もちろん、外国では、卒業式・入学式なんて無駄なことをやらないことがよくある。

 そういう問題は別にして、『君が代』を国歌にするから、拒否する人たちが出る。拒否してない人でも内心では拒否したい人は大勢いる。蛮勇を発揮する人と、そうでない人の違いがあるだけだ。

 そこには、『君が代』の調子が陰気臭くて嫌だと言う人がいる。これはスポーツ選手に言うがよくいる。政治的なことではなくフィーリングの問題である。

 それより明瞭な問題は歌詞である。


 諸外国には国歌が無い国がある。

 国際的な場で、だいたいは国歌のメロディを演奏している時に、これに相当する音楽を流すよう制定しているわけだ。そういう儀式では必ずしも唄う必要がないのだから、音楽だけあればいい。歌詞があると、内容によって賛否が生じやすい。それを避けることができるから、国歌は無く、儀式の音楽を制定するということだ。

 また、国歌らしくない歌詞の国歌もある。これは、その国の歴史的経緯から、国歌でなかったけれど記念に国歌とした歌である。

 こういうのは例外的と言っていい。


 普通、国歌とはアンセムつまり賛歌である。

 だから、祖国を称えて繁栄を祈り、国民の幸福を願う、という歌詞であるものだ。そういう歌であれば、儀式で唄うことに反発は少ない。それでも拒否するのは、アナーキーな人とか、神ではなく人が作ったものを称えるべきでないとか、そういう人たちである。

 ところが、特定の政治思想に基づいた歌詞の国歌だと、それに反対する人がいて当たり前だ。しかも、封建時代には専制君主を称える国歌が当たり前だったけれど、その国歌を現代になっても維持している国があり、これだから反対や拒否が出る。


 具体的には英国と日本である。

 英国では、北アイルランドとスコットランド分離独立の問題があって、英国の国歌を拒否する人達がいる。スポーツ選手で国歌を唄ってない人は、その事情からである。

 日本なら、沖縄が昔は独立国だったのに侵略併合された歴史があり、今も迫害は続いているから独立論がある。それで拒否する人がいて、日本の他の地域とは違う事情がある。

 しかし、それより、そもそも封建制度の下で専制君主を称える歌がそのまま国歌になっていることで拒否する国民がいることで共通している。専制君主を称える歌の歌詞を変えて国歌にしている国もあるが。

 とにかく、英国でも、王政を廃止し国歌も変えるべきという国民がいる。


 日本は英国に倣っている。

 だから同じ趣旨の国歌だが、日本の憲法は国民が望めば改訂できると規定されている。これは第一条の天皇についても他の条文と同じである。天皇を無くし、議院内閣制をやめて、大統領制にするべきという国民は増えている。政権与党内の派閥による勢力争いで決まる政権だから、政治腐敗が起きて、有権者不在で白け、選挙の投票率が低い、ということは議論の余地もない事実だが、この原因は今の憲法に規定されている議院内閣制であり、そうなっているのは天皇が居るからだ。英国に倣った制度だからだ。

 だから改正するべきだと言う国民がいるのに、天皇が半永久的に存続するよう願う歌詞の歌を国歌にして、学校などで強制して子供の頃から洗脳するということをやっている。こんな国歌は駄目だと言う国民がいて当たり前だし、その意見を表明する権利が憲法で保障されているのに、それを弾圧・迫害しているのが『君が代』である。

 また、もしも、平和と戦争放棄を称える歌詞の国歌だったら。おそらく、平和憲法を否定したい人たちは拒否するだろう。憲法には改訂の規定があること根拠にして。



 『君が代』を国歌にすることも、公教育の場で唄わせることも違憲である。

 ところが昔から、日本だけは君主と国民が一体だとか気持ち悪すぎる屁理屈を言ってなんとか正当化しようとする人がいた。政府だって言ってないことであるし、後付けであるし、事実に反していて説得力が皆無である。

 せめて、普通の国歌すなわち祖国の繁栄を願うなどの歌詞の歌にしてから、それでも批判する国民に文句を言うべきである。 

 
 
 
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